第二百八十八話 ハヴェルとリーディエ(1)

 ブラジェナはその後も、折に触れてリーディエのことを語って聞かせてくれた。

 それまで我慢していた分、真正直で誰におもねることもないオヅマには、嘘偽りなく話せたのかもしれない。


「元々、リーディエ様は先代の公爵夫人で、閣下の母上であらせられるソシエ=レヴェ様の侍女だったの。なんでも夫人の遠縁であられたらしいわ。その頃には、実は別の方との婚約も決まっていて、グレヴィリウス家には花嫁修業として、お越しになったそうよ。そこで閣下と知り合われて…。リーディエ様は当時十五歳でいらしたから、二つ年下の閣下のことは、弟のようだったと、仰言おっしゃっておられたわ」

「年下? 公爵夫人って、閣下より年上だったのか?」


 オヅマは驚いた。

 帝国においては、結婚するとき、男よりも年下の女が好まれる。それは当然ながら、その方が子供ができる可能性が高くなるからだ。(もっとも貴族間であれば、そこは双方の思惑なども絡んで、年齢など後回しにされることも往々にしてあったが)


 これまで聞いただけでも、二人の結婚は障害が多かったであろうに、まして女性側が年上とあっては、尚のこと周囲からの反対は想像に難くない。


「えぇ、そう。女は…その…十二歳くらいから急に体つきも含めて成長が著しいから、きっと公爵閣下に会った頃は、それこそお姉さんと坊やといった感じだったのでしょうね」


 もちろんブラジェナも、その頃のリーディエのことは知らない。だからエリアスとの馴れ初めについては、すべてリーディエから聞いた話だった。


「本当はこんな話を、小公爵様にお聞かせできればいいのだけれど……」


 ブラジェナは寂しげに言って、お茶を一口飲んだ。

 ちなみにいつもこうした話を聞くのは、ブラジェナから午後のお茶に招待されたときになっている。

 オヅマはクッキーを齧りながら、内心首をかしげた。

 両親の馴れ初めなんて、さほどに興味もないだろう……と、オヅマなんかは思うが、アドリアンはまた違うかもしれない。


 ブラジェナは暗くなりかけた雰囲気を払うように、あわてて話を変えた。


「そうそう。それにヴァルナルを見つけてきたのも、リーディエ様だったのよ」

「え?」

「町で、剣の稽古をしているヴァルナルを見つけて…紆余曲折あって、騎士見習いとして公爵家の騎士団に入ることになったみたい。今にして思うと、やっぱりリーディエ様のご慧眼というか、先見の明あったればこそよね。だから、ヴァルナル・クランツもリーディエ様にだけは頭が上がらなかったの。それこそリーディエ様にとっては公爵閣下に続く、弟分みたいな存在だったのでしょうね。そのせいで閣下がたまにヴァルナルにまで嫉妬していたけれど」


 ブラジェナは当時のことを思い出し、クスクス笑った。

 オヅマは元からグレヴィリウス家門の騎士でもなかったヴァルナルが、どうして公爵に対してああまで頑なに忠実であろうとするのか、なんとなくわかったような気がした。

 皇帝陛下から黒杖を拝受してもなお、皇家直属の騎士とならなかった理由も。

 自らを見出してくれたリーディエと、そのリーディエの意思を尊重して取り立ててくれたエリアスへの恩義に、生涯かけて報いる。それこそがヴァルナル・クランツという騎士のもといなのだろう。


「一つ、聞きたいんだけど…」


 オヅマはライム水を一口含み、この際であるので公爵家の中で何かと話しづらくなっていることを、ブラジェナにぶつけることにした。


「ハヴェルってのは、どういう奴なんだ? 元々は別の家の子供だったんだろ? なんだって公爵の養子になったんだ?」


 オヅマの質問に、ブラジェナはしばし黙り込んだ。

 少し冷めたお茶を啜って、苦い顔で話し出す。


「それは……公爵ご夫妻が結婚されて、五年が過ぎてもお子様が出来なくて……それで色々と文句を言う者が多かったのよ。中には大っぴらに、離婚するよう迫ってくるようなのもいて……」


 公爵夫妻が貴族には珍しい恋愛結婚で、相思相愛であることは疑いもなかったが、にも関わらず、子供はなかなか生まれなかった。公爵夫人として後継者を生み育てることが、もっとも重要なことであると考える人々からすれば、この事実はリーディエという女性のを問うに恰好の的となった。


