第六章

第三百四話 麗しき銀の髪の少女

 新年を告げる神官の声とともに、帝都では本格的なお祭り騒ぎが始まった。

 皇宮こうぐうでも宴会が連日のように開かれる。


 その中でも新生しんせいの月五日に開かれた皇太子殿下主催の園遊会は、同じ年頃 ―― 十二歳前後 ―― の子息令嬢が、ほぼ強制的に集められた。

 ましてグレヴィリウス公爵家の嫡男ちゃくなんであるアドリアンは、現皇太子とは同年齢で、顔見知りでもある。よほどの重病でもない限り、不参加など許されるわけもない。当然、その近侍きんじたちもしかり。


 ということでキャレもまたアドリアンに付き従って、おそれ多くも皇宮に初めて足を踏み入れた。

 帝都の公爵邸内ですら迷子になってしまうキャレにとって、皇宮は会場となっている庭園だけでも、その公爵邸がそのまま入ってしまうんじゃないかと思われる広さだった。

 青々とした芝生に、噴水、それどころかヤーヴェ湖に流れ入る川をそのまま造形の中に組み込み、小舟ゴンドラに乗って、ちょっとした川遊びまでできるようになっている。

 それ以外にもきれいに刈り込まれた植栽しょくさい、美しい彫刻の数々。しかもこれだけ広大であるにも関わらず、花壇に咲く花にしおれているものなど一つとしてなかった。

 キャレが圧倒されてボンヤリしていると、エーリクに腕を引っ張られた。


「ボーッとするな。迷子になるぞ」

「はっ、はい。すみません!」


 キャレはあわてて謝ってから、数歩先を進んでいたアドリアンがこちらを向いているのに気付く。だが、キャレと目が合った途端に、アドリアンはフイと逸らしてまた歩き始めた。


 あの夜会での一件以来、アドリアンはキャレを避けがちだった。

 怒っているのは明らかだ。

 気を失ったあと、目が覚めてからアドリアンに謝りに行ったが、態度はにべなかった。いつもなら「気にしないで」と優しく声をかけてくれるのに、今回ばかりは無言で頷くのみだった。

 どうやらキャレとエーリクの妹の間でアドリアンの腕を引っ張りあったことで、腕を傷めたらしい。それでも ――


「おとがめがないだけ、マシだ」


と、マティアスに言われて、キャレは頷くしかなかった。

 本来ならば、すぐさま近侍の役目をかれて、ファルミナに帰れと追い出されても、文句は言えないのだから。


 そのファルミナといえば、夜会での騒ぎを知っているだろう兄・セオドアからは、意外なことになんの連絡もなかった。すぐにもオルグレン家の帝都屋敷に呼ばれて、それこそ体罰も含めた叱責しっせきを受けることを覚悟していたのだが、まったく音沙汰がない。それがいっそう不気味だった。

 ……色々なことがキャレを追い詰める。

 晴れ渡った空のもと、目に映る壮麗そうれいな景色と裏腹な自分の心が重くて、キャレは長くため息をついた。


「ああして待っておられるのは、お前を気遣ってのことだぞ」


 エーリクが横から、小さく言ってくる。

 エーリクもまた、妹のせいでこんなことになったと、どこか申し訳ない気持ちがあるのか、キャレに何かと気遣ってくれる。今もアドリアンの態度にキャレが傷ついたと思ったのだろう。

 キャレはグッと唇を引き結んだ。


「はい。わかっています……」


 喉奥を詰まらせながら言って、先を歩くアドリアンの背中を追う。

 態度は冷たくなったが、アドリアンはやっぱり優しい。自分がその優しさに甘えて迷惑をかけたのだから、今は耐え忍ぶしかない。


 それにしても……と、キャレは前を歩くアドリアンの背中をまじまじと見つめた。

 初めて会ったときからすると、アドリアンは随分と大きくなった気がする。とくに帝都を出発してからここに至るまでの二、三ヶ月の間は、急に背が伸びたようで、二歳年上のテリィが「僕とほぼ同じですよ」と嘆いていた。

 そのテリィは、皇宮の園遊会でも相変わらず、食い意地が張っていた。


「ずーっとここで待ってても仕方ないだろ。あとで小公爵さまが戻っていらしたときに、どういう料理があるのかを調べておくのも、近侍の仕事だと思うけど?」


 皇太子殿下への拝謁はいえつのため、アドリアンはマティアスをともなって謁見天幕へと出向いていた。随行者ずいこうしゃは一人と決められていたので、マティアスがお付きになるのは必然だったが、残されたエーリク、キャレ、テリィは手持ち無沙汰で仕方ない。

 今日、どんな食事が用意されているかと、三日前から浮足立っていたテリィが、言い出すのは自明だった。

 テリィの言葉にエーリクは渋面だったが、ハァとため息をついて了承した。


「なるべく早く戻ってこい。キャレ、君もすまないがついていってくれ」


 キャレは正直行きたくなかったが、自分にテリィの監視を頼んだエーリクの気持ちも理解できた。一緒に行かないと、テリィは次々にテーブルを回って、おそらく一刻(*約一時間)以上戻ってこないだろうから。

 こうしてキャレはテリィと一緒に、庭園内の各所にしつらえられた、小さなテント下のテーブルを見て回っていたのだが、そろそろ帰ろうかと呼びかけたときに、「あっ」とテリィが声を上げた。


