第三百七話 大公ランヴァルト

「どうして、ここに…?」


 アドリアンが呆然と尋ねると、皇太子・アレクサンテリはヘヘッと悪戯っぽく笑った。


「だって~、アドリアンがえらくあわてて走って行ったっていうからさぁ。しかも、シモン公子となんかあった~とか聞いてさ~。こりゃあ、見物に行かないとねぇ。僕、一昨年おととしの喧嘩は見逃しちゃったしね~」


 アドリアンは憮然となって、眉間に皺を寄せる。

 アレクサンテリがその皺を二本の指でニョイと引き伸ばしてきて、アドリアンはムッと手を払った。


「おやめください。見世物ではございません」

「おやおや。そんなことを言って。穏便おんびんに済ませるために、わざわざ大公殿下を連れてきてあげたのに? しかも人払いまでしてあげたのに?」


 まるで小動物が甘えてくるときのように、丸くてやや垂れ目の、アレクサンテリの紺青プルシアンブルーの瞳が、あどけない表情を見せる。だが、アドリアンはそんなあざとい皇太子の演技よりも、言われたことにハッとなって周囲を見回した。相当大きな声で怒鳴っていたのに、近辺に物見高い貴族の姿はない。


「いつから……?」

「さぁ? そんなことはさておき。大公、どうしよう?」

「左様でございますな……」


 アレクサンテリに問われ、大公であるランヴァルトが息子へと目を向ける。

 すぐさまシモンは目線を逸らしたが、大公はまるで地面の上を浮遊するかのごとく音なく移動し、息子の目の前に立った。


「弁明があれば聞こうか?」


 やさしく問いかける父に、シモンは唇を震わせながら答える。


「そ…それは…その……ですから、あの……だ、ダーゼ公女の……誤解……」

「ほぅ。誤解? ではグレヴィリウス小公爵の近侍に、暴行したことについては?」

「それは……無礼があったので、少し……戒めの…ために……」

「その上で、小公爵に対してまで、地に頭をつけて謝罪をするよう迫ったと?」


 シモンの手がブルブルと大袈裟なほどに震えた。穏やかな雰囲気を漂わせながら、厳しく自分を見つめてくる父の顔をまともに見れずに、ギュッと目をつむる。

 ランヴァルト大公はその姿を見て、かすかな吐息をもらし、息子の肩をそっと掴んだ。


「よいか、シモン。先程の公女の言葉、われはあれを嘘と思わぬ。なぜか? それは公女の品格がそうさせる。グレヴィリウス小公爵もしかり。とうとき身分であれば、品性を磨くことで、るべき信頼というものがあろう。だが、其方そなたにはそれがない。われが日頃、教え諭すは、そのことよ。まだ、わからぬか?」

「………わ、わかっております」

「わかっておるならば、今、ここで其方そなたの品性を示せ」

「…………」


 父の求めることがわからず、シモンは首をすぼめて縮こまるしかなかった。

 ランヴァルト大公は軽く目を閉じて、深くため息をつくと、アレクサンテリに向き直った。


「帝国のうるわしき太陽樹の青き枝、皇太子殿下の催される会にて無粋な騒ぎを起こしました。お許し下さい」

「いいよいいよ。むしろ、僕は面白かった」


 アレクサンテリは本当に愉しげに言って笑う。

 ランヴァルト大公はもう一度頭を下げると、今度はダーゼ公女と目を合わせる。


「ダーゼ公女、愚息が失礼致した。親として代わって謝罪する。お許し願えるだろうか?」

「もちろんでございます。むしろ、大公殿下にそのような気遣いを受けるなど、もったいないことでございます」


 ダーゼ公女はその麗しい姿を一切裏切ることのない、完璧なまでの作法で受け答えた。

 次にアドリアンを見るランヴァルト大公の紫紺しこんの瞳は、とても穏やかだった。


「グレヴィリウス小公爵。一昨年に続き愚息の数々の無礼、お詫びのしようもござらぬ。貴公の近侍については、十分に慰謝致しますゆえ、此度はお収めいただけるだろうか?」


 アドリアンは大公の意をすぐに汲み取った。つまり、前回のような家同士のいざこざにならぬようにしようと、申し出ているのだ。

 アドリアンとしても、それは願ったり叶ったりだった。これでまた問題を起こしたとなって、その発端がキャレだと公爵に知られたときに、キャレをこれ以上かばいきれない。おそらく近侍の任を解かれて、ファルミナに戻されるだろう。そうなればまた、異母兄を始めとするオルグレン家の人々から、がひどい扱いを受けるのは明らかだ。なんであれば、家の体面を傷つけた…と、より一層に虐待されることだろう。


「はい。僕も少し言い過ぎた面があったやもしれません。大公殿下のご配慮に感謝致します」


 アドリアンは心から感謝を込めて言うと、ランヴァルト大公はフッと笑った。


「グレヴィリウス公が羨ましい限りだ。このように賢明なるご子息が跡継ぎであれば、安心でありましょうな」

「……そんなことは」

「いいや、小公爵は近侍のために膝をつくことすらいとわれぬ。自らの部下を宝と思ってのことでしょう。故にこそ、あなたの近侍もまた、あなたに尽くすことを厭わぬ。これこそが理想的な主従の形です。わたくしも学ばせていただいた」


 あまりの賛辞にアドリアンは赤くなった。どう返答すればいいのか困っていると、大公はそっとアドリアンの頭に手を乗せた。


「また、ご指導いただきたいものだ」


 柔らかく微笑んで、ランヴァルト大公は去った。

 シモンらも後に続き、いつの間にかその場に来ていた大公家の騎士らしき人々も続く。

 列の最後尾には、夏だというのに灰色の長衣を着て、フードをすっぽりと被った、宴席には少々みすぼらしい恰好の人物が、ゆるゆるとついていった。

 アドリアンはすぐに思い出した。一昨年前にシモンとの喧嘩の仲裁に入った老人だ。名前をなんと言ったか……と、その背を凝視していると、ふいに老人が立ち止まり、振り返った。フードの奥から濁った目がこちらを見ている。焦点の合わぬ視線にアドリアンがたじろいでいると、ニヤリと笑って去っていった。

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