第三百十九話 キャレの秘密(2)

 ひとまずサビエルの機転で、キャレの部屋には口の固い年増としまの女中が呼ばれた。彼女はサビエルの説明と状況で察し、キャレに手早くについて教えると、汚れたシーツと寝間着を持って出て行った。

 キャレが着替え終えるのを待って、サビエルが暗い顔で告げる。


「ルンビック様がお待ちです」


 キャレは胸を押さえた。心臓がギュウゥと引き絞られたかのように痛む。

 頷くと、サビエルの後について歩き出した。


 公爵邸の暗く、広い廊下はシンとして人もおらず、まるで処刑場に連れて行かれるかのようだった。いや、実際そのようなものだ。今まで公爵邸の人間、全員をだましていたのだ。叱責しっせき程度で済むはずがない。

 倒れそうになりながら、それでも進む。

 ひどく長い時間に感じたその道程どうていですらも、できれば永遠に続いてほしかった。家令かれいの部屋へと着いたら、もうそこでキャレの人生は終わるのだから。

 しかし無情にサビエルはその扉をノックする。


「連れて参りました」


 すぐに扉が開く。中から開けたのは、エーリクだった。チラとキャレを見る目には、まだ困惑があった。

 うながされて中に入ると、そこにはエーリクとアドリアン、それに家令のルンビック子爵が厳しい顔で座っていた。


「そこに……」


 家令が静かに、机を隔てた、自分の真向かいに置かれた椅子を示す。

 キャレは泣きそうになりながら、部屋の奥まった場所で顔をうつむけて座るアドリアンを見た。キャレを見ようともしない。暗くて表情はわかりにくかったが、その雰囲気からキャレに対していい感情を抱いていないのは明らかだった。


「……そこに座りなさい」


 再び家令に言われて、キャレはおずおずと浅く腰掛ける。

 家令は机の上の書類 ―― おそらくオルグレン家からの身上書しんじょうしょなどであろう ―― を読んでから、鼻の上に乗った小さな丸眼鏡を取り外した。


「さて、それでは聞こうか。君は誰かね?」

「ぼ…僕……」

「その一人称は女性には不適当と思われるがね」


 ルンビックに柔らかく言いとがめられ、キャレはビクリと体を震わせた。


「も、も、申し訳……ございません。あ、あの、あの私は……カーリンと、申します」

「カーリンか……ふむ」


 ルンビックはもう一度眼鏡をつけて、机の上にある紺色の背表紙の本をペラペラとめくる。それは配下家門の一族について記載された名鑑めいかんだった。めくっては、また戻りを繰り返して、カーリンの名前を探しているようだ。

 だがカーリンは諦めていた。そんな立派な本に載るのは、嫡出子ちゃくしゅつしか、庶子しょしであっても男子だけだ。カーリンのことなど、あの父が、ご丁寧に名簿を提出しているはずがない。

 案の定、見つからなかったのか、ルンビックはため息をつくと名鑑を置いてまた眼鏡を外した。


「カーリン、君はオルグレン家とかかわりがあるとみて良いのだな。その髪はさすがにあざむけるはずもない。父はセバスティアン・オルグレン男爵か?」  


 カーリンはコクリと頷いた。


「キャレというのは? 男爵は君を男子と偽って、身上書を出したのか?」


 もしそうならば、虚偽記載である。当然、セバスティアンには相応の罰が与えられる。

 だが、カーリンは力なく首を振った。


「いいえ、違います。キャレはいます。私の弟です」

「弟?」

「はい。私達は双子なんです……」


 それからキャレは自分の生い立ちについて語った。


***


 カーリンたち姉弟きょうだいが生まれたのは、寒い冬の日であったという。

 母親は産気づいても、当然ながら医者など呼んでもらえず、仲間の出産経験のある女中たちの手を借りて、カーリンたちを生んだ。


 当主のセバスティアンからは、ねぎらいの言葉一つ与えられることはなかった。

 当時の執事が見るに見かねてセバスティアンにかけあい、産湯代うぶゆだいとしてわずかながらの金品が与えられたものの、父親は生まれた我が子を見に来ることさえなかった。

 それでもこの執事のお陰で、数年の間、カーリンたち親子は衣食住の満たされた生活を送ることができた。


 母は文盲もんもうであったが、男爵家の子供であるならば、最低限の教養は必要だろうと、五歳の頃から読み書きについても教えられた。

 執事は先代男爵からの古参であったため、幼い頃から世話になってきた現当主セバスティアンも、さすがにむげにできなかったのだろう。

 だが執事が老齢によって体調を崩し、退職した途端に、カーリンたちはそれまで住んでいた離れの家から追い出され、邸内の隅にある掘っ建て小屋へと強制的に移住させられた。


 前執事から頼まれていた数人の心ある使用人や騎士が、カーリンら親子の待遇について、新たな執事やセオドアに意見したりしたが、彼らは例外なく排除された。そうなると、もはや誰もカーリンら親子を守ろうとしなくなった。カーリンらに優しくして、それを領主ら一家 ―― 特に領主の子供たちと奥方 ―― に見咎みとがめられでもすれば、彼らは領主館での仕事を失い、推薦状もなく追い出されるからだ。