「どうしました?」

「あ、あれ、見ろ。オヅマだ!」

「えぇ?」


 キャレが驚いてテリィの指差す方を見てみると、たしかに亜麻色の髪の男の子が人の群れの間を歩いている。後ろ姿で顔は見えなかったが、背格好はオヅマに似ていた。


「……似てますけど、違うでしょう。オヅマなわけがない」

「いいや。わからないぞ。もしかして、早くに修行が終わったか……いや逃げ出してきたのかも。それで、僕らが皇宮でおいしい思いをしていると知って、あわてて追いかけてきたのかも」

「いや、ないでしょう」


 テリィじゃあるまいし……と、内心でキャレはあきれる。だが、後ろ姿だけは確かにオヅマそっくりだった。


「ちょっと、近寄ってみよう」


 テリィは言うなり、小走りに近寄っていく。いつもは大きなお腹をかかえて、何事にも鈍重どんじゅうそうに行動するのに、こういうときだけすばしっこかった。

 キャレは仕方なくテリィを追いかける。

 近寄るほどに、オヅマに似ていた。背格好だけでなく、なんというかにじみ出る雰囲気が……。


「キャレ、ちょっと声かけてみてよ」

「えぇ? 嫌ですよ。テリィさんが気付いたのですから、テリィさんが声をかければいいでしょう」

「そう言わず! 声をかけるだけだよ。別人だったら、振り向かないさ」

「嫌ですってば……」


 言っている間に人混みを抜けて、灌木かんぼくの間を進む散歩道のような場所に出る。

 そこでキャレは、オヅマと似たその人物もまた、その先を歩く銀色の髪の少女を追っていることに気付いた。少女に悟られぬように、そっと歩いている。

 キャレがいぶかしんでいると、そのオヅマに似た少年の右手に握られているものが目についた。

 飴細工だ。白鳥を模して作られた飴細工が、棒の先でキラキラ光っていた。


 少年はどんどんと少女に近づいていく。

 右手の飴細工が今しも少女の髪へと寄っていくのを見て、キャレはすぐにピンときた。おそらくこの少年は、前を歩く少女の銀の髪に飴細工を引っ付けようとしているのだ。

 こうやって気になっている少女にちょっかいを出して、少しでも知遇ちぐうを得ようとするのは、どの身分の少年であってもよくやる常套じょうとう手段だった。

 キャレにも覚えがある。

 ただキャレの場合は、二番目の兄による単純ないじめだったが。

 飴が髪にくっついたときの厄介さを覚えていたキャレは、思わず声を上げた。


「あっ、あのっ! ちょっと、そこの人ッ」


 人気ひとけのない道で張り上げた声に、前方を歩いていた二人が振り返る。

 少年の顔を見た途端、キャレはそれがオヅマではない、まったくの別人だとすぐにわかった。

 肌色も違うし、瞳の色も薄紫色の瞳ではなく、茶色だ。それに年齢もオヅマより年上だろう。もしかすると成人(*十七歳)しているのかもしれない。疱瘡ほうそうわずらったらしいあとが、額から頬骨にかけて点々と赤く残っていた。


 だが、キャレが思わず見蕩みとれてしまったのは、むしろそのオヅマに少年ではなく、彼が飴細工をなすりつけて、悪戯いたずらをしようとしていた女の子の方だった。

 燦々さんさんと照る太陽の下で、輝く銀の髪。両耳に垂らした軽く波打ったその髪は、銀色だけでなく、藤色が混じっていた。最近の流行らしい、ゆったりと結い上げた頭には、種々の花と真珠パールが留められ、それだけでも十分に華麗であったが、振り返ったその顔の玲瓏れいろうたる美しさは、言葉を失わせた。

 おとぎ話のお姫様でも、ここまで美しくはないだろう。もはや、妖精か女神の域だ。


 女の子は自分が呼びかけられたのかと思って振り返り、キャレをじっと見てくる。

 吸い込まれそうに丸くて大きな、美しくきらめく青翠あおみどりの瞳。

 キャレは目が離せず、ボーっと女の子を見つめた。

 しかし女の子の方は、自分のそばに立っていた飴を持っている少年 ―― というより男に気付くと、眉をひそめた。

 ギロリと睨みつけられ、男がきまり悪そうに目を逸らす。

 女の子は青翠の瞳にありありとした軽蔑を浮かべると、急にプイと背を向け、そのままスタスタと植栽の間に消えて行ってしまった。

 キャレは少しだけ残念に思ったが、すぐにそんな悠長な状況でないと悟る。


「なんだッ、貴様ッ!!」


 邪魔をされた亜麻色の髪の男が、不機嫌も露わに怒鳴りつけてくる。キャレはハッと我に返った。少女の美貌に、一瞬、男のことを忘れ去っていた。


「あ…あの…すみません。人違いでした……」


 キャレがあわてて小さい声で謝罪すると、亜麻色の髪の男はズイとキャレの前に立ち、腰に手を当て、肩をいからせた。


「人違いだと? この僕を誰と見間違えるというんだ? えぇ!? 僕は大公家たいこうけ嫡嗣ちゃくしシモン・レイナウト・シェルバリ・モンテルソンなるぞ。この僕を誰ぞと見間違える不敬をおかすとは、無礼千万!」


 キャレは一気に真っ青になり、その場にひざまずいた。地面に頭をすりつける勢いで下げながら、必死に謝った。


「も、も、申し訳ございません! その、大公子たいこうしさまと知らず……どうかお許し下さい!」

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