第二百八十二話 鍛冶屋のモンス
翌朝、起きて食堂へ向かうと、早々に宿屋の女将が謝ってきた。
「本当に申し訳ない。ウチの亭主がクートのヤツを入れちまったみたいで…」
貫禄のある女将のあとから、大柄な体をすぼませて宿屋の主人がやって来て、ひたすら謝りまくる。
どうやら昨夜、オヅマの馬を盗もうとしていたクートというのは、亭主の幼馴染で、昔からこの辺りでは悪童として知られ、いい年した今においても少々困り者であるらしい。
昨夜はめずらしく酒など持ってやって来たので、二人で酒盛りを始めたのだが、酒の弱い亭主は早々に眠り込んでしまい、あの騒ぎで目を覚まし、あわてて領主館に知らせたのだと言う。
一方、女将は眠ったら朝日を見るまでぐっすり寝てしまうタチらしく、昨夜の騒ぎもまったく知らず、朝になって亭主から聞かされたのだという。
二人からさんざに謝られた上、朝食にソーセージのおまけもあったので、オヅマはそのことについて二人に詰め寄ることはしなかった。
昨夜の騎士も、同じように自分の非を早々に認めて謝りさえすれば、ああまで嫌味たらしいことを言わずに済んだというのに、自分の役回りに権威がつくにつれ、無駄に威張るようになる部類の人間らしい。
「で、どうする? 一応、なんか領主館に来いって言ってたけど?」
エラルドジェイに尋ねられて、オヅマは平然と言った。
「予定通りだよ。まずはルミアに言われた鍛冶屋のオヤジのとこに行く」
「それから行くのか?」
「別に行く時間まで指定されてないだろ? 一応、顔は出すさ。気が向けば」
予定が決まると、二人はさっさと朝食を食べて、ルミアに言われた鍛冶屋のモンスを訪ねた。
応対した赤毛で吊り目の若い女は、つっけんどんな態度ながらも、ルミアからの紹介だと言うと、オヅマ達をモンスのいる鍛冶場に案内した。
まだ、仕事前なのか炉に火はなく、炭が入ったいくつかの木桶やら、大小のハンマー、ゴツそうな皮の手袋などが無造作に置かれた小さな作業場の中央で、
「お爺さん、お客さん。ルミア
女が素っ気ない口調で声をかけると、ゆっくりと老爺がこちらに顔を向ける。頭髪は寄る年波なのか、それとも元から短くしているのか、半ばまでツルリと禿げていたが、白い眉と髭がもっさりと老爺の顔を覆っていた。
使い込まれた
「ほぉ……ルミアの弟子が来るとはな…」
白い顎髭をしごきながら、モンスは興味津々といった様子でオヅマを眺めた。
ルミアと同じか、少し年上くらいの老爺であったが、大きな緑の瞳はまるで子供さながら好奇心をみなぎらせて、オヅマをまじまじと見つめてくる。
あまりに凝視されて、オヅマはやや仰け反った。
「…なに?」
眉を寄せて問いかけると、モンスはホッホ、と髭の間からくぐもった笑い声をたてた。
「いや、ハ、すまんすまん。ルミアの弟子がワシを訪ねてくるなんぞ…ヴァルナル・クランツ…いや、そのあとに一人、娘が来たか。久しぶりじゃて……それにしても……小僧、お前幾つになる?」
「新年には十三だ」
あえて現在の年ではなく、再来月に控えた新年になってからの年齢を言ってしまうのは、昨夜子供扱いされたことへの、ちょっとした抵抗があったのかもしれない。
モンスはそうしたオヅマの心持ちに覚えがあったのか、ホッホ! と朗らかに笑った。
「自らの年を
モンスはさっきまでのひん剥いた目とは逆に、見えているのか、見えていないのか、わからぬくらい細い目で、優しくオヅマを見て、両手を差し出した。
「手を見せてもらえるかの?」
「手?」
「そうじゃ。お前さんの剣を作らねばならぬでな」
「え? なんで?」
尋ねながらも、オヅマはつられるようにしてモンスに自分の手を乗せる。モンスは細い目を糸のようにして、穏やかに笑った。
「ホッホ。相変わらず説明をせん婆じゃな、あやつ。ルミアの元に修行に来よる奴は多くいるが、ルミアが弟子と認めて、技を伝授したと認める者はそうおらん。認められた者だけがワシの元に来て、剣を授けることになっとる。…これがルミアなりの弟子への餞別での」
オヅマはようやくルミアの意図を知り、言葉もなかった。
モンスの言葉ではないが、説明がなさすぎだ。こんなことなら、もっとちゃんと礼を言うべきだった。
