第三百八話 皇太子アレクサンテリ
「……やれやれ。相変わらず、気味悪いのを引き連れてるなぁ」
アレクサンテリは大公の姿が見えなくなってからつぶやく。
アドリアンはムッと眉を寄せた。
「大公殿下はどのような者であれ、能力を見て判断されておられるのです。そうして今の
「おやおや。随分と、急に、またコロリと
「なつくとかそういうことじゃ……」
「そういうフザけた態度をお示しになるから、小公爵様からの信頼を得られないのですわ」
アドリアンが反論するのを遮って、鋭く言ったのはダーゼ公女だった。
アドリアンは今更ながらに、挨拶もしていないことに気付いて、あわてて自己紹介しようとしたが、それも公女は止めた。
「先に近侍の方の手当をなさったほうがよろしいでしょう」
「あぁ、そうだ。エーリク、チャリステリオ、マティアス。君らでキャレを医務所に連れてゆきたまえ」
「え?」
近侍を始めとしてアドリアンも呆気にとられた。
どうして皇太子がグレヴィリウス小公爵の近侍の名前を
見送ってから、ダーゼ公女が急に気落ちした様子で言った。
「ごめんなさい、グレヴィリウス小公爵様」
「え?」
「私、面倒ごとになるのが怖くて、少しためらったんです。お分かりかと思いますけど、シモン公子は何かと厄介な御方でしょう? できればあまり関わり合いたくなかったんです。でもそのせいで、あなたの近侍の方がひどい目に遭ってしまって。申し訳ないことをしましたわ」
「そんなことはありません。ダーゼ公女様のお陰で、僕は不用意なことをせずに済みました」
アドリアンは公女の生真面目な告白にやや面食らいながらも、彼女の誠実な態度に感謝し、頭を下げた。すると公女は麗しいその顔の中心に、不満そうな皺を作って、アドリアンの額をツイと指で押し上げる。
「それは確かにそうですわね。グレヴィリウスの名を背負う方が、そうそう頭を下げるなどしてはいけません」
ダーゼ公女はいかめしく言ってから、急にニッコリと笑った。その微笑は人並み外れた美貌からすると、どこか親しみがあって、アドリアンは少しハッとなった。
公女はツイとスカートの片方をつまみ、腰を少し下げて挨拶する。
「今更ですけど、初めてお目にかかります。ヴィリヤミ・アンセルム・リルクヴィスト・ダーゼの娘、ヴィオラ=ヴィーリア・ティルザ・リルクヴィスト・ダーゼと申します。忘れていただいても構いませんけど、今度会うときにはダーゼ公女ではなく、名前で呼んでいただけると、私も気安く接することができますわ」
アドリアンはハキハキとしたヴィオラの物言いに、
「エリアス・クレメント・エンデン・グレヴィリウスの息子、アドリアン・オルヴォ・エンデン・グレヴィリウスです。僕の方も、気安くアドリアンとお呼びください、ヴィオラ嬢」
ニッコリ笑いあうと、アレクサンテリが間から割って入ってきた。
「なんだよ、なんだよ。僕も混ぜておくれよ。あ~…ジークヴァルト・サムエル・ボーヌ・シェルバリ・グランディフォリアの息子、アレクサンテリ・エサイアス・カミル・シェ……」
「知ってます」
「存じております」
ヴィオラとアドリアンがほぼ同時に遮ると、アレクサンテリは「も~っ」と地団駄踏んだ。
「まったく、なにさ~。僕だって、わりと功労賞ものだったと思うのに」
「大公殿下のお言葉を胸に刻んで下さいませ。日頃からの行いによって、信頼と品性が育つのです」
「ヴィオラ、君は本当に十一歳なのか? 時々、僕の伯母さんかなにかなんじゃないかと思うよ」
「それは光栄ですわ。皇太子殿下の伯母であれば、からかわれることもないでしょうから」
ツンと言って、ヴィオラはそっぽを向いたが、そこに声がかかった。
「お嬢様! お探ししましたよ」
彼女を探していたらしい従者が、あわててやって来る。ヴィオラの顔が一瞬、嫌悪に歪んだが、すぐにフゥとため息をつくと、アレクサンテリとアドリアンに軽く頭を下げた。
「それでは私はこれで。あ、アドリアン様。一つ頼んでもよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「あの勇気ある赤毛の近侍に、お礼を言っておいて下さいまし。なんであれ、私は嫌な思いをせずに済みました。ありがとうと、お伝え下さい」
「………はい。わかりました」
アドリアンは頷き、従者と共に去るヴィオラを見送った。
その様子を見て、アレクサンテリがニヤニヤ笑う。
「おや~。やっぱりアドリアンも、『トゥルクリンデン(*ダーゼ公爵領)の宝玉』を前にするとメロメロになっちゃう?」
「なんですか、それは。僕は……ご身分のわりには、随分と気さくな方だと思ったまでです」
そう。普通、他家の近侍のために、わざわざ証言するなど面倒なことに首を突っ込まないものだ。まして公爵家の令嬢であれば、世間の雑事など知らぬとばかりに、超然と過ごすことが優雅とされるのに。しかも礼まで言ってきたことに、アドリアンはちょっと驚いて、すぐに返事できなかった。
アレクサンテリはハハッと笑った。
「まぁ~確かにねぇ。ヴィオラは真面目ないい子なんだよ。今をときめくダーゼ公爵家の一粒種だなんてのが、少々可哀相なくらい、いい子なんだよねぇ~。だから僕もちょっとばかりためらってるんだ」
「はい?」
「わかるだろ。彼女も
「そうですか」
「あれ? 嫉妬しない?」
「……皇太子殿下、そろそろ天幕に戻られたほうがよろしいんじゃないですか?」
アドリアンがあきれて言うと、アレクサンテリがガシリと腕を掴んだ。
「いやいや。むしろ、僕が君を探していたのは、実のところ別の理由でね」
「え? なんですか……離してください」
「いいからおいで」
「いや、あの……僕、キャレの状態を見に行かないといけないし……」
「死にゃしないよ、あの程度。それより、久しぶりに君に会いたいって人がいてね」
「僕に? 誰が?」
「さぁ~、行っくぞぉ~」
目を白黒させるアドリアンなどお構いなしで、アレクサンテリはがっしりと腕をつかみ引っ張っていく。
「ちょっと、どこ行くんです? 皇太子殿下!」
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