第二百九十七話 ハヴェルの奉仕隊(1)

 新年をあと数日後に控えて、アールリンデンも帝都ほどではないにしろ、どこか浮き立った雰囲気だった。市場などはいつもの店に加え、新年特有の暦屋こよみややら、来年の年神であるフィエンの像を売る店などが増えて、賑やかしい。

 レーゲンブルトもいる頃には、ラディケ村と比べてその規模の大きさに目を丸くしたものだったが、アールリンデンはまたひときわ盛大で、もはやラディケ村で行われていた新年の祭りなど、子供のままごとのようにすら思える。

 浮かれ気分の人々の間を抜け、人気ひとけの少なくなった井戸の前で、エラルドジェイが言った。


「じゃ、ひとまずここで別れるか」


 しかしオヅマは「いや」と、首を振った。


「ラオを紹介してくれ」


 エラルドジェイに頼んだのは、アールリンデンにあるホボポ雑貨店の亭主との橋渡しだった。店頭に置いてある花器だの、煙草入れだのを買うだけならば、エラルドジェイの顔利きは必要なかったが、オヅマが欲しいのはラオが隠れて扱うような品だ。


「え? あ、そっか。ラオのことも知ってたっけ」


 エラルドジェイが驚くと、オヅマはもはやのことを話したせいか、当然のように頷いた。


「あぁ。禿げ頭のおっさんだろ。髪の毛の代わりにヘンな入れ墨した…」

「入れ墨? そんなのしてないと思うけどな…」


 エラルドジェイが首をひねる。

 オヅマはハッと口を噤んだ。

 でラオに会ったのは、今のオヅマの年齢から数年経ってからのことだった。今は、まだ違う姿なのかもしれない。


「まぁ…とりあえず、行こう」


 オヅマはそのまま中心街に向かおうとして、エラルドジェイに止められた。


「おいおい。そっちじゃねぇよ」

「え? 日時計広場からメルドゥク路を抜けて、角にある噴水の前じゃなかったっけ?」

「そんないい場所にあるわけないだろ、あのボロ店が」

「ボロ店?」


 でオヅマが訪れたときには、アールリンデンでも指折りの大商家の店が並ぶ、中心街の一等地にあったのだが、それも違うらしい。


「こっちだ」


 エラルドジェイについていった先は、中心街から少しばかり離れた、粗末な住居が密集したいわゆる貧民街らしかった。ただ、オヅマので見た帝都の貧民街に比べると、落ちているゴミや汚物の類も少なく、劣悪な環境でもない。そもそも石畳が貼られて、下水溝なども備わっているような貧民街など見たことがない。むしろ帝都であれば、割合といい町の部類だ。


「まぁ、若様の近侍なんぞが、こっちにゃ来ないか」

「いや…レーゲンブルトから来て、朝の遠駆け以外で公爵邸から出たことなくてさ。あそこにいたら、必要なもんほとんどあるし」

「そりゃそうか」


 話しながら歩いていると、少し開けた広場のような場所に、人々が集まっていた。大きな天幕が張られた下で、身なりのきちんとした男と、下女らしき女が数人、やってくる人々に毛布を渡している。奥の方では何かスープのようなものと、いかにも固そうな黒パンが配られていた。

 いわゆる『施し』というやつだ。新年の前後になると、やたらと増える。

 ラディケ村でも、レーゲンブルトでもこうしたことは行われていた。

 もっとも昨年のレーゲンブルトにおいては、新年の祝いというよりも、領主であるヴァルナルの再婚を祝して、そのお披露目も兼ねた大盤振る舞いといった様相ではあったが。

 今も目の前で行われていたが、アールリンデンという都市まちの規模からすると、群がる人の数はさほど多くなかった。やはりこの地においては、帝都ほどに困窮した人が少ないのかもしれない。これもブラジェナの言っていた前公爵夫人・リーディエの社会奉仕活動の成果なのだろうか?

 オヅマたちが近づくと、天幕の中にいた薄茶の砂色の髪の男が目敏く見つけた。


「おや、公爵家の方ですか?」


 問いかけられ、オヅマは頷くしかなかった。

 アールリンデンに着くまでは、正直そこらの農民と変わらないような格好をしていたのだが、今日は公爵邸に入るので、騎士の訓練服を着て、公爵家の紋章が染め抜かれた、グレヴィリウスの色である青藍のマントを羽織っていたのだ。


「何をしてるんですか?」


 オヅマが尋ねると、男は微笑んで言った。


「ハヴェル様の篤志にて、アールリンデンに住む民が健やかに新年を迎えられるように、ささやかながら物品をお配りしております」

「ハヴェル…?」


 オヅマは眉を寄せて、居並ぶ人々と渡されている品物を見た。

 帝国の東北部に位置し、夏でも比較的涼しいアールリンデンとはいえ、この時期に毛布は必要としないだろう。おまけにスープとやらも、チラと木の椀の中身を見たが、なんだかよくわからない草のようなものが入っているだけで、灰汁あくらしき白い泡が椀の隅にこびりついていた。正直、おいしそうには見えないし、あまりよろしくない臭いもしてくる。

 目線を天幕に向けると、そこにはグルンデン侯爵家の紋章である白百合と金の弓矢が二本、刺繍されてあった。

 オヅマがジロジロと見回している間に、男のそばにやってきて耳打ちする者がいる。存在感のあるその姿に、オヅマはすぐに思い出した。以前に公爵邸の本館で、オヅマに嘘を教えてきたあの丸顔の、ずんぐりむっくり従僕だ。


「これはこれは。小公爵様の近侍が何故、このような場所に?」


 やたらと大声で(特に「小公爵様」を聞かせるように)、顔だけは相変わらず人良さそうな微笑を浮かべて尋ねてくる。

 周囲で施しを受けていた人々が、途端に眉をひそめ、コソコソとささめきあった。


「小公爵って、あの、我儘放題だっていう……?」

「とんでもない癇癪持ちで、少しばかり気に食わないことがあったら、すぐに暴れまわるんだってよ」

「公爵様も匙を投げていらっしゃるそうな……」

「まったく。リーディエ様もお嘆きであろう……」

「ハヴェル様はちゃあんとリーディエ様に育てられたから、いまだにわたしらみたいなモンにも、こうして気配り下さって……」


 耳を澄まさずとも聞こえてくる人々のコソコソ話に、オヅマは黙り込んだ。

 こうまでアドリアンのことがに伝わっていることに、内心、怒りよりも驚きがあった。公爵邸に籠もって、ほぼ町中に出てくることのない小公爵について、たとえ領民であってもそう詳しく知っているはずがない。だというのに、噂する人々はまるで見てきたかのように、誰もがアドリアンをで、の、な小公爵であると断定している。

 ここまでされているということは、つまり、そのようにということだ。

 それが誰の意図によるものか……。

 オヅマはスゥっと目を細めた。

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