オヅマが呆気にとられている間にも、モンスはオヅマの手を握ったり、指の一本一本の長さを自分の手で確認したりして、フムフムと頷きながら、構想を練っているようだ。得心すると、そっとオヅマの手を離した。
「フム…まだまだ成長するじゃろうし、最終的な
「本当に?」
「あぁ。お前さん、運が良いぞ。ちょうど、セトルデンからいい鋼が手に入ってな…」
セトルデンはサフェナ=レーゲンブルトと境界を接した、同じグレヴィリウス配下のシェットランゼ伯爵の領地だ。北にヴェッデンボリ山脈に連なる豊富な森林資源をもち、海に面した東には良質な鉄鉱石と石炭の取れる山があるので、昔から鉄鋼・鋳造の町として有名だった。昨日までオヅマのいたズァーデン村の東を流れる川の上流に位置しているので、下流にあるこのシュテルムドルソンに良質の鋼が入ってくるのだろう。
モンスはいくつかの鋼をオヅマに見せて、どれがいいか問うてきた。オヅマはよくわからないながらも、なんとなく気になったものをいくつか手に取って見比べる。その間、ずっと手持ち無沙汰にしていたエラルドジェイが、モンスに尋ねた。
「爺さん。アンタ、剣を作るなら
「
モンスはエラルドジェイの格好を見て、西方から来た商人と思っていたらしく、意外そうに尋ね返す。
エラルドジェイはゴソゴソと左腕に仕込んでいた
「これをちょいとばか、砥いでおいてもらいたくてね」
「おぉぉ…!」
モンスは唸り声をあげ、また目をカッと開いた。緑の瞳が爛々と輝きを帯びる。
「こりゃあ…お前さん、シラネの逸品じゃないか! この刃、この絶妙な反り、こんな鋭利な刃はシラネでしか作れん! ハ、なんとまぁ、美しく凄まじい…。さすが…さすがというしかない。これほどまでのものであるのに銘すら残さんとは…なんと勿体ない!! ハ、いやぁ…ハ、見事じゃ~」
ひどく興奮するモンスに、オヅマとエラルドジェイは目を見合わせる。
「シラネって…西の端っこにある国だったっけ?」
オヅマが尋ねると、エラルドジェイは自分でもうろ覚えなのか、首をかしげつつ思い出した言葉を連ねた。
「いや。どっかの集落? みたいのだろ。鍛冶屋ばっかが集まってる…みたいな。伝説の。本当にあるのかどうか知らないけど」
「そこで作ってもらったのか?」
「いや~…まー、もらった…つーか、戦利品っつーか…」
いきなり歯切れの悪くなったエラルドジェイに、オヅマは察した。
おそらく殺した相手からぶんどったのだろう。よりよい武器を求めるのは騎士だけでなく、殺し屋も同じだ。何であれば騎士よりも、より日常的に、より実践的に、殺傷能力の高い武器を求めるものなのだろう。
「よくもまぁ、あんな重いもんをぶん回せるね」
「そうなんだよなぁ。お陰で右の腕ばっか太くなってきちゃってさ。なーんか体が傾くんだよなー」
「だったら、四本もつけるなよ。二本で十分だろ」
「まぁ…そうなんだよなぁ。その方が軽いしな~。そうすっかな、この際」
話していると、ようやくモンスが興奮を鎮め、エラルドジェイに言った。
「ワシは砥は苦手じゃが、弟子の一人は得意にしとってな。若いが腕はえぇぞ。ホレ、さっきここに案内してきよった、無愛想な娘がおったじゃろう? アルニカと言うんだが…あいつに頼むとえぇ。えぇ仕事しよる」
「そっか。じゃ、彼女に頼むとしよう。それで代金だけどさ、この四本の爪鎌の二本をやるからさ、それでどうだい?」
「ホッホ~! えぇのか?! いや、ワシも嬉しいが…もう一人の弟子はシラネの剣に、そりゃあ憧れておっての。アンタがくれるというなら、有難い。研究熱心な奴じゃて、きっと十分に勉強しよるだろう。こうしちゃおれん。おい、アルニカ! おい、ケビ! 凄いモンがあるぞ~」
モンスはやっぱり浮足立つのを止められないようで、スキップしそうな勢いで作業場を飛び出すと、弟子たちを呼びに行った。しかしすぐに戻ってくる。再び現れたその顔は、うって変わって不機嫌極まりなかった。
「お前さんらに用があるらしいぞ」
ぶっすり言ったモンスの背後から、わらわらと現れたのは、昨夜の騎士御一行様だった。
「領主館に出頭せよと申したであろう!」
ラッセが居丈高に怒鳴るのを、オヅマとエラルドジェイは白けた目で見つめたあと、顔を合わせて同時に長い溜息をついた。
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