第二百八十四話 ブルッキネン伯爵夫人(2)
ブラジェナはその後、オヅマへの尋問を一旦中止した。
控えていた侍女と執事に指示して、オヅマは領主館内の貴賓客用の応接室、エラルドジェイは使用人用の応接室にそれぞれ通された。
おそらく客人に向けて、もっとも高級な調度品で飾られた部屋のソファで、オヅマが落ち着きなく待っていると、気忙しい足音が近づいてくる。バタンとブラジェナが扉を大きく開いて入ってきた。
「お待たせしたわね」
ツカツカと歩いてきて、ブラジェナはオヅマの前に立つと、いきなり深々と頭を下げた。
「え? なに? いきなり……」
「ラッセと、馬を盗もうとしていたクート、昨日宿屋に向かったその他の騎士から詳しく、再度事情聴取をしました。随分と誇張され、部分的に虚偽もあったようですね。彼らに代わり謝罪します。申し訳ないことをしました」
オヅマはしばし唖然として頭を下げるブラジェナを見ていたが、状況を把握すると、途端に面倒くさくなった。
「もう、いいよ」
色々と文句も言いたかったが、誤解が誤解とわかったならば、これ以上蒸し返すのも時間の無駄だ。オヅマはそれで話を打ち切ろうとしたが、ブラジェナは頭を上げると、真面目くさった顔で続けた。
「ただし、彼らにも言い分があります。
まるで教師に諭されているような気分になって、オヅマはげんなりした。
この、最初から人を矯正しようとしてくるあたり、本当に出会ったばかりの頃のマティアスを思い出す。
「本来であれば、先程も申した通り、ヴァルナル・クランツ男爵に一報して、貴方への
どう考えてもそちらの勘違いが多分を占めていると思ったが、オヅマはあえて何も言わないことにした。もし言って、またくどくどと自らの正当性を言い立てられるのも面倒だ。
「それで? どうしてこの地に貴方が? マティアスからは貴方が帝都に行かず、なにか特別な訓練を受けに行ったと、聞いていますが」
ブラジェナは侍女に用意させたお茶を飲みながら、オヅマにシュテルムドルソンを訪れた経緯を尋ねてきた。
オヅマは少々渋い茶に顔をしかめながら、簡単に説明した。
「ズァーデン村のルミア=デルゼ老師の元で修行し、終わったあとに、この地のモンスという鍛冶屋に行くように指示されたんです」
「モンスのところに? どうしてまた?」
「剣を作ってもらうためです。修行が終わったと師匠に認めてもらったら、モンスに剣を作ってもらうことになってるみたいです。それで……」
「あぁ、そういうことね。でも、貴方も少し迂闊よ。シュテルムドルソンがブルッキネンの
「え? なんで?」
オヅマが不思議そうに尋ね返すと、ブラジェナはふぅとため息をつく。軽く額を押さえた。
「オヅマ。口の利き方に気をつけなさい。目上の人間に『なんで?』なんて、気安い口調で話すものではありません」
「はーい」
オヅマはブラジェナからそっと目線を逸らして、一応返事した。
まさかこの期に及んで、ブルッキネンという名前が、マティアスの姓であることに気付いていなかったとは言えない。言ったらまたそのことで『勉強不足ですよ!』と、新たなお説教が始まりかねない。
ブラジェナはオヅマのまったく反省がみられない態度に、眼鏡をクイと上げると、懇々と諭し始めた。
「よいこと、オヅマ。貴方はお母様がヴァルナル・クランツと結婚したことで
「はい、わかりました」
オヅマは素直に頷いたが、ブラジェナの説教はまだ終わらない。
「それに貴方は私の息子同様に小公爵様の近侍でもある。同じ近侍という
「………」
オヅマはもう作り笑いを浮かべたまま固まるしかなかった。
本当に、早く終わってくれ…。
しかし願いむなしく、ブラジェナは勝手にオヅマに領主館に逗留するよう決めつけてきた。
「どうせモンスのところで剣を作っている間は、ここで待つことになるのでしょう? であれば、この領主館に滞在すればよいのです。小公爵様の近侍ともあろう身分の者が、そこいらの宿屋にいては、宿の者たちも恐縮して困り果てることでしょう」
そもそも、そんな身分であることを明かしていなかったというのに、勝手にブラジェナが派遣した領主館の召使いによって、オヅマの身の上は知れることになってしまった。おまけにブラジェナは周到にも、
「まぁ、いいんじゃね? ふかふかベッドでぐっすり寝れるし、おまんまもたらふく食べられるし」
呑気にエラルドジェイは言ったが、ブラジェナは当初、エラルドジェイをオヅマの従者か何かと思い、使用人用の空き部屋を用意していたのだ。
しかし、オヅマはこれについては厳然と抗議した。
「ジェイは従者ではありません。彼は………恩人です」
ようやくオヅマが絞り出した言葉に、その場にいたエラルドジェイの眉がピクリと上がる。ブラジェナは、背後で微妙な表情になって黙り込むエラルドジェイに気付かず、オヅマに問いかけた。
「恩人ですって? 旅の途中でお世話になったの?」
「まぁ…はい。そうです」
無論、ブラジェナの言う旅というのは、ズァーデンからここに来るまでの旅のことを言っているのだろう。だが、オヅマの中で鮮明なのは、夢の中での、帝都までの長い道のりを、エラルドジェイと共に過ごした日々だった。
今更ながらに、痛感する。
あの夢で味わった多くの経験と、それに付随する感情は、もはや手に入れることはできない。寂しい痛みが、チクリチクリと胸を刺す。
「まぁ、貴方がそこまで言うのなら、こちらの方もそれ相応に遇するべきでしょうね」
ブラジェナはオヅマの意見を尊重してくれ、オヅマの隣の部屋をエラルドジェイに提供してくれた。
こういう話せばわかる対応をしてくるところまで、親子してそっくりだ。
オヅマはすっかり忘れ去っていた、口やかましい友を思い出し、苦笑した。
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