第二百八十三話 ブルッキネン伯爵夫人(1)

 ラッセにほとんど無理矢理に連れられて、オヅマはこの領地を治めるブルッキネン伯爵の領主館へとやって来た。

 シュテルムドルソンの中心部から少しだけ離れた場所にあるその建物は、元は北部要塞の一部であった無骨なレーゲンブルトの領主館と違い、どちらかというと広大な屋敷というに相応ふさわしかった。アールリンデンのもはや城ともいうべき公爵邸とは比べ物にならないが、それでも来る道すがらに見てきた商家の邸宅とは、格段の差がある。


 オヅマ達は門番に胡散臭そうに見られながら門扉を通ったものの、館内へは案内されず、最終的に辿り着いた場所は、灰色の石畳が敷かれた、いわゆる裁きの場だった。


 オヅマはまたため息がでた。


「これ、手に縄がかかってないだけで、ほとんど罪人扱いじゃねぇ?」


 エラルドジェイが言うのも、相槌をうつ気力すらない。

 既に昨夜の段階で、オヅマがレーゲンブルト騎士団に所属していることは、知っているはずだ。その上でこの扱い。

 どうやら迎えにきた威張りくさった騎士同様に、領主も話の通じる人間ではないようだ。いや、この時期であれば領主は帝都に行っているだろうから、行政長官といったところか。


「あーあ、さっきまではいい気分だったってのに」


 オヅマが空を仰いでぼやくと、張りのある女の声が響く。


「不満げな様子ね」


 上を向いていた顔を水平に戻すと、館から現れたのは松葉杖をついた女だった。

 モスグリーンの落ち着いた色合いの詰襟ドレスを着て、楕円の眼鏡をかけている。ぴっしりと後ろにひっつめた乱れのない金髪と、薄茶色の厳しい眼差し、尖り気味のややしゃくれた顎。

 オヅマはなんとなく見たことがあるような、奇妙な感覚にとらわれた。


 女は用意されていた椅子に腰掛けると、ゆっくりとオヅマ達を眺め回した。頭からつま先まで二往復したところで、大きくため息をつき、おもむろに口を開く。


「まったく……。レーゲンブルト騎士団も質が落ちたと、ヴァルナル・クランツに言ってやらないとね。他人の領地に来た挙句、馬を泥棒されそうになったからって、領主に文句をつけて、金をせびり取ろうとするような子供を寄越すなんて」


 まったく…のあとから続く言葉があまりにも早口で、オヅマはすぐに理解できなかった。

 ただ一言、一番違和感をもった言葉に反応する。


「金?」


 問い返すと、女は大きく頷いた。


「えぇ、聞きましたよ。意気揚々と黒角馬くろつのうまでやって来たはいいものの、うまく扱えなくて馬に逃げられたうえに、そのまま馬を盗まれそうになったところに、ラッセたちが来て、引っ捕らえてもらえたんでしょう? それで『ありがとう』と、素直に感謝して終わればいいものを…。なんですって? 騎士の馬を泥棒するような奴を野放しにしておいたのは、領主の責任だから慰謝料を支払えと?」


 オヅマは呆気にとられた。

 いったい何がどうなって、そんなことになっているのだろう? いや、首謀者は明らかだ。オヅマは女のそばに立つラッセを睨みつけたが、ラッセはフンとあさっての方向を向いて素知らぬ顔だ。

 女はオヅマがラッセを睨むのを見て、眉間に指をあて、苛立たしげにため息をついた。それから顔を上げると、キッと真っ直ぐにオヅマを睨み据える。


「この期に及んでその反抗的な態度はいかがなものでしょうね。素直に自らの行いを反省するなら、とりあえず不問にしましょう。ただし、クランツ卿には知らせますよ。彼から、たっぷりと叱ってもらいますからね」


 どうやらこの目の前の女は、ヴァルナルを知っているらしい。さっきからその名前を呼ぶときは、旧友に対するような気安さがある。

 それにしても ――― と、オヅマはもはや言い返すのすら面倒になってきて、じっくり女を見つめた。


 女である以上、領主ではないだろう。現在の帝国において、貴族の位を女が持つことは許されていない。例外的に継嗣となるべき男児のいない場合に、娘が父の爵位と領地を相続することは許されているが、爵位と領主の地位は与えられない。それも一定期間内に婿を迎えるか、自らの息子に譲ることが条件だ。


 では、非常に珍しいことではあるが、女の行政長官だろうか?

 帝都においては、まだまだ政治行政に女が関わることは少ないが、地方においては人材が少ないために、女性の行政官もいる。レーゲンブルトでも、書記官として二人、雇われていた。

 だが、いくら他領地の有能な官吏であったとしても、貴族であるヴァルナルを呼び捨てにするような非礼をするはずがない。そもそもそんな礼儀知らずな人間であれば、領主も雇わないだろう。女性の行政官は概ね、その優秀さを買われて雇用されるものなのだから。


 だとすれば、この目の前にいる、人の話を聞くこともせずに決めつけてかかる、横柄きわまりない女は…?


