第三百二十三話 錯綜する思惑(3)
「やれやれ…」
ポリポリとルーカスが突き出た頬骨を掻きながら
「どうにも、よほど腹に据えかねるようだ」
「あんなに怒っておられるのは、珍しいな。それにキャレ・オルグレンのことは、何かと気にかけていらっしゃったのに」
ヴァルナルが腑に落ちないように言うと、ルーカスは少々鈍感な友の肩を叩いた。
「仕方あるまい。小公爵様にとっては、キャレは弟のような存在であったのに、いきなり妹になったと言われても、困惑されて態度が硬化してしまうのは、あの年頃であれば、あり得ることだ。それにキャレは……」
そこまで言いかけてエーリクの存在を思い出すと、ルーカスは一旦、口を噤んだ。軽く咳払いをして、誤魔化すように笑みを浮かべる。
「じゃ、お前は小公爵様のご命令通り、早朝、目立たぬように出立しろ。カーリン嬢をファルミナに送り届けて、今度こそ本当のキャレ公子に来てもらうように。母親には公爵家の医者が定期的に診察するから、心配ないと請け負ってくればいい。それでも何か問題があったときには、そうだな……ゴルスルム通りの俺の家に連絡をくれ」
「はっ」
エーリクは短く承知すると、騎士礼をして出て行った。
ヴァルナルはエーリクの足音が遠ざかるのを確認してから、ルーカスにまた物問いたげな視線を向ける。ルーカスは気付いていたが、手を上げて制止した。
「ちょっと待ってくれ。一服したい。家令殿、葉巻を一本頂いてもよろしいですかな?」
ルーカスは許可を求めながら、既に机の上の
「さっき、お前も言ったろう? 小公爵様がキャレ・オルグレンのことを、何かと気にかけていらっしゃった……と」
同じように葉先を切って火をつけながら、ルーカスは先程詰まらせた話を始める。ヴァルナルは頷いた。
「あぁ、正直、キャレはあまりよく出来たほうでもなかったからな。小公爵様も気遣って、色々と手助けされていたんだろうと思うが」
「そうだ。小公爵様としては、あくまでも少々出来の悪い近侍の少年を助けてやろう…という、まぁ親切心だったわけだ。それが女であったとなれば、馬鹿にされたようにも感じるであろうし、どこか気恥ずかしくもあるのだろう。そこについては、特に問題ではない。どちらかといえば、問題なのはキャレ ―― いや、カーリン嬢の方だ」
言ってからルーカスはハアァと長い溜息まじりの煙を吐いた。
以前に感じた危惧が、こうした展開を迎えるとは……
「カーリン嬢がオルグレン家で肩身の狭い思いをしていた、というのは想像に難くない。実際、話を聞いてもそうであったようだしな。おそらく彼女にとって、小公爵様は初めて目上で、自分に対して優しくしてくれた人物であったわけだ。加えて小公爵という立場も、公爵閣下譲りの容姿も、憧れるには十分だろう。憧れが過ぎて、淡い恋心となるのは当然の成り行きだ」
ルンビックもまたため息まじりに煙を吐くと、軽く首を振りながらボソボソと言った。
「あるいは小公爵様も薄々、感じておられたのかもしれませんな。それで女とわかった途端に、カーリン嬢に対してより拒否感が強まったのやもしれません。容姿も同じながら、あの年頃の公爵閣下も、女性に対しては厳しく接しておられましたからな」
「あぁ、女嫌いであらせられたものな。リーディエ様に出会うまでは」
ルーカスも同意すると、ヴァルナルは一人驚いた顔になった。
「そうなのか? 俺と出会った頃には、そうでもなかったような気がするが」
「閣下の人生はリーディエ様に会う前と会った後で分かれるんだ。会う前ときたら、今の小公爵様など可愛いと思えるくらいに、それはそれは恐ろしいくらい暗くて大人びた……もう子供というよりも、感情のない人形に近かったな」
ルーカスは言ってから、少しばかり喋りすぎたとしばらく黙り込んだ。全員が少し疲れた吐息をつく。淀んだ沈黙の中で、煙が闇へと漂っていく。
ルーカスは何度か煙を味わって、虚空へと吐いてから、再びカーリンに話題を戻した。
「……もし、カーリン嬢が小公爵様に惚れることまで見込んで、奴らが彼女を送り込んできたのだとすれば、これは相当にしたたかな企みだぞ。それこそ策に乗ってオルグレン家の失態だと責め立てれば、気付かなかった小公爵様を
「そのようなこと……!」
ルンビックは目を見開き、わなないた。持っていた葉巻を、苛立たしげに灰皿へとなすりつける。「そのようなこと、断じて避けねばならぬ!」
「もし、そのようなことになれば、キャレ……いや、カーリン嬢の小公爵様に対する純粋な気持ちも、奴らに利用されかねない、というわけか」
ヴァルナルも眉をひそめて重々しくつぶやき、ギリッと奥歯をきしませた。「そうまでしても、小公爵様の評判を落としたいか……!」
取るに足らない噂であっても、貴族社会において、それを武器とするのは常套手段であった。そうして、それらをうまく取り扱い、もっとも効果的に使ってこそ、洗練された、一流の貴族といえた。いまだに平民感覚の残るヴァルナルには、まったくもって肩の凝る話だ。
ルーカスは二人の様子を見ながら、葉巻を吸い、考えをまとめていく。煙を吐ききると、不敵な笑みを浮かべた。
「セオドア公子としては、厄介者の妹を送り込んで、自分はオルグレン家の当主となり、一方で小公爵様の評判を落とすことができれば、ハヴェルへの忠誠を示せる好機と思ったのであろう。妹のことなぞ、最初から使い捨ての駒程度にしか考えておらん。あるいは小公爵様に気に入られれば、それはそれで利用価値があるとでも思ったのかもしれないな。ま、一男爵家の公子風情の思惑にこちらが乗ってやる必要もなかろうよ」
ひとまずはあちらの思惑をかわすことはできた。それが今回の件についての、とりあえずの結論だった。しかし、物事はいつもそううまく運ばないものなのだ。
翌日、アドリアンとルーカスから言われて、カーリンを伴ってファルミナへと向かったエーリクは、翌々日の夜にはゴルスルム通りのルーカスの私邸に現れた。かたわらに暗い顔のカーリンを連れて。
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