第二百八十一話 馬泥棒(2)
「これは、一体…」
困惑してつぶやく騎士の男に、「クート」と呼ばれた馬泥棒の男が、のんびりと声をかける。
「いやぁ、すまんなぁ、ラッセ。どうもタチの悪い胴元に当たってさぁ。身ぐるみ剥がされた挙句、金がねぇなら盗んできやがれときたもんだ。しかも、ちょうどこの坊や…あ、いや、この騎士様の馬が目に入ったのかして、かの有名なレーゲンブルトの馬だってんで、あれを盗んでこいって言われてさァ……いや、だから、俺も嫌だと言えなくて…」
クートはチラチラとオヅマの顔色を窺いながら、ラッセという騎士に話す
「どうやらこの男が失礼を致したようだ。本人も言っている通り、本意ではなかったことゆえ、この場は収めてもらいたい」
言葉は丁寧であったが、男がオヅマを子供とあなどって屈服させようとしているのは明らかだった。
オヅマはフンとせせら笑うと、腕を組んで問うた。
「それで? アンタらはここまで来て、コイツらを無罪放免にするってのか? とんだ
「保安衛士ではない! 私はブルッキネン伯爵配下の騎士、ラッセ・オードソンだ!」
一般的に衛士はその土地の役人が管轄する下級官吏であり、騎士は主君に忠誠を誓った直属配下なので、ラッセはオヅマの勘違いに猛烈に腹を立てた。
もっともこれは、オヅマもある程度予想した上でのことだ。
略式だが甲冑をつけ、主家の紋章を染めたマントを羽織ったラッセの格好からして、保安衛士でないことは既に承知していたから。(ちなみに保安衛士の制服は、灰と黒の縞模様の上着に灰色のズボン、堅いつばのついた黒の帽子だ)
「騎士であるなら、自分の言動に少しは気をつけるんだな。アンタはまず、この場での状況もロクに確認せず、俺をここで無駄に騒ぎを起こした無法者と決めつけた。その勘違いを謝りもしないで、次には馬泥棒を見逃してくれという。騎士にとって馬は剣と同じ。その重みを知っていて言うのなら、俺はアンタを騎士と認めないし、そもそも重みがわからないというなら、これもまた騎士といえないんじゃないか?」
ラッセは自分よりも遥かに年下の少年の、
「見逃せとは言っていない! こやつらは引っ捕らえる」
「あぁ、そうかい。じゃ、さっさと連れていってくれよ」
人を食ったような少年の物言いに青筋を立てつつも、ラッセはすぐさま配下の騎士に指示して、倒れているゴロツキ共と、馬泥棒をしようとしていたクートを捕えさせた。
「えぇぇ? 俺もォ?」
クートは不満そうに言いながらも、素直に縄に巻かれ、騎士たちに連れられていく。
「これでよかろう」
ラッセは尊大に言ってきたが、オヅマは冷めた顔だった。
「せいぜい牢屋に放り込んで終わりになりそうだな。レーゲンブルトなら、たとえ顔見知りであっても…いや、なんなら顔見知りである分、こんなことをしようもんなら、鞭の数が二十は増えたろうがな」
「こっ…ここは、レーゲンブルトではない! 領内の差配は領主様にある!」
「もちろんだ。じゃ、もういいよな」
「待て。今日はもういいが、明日、この騒ぎの
「はぁ? 仔細も何も、見た通りだろうが」
「双方の意見を聞いた上で、領主様に報告する」
オヅマはハーッとため息をついた。
なんとまぁ、四角四面というか、融通がきかないというか、馬鹿というか。この顛末を見ておいて、なにが双方の意見だ。
一方のラッセは、目の前の少年のいちいち人を小馬鹿にするような態度に、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
「なんだ、そのため息は! 見習い騎士風情が、生意気な。たとえレーゲンブルト騎士団に所属してようとも、この領内で騒ぎを起こせば、領主様によって裁定がなされるのは当然のことだ!」
わめき立てるラッセを、オヅマは相手するのも面倒だった。あさっての方向を見ながら、ひとり言のようにつぶやく。
「そもそも自分の領内で騎士の馬を盗むような輩がいるってことを、恥にもしない領主なら、何を聞いてどう裁きをつけるってんだか」
「なっ、なんだとッ! おのれ、我が
ラッセが腰に
オヅマはそれまで浮かべていた皮肉げな笑みすらもスッと消した。
音もなくラッセの間近に迫り、柄にあてたラッセの手を押さえつける。
ラッセはいつの間にか目前にいた少年の敏捷さにも驚いたが、自分の手を押さえつけるその力の強さにも息を呑んだ。
「ひとつ、さっきの泥棒に言っておけ」
静かでありながら、妙に圧迫してくる声が、ラッセたちの気勢を削いだ。
「
ラッセは言葉を失った。
子供とは思えぬその気迫、もはや殺気と言ってもいい。
そのままスタスタと宿に戻っていく少年を、止めることもできなかった。
困惑するラッセの肩をポンポンと軽く叩いたのは、白いターバンを巻いた西方の商人のような風体の男 ―― エラルドジェイだった。
「ま、今日のところはこのあたりで。俺らも一日中歩きづめで疲れて気が立ってるんだ。大目に見てよ。それと、この馬さぁ、よっぽど慣れた人間じゃないと、扱える代物じゃないよ。さっきの男、下手に連れて行こうとしてたら、蹴り殺されてたよ、この馬に」
「まさか…」
「知らないのか? レーゲンブルトの
ラッセは馬房の中から、自分を見下ろす黒角馬を仰ぎ見た。仄かに赤く目が光っている。
「あぁ~、興奮しちまったんだな。目が赤く光ってるときは、危険なんだ。さ、とっとと帰った帰った」
軽い調子で言われムッとしつつも、ラッセは踵を返した。それでもさっきまでの狼狽ぶりが己でも恥ずかしかったのだろう。ゴホンと咳払いして振り返ると、鹿爪らしい顔で言いつける。
「ともかく、明日にはお前たち両名で領主館に来るように。よいな?」
「ハイハーイ」
エラルドジェイは軽く請け負った。それは了承したからではなく、ここでオヅマのように反発したところで、事が長くなるとわかっていたからだ。こうした手合に理屈をつけて勝ったところで、大した意味もない。
ラッセもまた、少年に続き無礼極まりない男に渋面になったが、これ以上の詮議を続けても煙に巻かれるだけと感じて、喉奥に文句を押し込んだ。
この領内にいる間は、彼らの様子などいくらでも知りようはあるのだ。
宿に戻ったエラルドジェイは、既に寝息をたてて眠っているオヅマを見て、軽くため息をついた。
「…っとに。なんだって、あんなおっかない気配出すんだかな……」
ふざけたように言いながらも、エラルドジェイの顔にはかすかな不安がよぎった。
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