「貴様! そのようにジロジロと無遠慮に見るものではない! 伯爵夫人に対して、失礼であろう!!」


 有難いことに、オヅマに答えを教えてくれたのは、ラッセだった。


 歴史上においても現在においても、亭主を尻に敷いて、それこそ領主さながらに威勢を振るう女傑はいる。どうやら目の前の伯爵夫人も、その部類らしい。しかも居並ぶ騎士や役人たちの顔を見る限りにおいては、それなりに人を従えさせる力も持っているようだ。


「おやめ、ラッセ。言ってもまだまだ子供。分別を教えてやるのが、大人の役割というものですよ」


 伯爵夫人は部下をたしなめ、オヅマをジロリと見つめる。その目は謝罪を待っているようだったが、オヅマは無視した。

 内心、白けきっていた。

 とんだ三文芝居だ。いっそこのままここで捕まって、ヴァルナルに知らせてもらって、互いにどんな反応をするのか見てみたい気もしたが、そんなことになったら一番悲しむのはミーナだろう。

 泣かれでもしたらと考えるだけで、気分が萎える。

 さて、どうするか……?


 憂鬱な表情でオヅマが思案している間にも、伯爵夫人は気忙しそうに尋問してくる。


「じゃ、とりあえず名前を聞こうかしらね? お名前は? 騎士見習いの坊や。それと隣のお前は商人なの? 見たところ、商売道具も何も、持っていないようだけど?」


 伯爵夫人に問われて、エラルドジェイはニッコリと笑った。


「主に糸の行商をしております、奥様」

「糸の行商?」

「はい。ですが、土地土地を巡りますので、手紙を言付かったり、荷物を届けたり、別の土地の風聞を酒場で話し聞かせたりと…ま、様々に役立ててもらっております」

「ふん。如才ないことね。ま、いいわ。お前の名前は?」

「ジェイ=ロー・スムと申します」


 すらすら言って、エラルドジェイは深々と頭を下げる。完全な嘘ではなく、真実を織り交ぜて言うあたり、手慣れたものだ。 

 伯爵夫人はオヅマに目を向ける。そのときになって、オヅマは自分がまだ名乗りもしていないことに気付いたが、いざ名乗るとなると渋い顔になった。


「……オヅマ」


 口をとがらせて、ボソリと言う。

 伯爵夫人は聞こえなかったのか首をかしげて、耳をオヅマの方へと向けた。「なんですって?」


「大きな声で名乗れ!」


 案の定、ラッセが怒鳴りつけてくる。

 エラルドジェイがコツリと肘を小突いてきた。


「ちゃんと名乗れよ。いい加減、面倒だ」

「……わかったよ」


 オヅマはため息をつくと、さっきよりは大きな声で名乗った。


「オヅマ・クランツだ」

「オヅマ・クランツね…」


 伯爵夫人は復唱してから、ややあって動きを止めた。

 まじまじとオヅマを見つめてくる。


「オヅマ…クランツ?」


 問い返されて、オヅマは不貞腐れた顔で頷く。


「なっ…き、貴様! 嘘をつくな!! あのクランツ男爵の息子だと? 有り得んッ」


 ラッセが半ば驚き、半ば慌てたようにまた怒鳴ってきたが、オヅマは平然と言い返した。


「あぁ、そうかい。嘘と思うなら、それこそヴァルナル・クランツ男爵にお伺いをたててみるといいさ」

「ちょっとお待ちなさい!」


 伯爵夫人はラッセとオヅマ両方を制して、再び尋ねる。


「オヅマ・クランツ? 本当にあなたが、あの……オヅマだというの?」


 パチパチと目まぐるしく伯爵夫人は目をしばたかせる。

 オヅマは静かに息を吐いてから、礼儀作法で習ったとおりに、恭しくお辞儀してみせた。


「えぇ、左様でございます。伯爵夫人。このような形でお目にかかることができ、重畳ちょうじょう至極しごくにございます」


 言葉だけ丁寧であったものの、そこに気持ちは当然こもっていない。

 だが伯爵夫人は怒らなかった。唖然と口を開いたままオヅマを見つめて、目の瞬きがようやく収まると、ニッコリと笑みを浮かべた。


「なるほどね。あなたが……オヅマ・クランツ。フフ…息子が言っていた通り、生意気で傍若無人な坊やだこと」


 腕を組み、非難めいたことを言いつつも、オヅマを見つめるその眼差しに、先程までの峻厳とした冷たさはない。


「息子?」


 オヅマが問うと、伯爵夫人は大きく頷いた。


「えぇ、そうよ。あなたと同じ近侍の、マティアス・ブルッキネンは、私の息子よ」


 今度はオヅマが驚く番だった。


「マティの母親?」

「あら、マティなんて呼ばれているのね。随分と仲良くなったこと」


 伯爵夫人はそう言って、隣に控えた侍女の手を借りて立ち上がると、オヅマに軽くお辞儀した。


「私はこのスモァルト=シュテルムドルソンの領主、アハト・タルモ・ブルッキネン伯爵の妻、ブラジェナ・ブルッキネンよ。奇妙な出会いとなったものね、オヅマ・クランツ」


 上から見下ろす視線に、オヅマは最初に会った日のマティアスのことを思い出した。そうしてようやく、最初に伯爵夫人を見たときから抱いていた、奇妙な既視感の正体を悟ったのだった。

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