 もちろん、エリアスがリーディエと離縁することなど考えられない。

 しかし当時、公爵家を継いで間もないエリアスには、先代公爵以来の宿老たちを黙らせるだけの力がなく、普段は毅然としていたリーディエも、こと後継者問題については頭を悩ませた。こればかりは自分の意志と、行動力によって、どうにかなるようなことではなかったからだ。


 周囲の気難しく、口やかましい老人たちを黙らせるために、エリアスはハヴェルを養子として迎えた。

 義母妹であるヨセフィーナと、グレヴィリウス累代家臣であるグルンデン侯爵家の息子であれば、誰も文句など言えようはずもない。

 しかもそれまでエリアスに対して、やや距離を置いていたグルンデン侯爵家との縁を結ぶことで、家内一門の勢力図は大幅に書き換わった。


 こうしてハヴェルは大人たちの様々な思惑によって、公爵夫妻の養子となったが、エリアスの幼少期の不遇を知っているリーディエは、同じようなつらい思いをさせることだけはしたくなかったのだろう。

 幼くしてやって来た可愛い甥を、実子同様に愛情を持って育てた。


「とても、仲の良い親子でいらしたわ。ハヴェル様も最初は緊張なさっていて、なかなかうち解けることもなかったけれど、徐々にリーディエ様がハヴェル様の心をほぐしていったの。それこそ、知り合われたばかりの頃の公爵閣下と同じように……」


 ブラジェナは懐かしそうに、幸せであった日々を惜しむように、ハヴェルとリーディエについて語る。


 オヅマは尋ねたものの、どこか釈然としなかった。

 怪訝そうなオヅマの表情に、ブラジェナが首をかしげる。


「どうしたの?」

「いや……俺、ハヴェルに会ったけど」

「あら、本当? やさしいお方でいらしたでしょう」


 にこやかに言われて、オヅマはますます渋い顔になった。

 脳裏でハヴェルに会ったときのことを思い出す。

 一度目は、本館内にある公爵家代々の家族の肖像画が飾られた画廊、二度目は弓試合のときだ。

 一度目のときはルンビックの執務室を教えてもらったし、二度目のときには自らが負けることで、ヘンスラーの矜持を保ち、アドリアンにも一応花を持たせてくれた。やさしい……と言えば、やさしいのだろうが……。


「正直……あんまりいい感じはしなかった」


 素直に言うと、ブラジェナは寂しそうにうつむき、ため息をついた。


「マティアスからの手紙で、色々と話は聞いているわ。ハヴェル様が弓試合のときに、その場で恥をかいた弓隊長を助けて、小公爵様の印象が悪くなるように仕向けた…と」

「まぁ、そうかな……」


 少なくとも、弓部隊の隊長であるヘンスラーは、確実にハヴェルの味方になったことだろう。いや、元からどちらかというとハヴェル寄りではあった気がするが。


「私はその場にいなかったから、よくはわからないけど、ハヴェル様は別に小公爵様をおとしめようとしたわけではないと思うの。むしろ、それまであまり親しくしてこなかった弓部隊と小公爵様との間を取り持とうとして…」

「ないない。そういう感じじゃなかった」


 ブラジェナが言い終わる前に、オヅマは遮った。


「あいつ、笑ってるけど、目が笑ってないんだよ。ああいうやつ、信用できない」 


 思ったまま口にすると、ブラジェナの指導が入った。


「これ、オヅマ! いけませんよ。ハヴェル様は今でもれっきとした公爵家の継承序列二位でいらっしゃるのですからね。間違ってもなどと、不遜極まりない呼び方をしてはいけません!」

「えぇぇ?」


 不満げに大声をあげるオヅマを、ブラジェナは小さな子供を戒めるように睨む。オヅマはツンと口を尖らせて尋ねた。


「なんでそんなに庇おうとするんですか? 伯爵夫人はアド…小公爵さまの味方なんですよね?」


 ブラジェナはその問いかけに、ひどく難し気な顔になった。くるくるとスプーンでお茶をかき混ぜながら、その揺らめく波紋をしばらく見つめる。


「私は…味方だとか、敵だとか……そんなふうにハヴェル様を見ることができないの」


 ブラジェナは哀しげにつぶやいた。

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