 こうしてカーリンたち親子は、領主館内で孤立無援こりつむえんとなった。

 それでも与えられた掘っ建て小屋で、親子三人細々ほそぼそと暮らしていたのだが、三年前の九歳のとき、弟のキャレが風邪をひいて、こじらせてしまった。高熱が何日も続いて、カーリンは執事に医者を頼んだが、やはり無視された。

 母は飲食をって、ひたすらに祈り続けた。

 奇跡的に弟は助かったが、痩せた体は弱々しく、しかも熱で頭が少しおかしくなってしまったのか、ひどく癇性かんしょうたちになっていた。


 弟のキャレはその頃、騎士団で下男として働かされていたが、母はか弱い弟を気遣って、カーリンに弟の代わりをするように言った。カーリンの方は母と一緒に洗濯をしたり、台所で皮むきなどの手伝いをするくらいであったので、母としては病弱な弟を、常に自分の目に届く場所に置いておきたかったのだろう。

 カーリンは不承不承ながらも、母から涙ながらに頼まれては拒否もできなかった。少しでも弟に似るようにと髪を肩まで切って、弟の衣服を着て、下男の仕事を始めた。


 男女の双子ながら、キャレとカーリンは背格好も含め、容貌も似ていた。まだ子供であったというのも、幸いしたのだろう。ほとんどの人間はキャレとカーリンが入れ替わったことに気付かなかった。

 唯一、うっすらと勘付いたのは兄であるセオドアだけだったが、興味はないようだった。彼にしてみれば、妹であろうが弟であろうが、厄介者であることに変わりない。入れ替わっていることをとがめることすら、面倒であったのだろう。


 カーリンに大きな転機が訪れたのは、去年、十一歳の早春。

 兄がグレヴィリウス家の小公爵様の近侍きんじになるよう言ってきたときだ。

 さすがにこればかりは、カーリンもキャレの代わりに行くのは難しいと思った。

 当然、母に相談した。

 だが、弟を溺愛していた母は、カーリンの提案 ―― つまり、キャレを近侍として差し出すことには、強硬に反対した。そんなことになったら、か弱い弟は胸が潰れて死んでしまうと繰り返した。

 カーリンはあるいは公爵家に行けば、きちんとお医者様にも診てもらえて、キャレの病気も治るかもしれないと説得したが、母も弟もかたくなに拒んだ。


 この時点で、本当であれば兄に正直に話し、どうにか近侍となることを取り下げてもらうよう懇願こんがんすべきだった。

 だが、結局カーリンが選んだのは無謀ともいえることだった。

 女であることを隠したまま、弟の代わりに近侍となるべく、グレヴィリウス家へと向かったのだ。


 道中、何度も何度も馭者ぎょしゃに言って引き返そうかと考えた。

 だがもし、そんなことをしたら、おそらくセオドアはカーリンたち親子を許さないだろう。

 自分だけでなく、母も弟も領主館から追い出される。

 粗末な掘っ建て小屋であっても、そこにいる限り、きちんと仕事さえしていれば食うに困らず、冬の寒さに震えることもない。


 それにどこかでカーリンは希望を持ったのかもしれなかった。

 延々と続くかに思えたファルミナでの単調な暮らし。

 あそこにいる限り、カーリンは最下層の人間だった。

 領主の娘であっても、一度も認められたこともなく、なんであれば館の一部の使用人たちは、あからさまにカーリンを馬鹿にしていじめた。そうすれば正当なる領主の子である兄姉の機嫌が良くなるからだ。特に現奥方の二人の子供は、カーリンをいたぶることを楽しんでいた。


 自分のやっていることに後ろめたさを感じながらも、カーリンは結局、グレヴィリウス家に来ることを選んだ。

 この間違った選択をした時点で、自分には何一つとして弁明べんめいの余地はない。

 わかっていた。

 わかっていたのだ……。


***


「……では、ここに来たのは君の一存ということだな。本来であれば、父であるオルグレン男爵に事情を説明して、断るべきところを、自らの境遇から逃れるために、家族をもあざむいて来た……と」


 ルンビックが重々しく言うと、声を上げたのはエーリクだった。


「待ってください! キャレに一方的に責任を押し付けるのは、おかしいです!」

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