第五章
第二百八十話 馬泥棒(1)
エラルドジェイと交互にカイルに乗りながら、日が暮れた頃合いで、シュテルムドルソンにたどり着いた。
農作業を終えて家路に急ぐ農夫にモンスについて尋ねると、
「あぁ、おやっさんか。知ってるが、今日はもうやめておいた方がいい。あの親父、日が暮れたらもう寝るからな。一旦、寝たら朝日が昇るまでそう簡単に起きないんだ。っつーか、起こしたらそりゃあ…大変なことになるぞ」
と、いかにも戦々恐々とした様子で言うので、エラルドジェイと宿屋に泊まることにした。
「はあぁ…俺もすっかり田舎の暮らしに馴染んできたよな。日が暮れて眠くなってくるなんてさ…」
エラルドジェイは簡素な宿の食事のあと、すぐにベッドに転がった。
「明日は夜が明けたら起きて、モンスのところに行くからな」
「へーい。お前は? どっか行くの?」
「剣の素振り」
「やれやれ。ごくろーさん」
ヒラヒラ手を振って、エラルドジェイは体を横に向けると、すぐに寝息をたて始めた。オヅマは内心残念に思ったが、気を取り直して部屋を出た。
本当はルミアの家にいた頃のように一緒に稽古したかったが、今日はさすがにほぼ一日歩き詰めだったのだから、疲れているだろう。オヅマも疲れていたが、毎日の素振りは既に安眠のための習慣になっていて、たとえ三十回程度でもやっておかないと気持ちが落ち着かず、眠れない。
外に出ると、昼間の熱した空気とは違い、涼しい夜風が吹いている。
宿の小さな庭の一角でオヅマは軽く体を動かしたあとに、素振りを始めた。
集中していると、時間が経つのはあっという間だ。
軽く汗をかいて、そろそろ終わろうかというときに、オーン、オーンと低く鳴く声が響いた。ただの馬とは違う、
カイルの馬房の前で何者かが右往左往している。どうやら、カイルを盗んで連れて行こうとしているようだ。
「おい」
オヅマが声をかけたときには、既にその馬泥棒の背に短刀があてられていた。
「大した度胸だな。騎士の馬を盗むのがどういう事か、わかっているんだろうな?」
「ヒッ! ヒイィィッ!! す、すんませんっ」
馬泥棒はすぐさま諸手を上げて降伏の意を示したものの、即座に後ろから鋭い気合と共にビュン! と、斧がオヅマの脳天めがけて振り下ろされる。
「死ねッ!」
だがオヅマはわかっていた。仲間がいる気配は察知していたので、あえて声をかけておびき出したのだ。
馬泥棒をドンと押し、斧の攻撃をギリギリでよける。ブン、と斧は空を切り、勢いと重みでガッチリと土に刺さった。そのまま抜けなくなって「む、む」と、男は斧を持ったまま唸る。オヅマは斧相手に苦戦する男の脇腹を、思いきり蹴りつけた。急所をしたたか殴られて、男が地面に泡を吹いて倒れる。
すぐさま剣を持った男が向かってきたが、オヅマもさっきまで素振りで使っていた剣を抜くと、男の直線的な攻撃をあっさりとかわし、腕を斬った。
ギャアア、と斬られた男が騒いでいる間に、三人目が鍬を持って襲ってくる。同時にまた別の方向から大きめの石が飛んできたが、これらも難なくよけることができた。豆猿たちの動きと、四方八方から飛んできたスジュの実に比べれば、のろまでしかない。
柄の上半分を切って鍬の部分を落とし、驚く男の手を斬りつけると、再び飛んできた石をよけた。どうやら隠れた場所から石を投げているようだ。オヅマが石がくる方角へと走り出した途端に「うげっ」と悲鳴が上がった。
「……ご苦労さん」
オヅマが石を投げていたらしき男の場所にたどり着くと、一足先に来ていたエラルドジェイが、既に
オヅマはハァと息をついて、剣を鞘にしまった。
「あんたさぁ、たまにズルイよな」
「は?」
「いいとこ取りしちゃってさ。こういうのって、最後まで俺がやっつけないと、格好悪いんだって」
エラルドジェイはプハッと吹いた。口をとがらせて言うオヅマが、いかにも少年らしくて可愛らしい。
「オゥオゥ、可愛いことをお云いだよ、坊やが。ま、それはそうとして、また性懲りもなく泥棒しようとしてやがるぜ」
エラルドジェイが顎をしゃくると、最初に声をかけた馬泥棒が今しも馬房の柵を取ろうとしている。オヅマは軽く眉を寄せると、タンと軽く地面を蹴って、男に迫った。
「すっ、すんませんッ!!」
いきなり目の前に現れ、切っ先を突きつけられた男は、即座にその場にひれ伏した。オヅマはそれでも剣を男に向かって構えたまま、じっとりと睨みつける。
「さっきも聞いたよな。騎士の馬を盗むってのが、どういうことかわかってんのか? 殺されても文句は言えねぇんだぜ」
「ゆ、許してくだせぇ。アイツらに言われて、仕方なかったんで。アイツらの賭場でスッちまって、そうしたら盗んででも金を持ってこいって…」
「相手が悪かったな」
オヅマはすげなく言って剣を振り上げる。男がヒィッと声を上げると同時に、鋭い男の声が響いた。
「待て! 領内で勝手な真似は許さん!」
ガチャガチャと音をたてて、甲冑を着た騎士たちがオヅマたちを取り囲む。どうやら宿屋の主人が騒ぎを聞きつけ、通報したらしい。
オヅマに向かって剣を構え、なんであれば捕らえようとしているかのような騎士たちに、オヅマは鼻白んだ顔になった。
「大人しくしろ」
まとめ役らしい壮年の騎士が前に出てくると、オヅマをジロジロと見て問うてきた。
「誰かの従者か? 主人は?」
プハッと笑ったのはエラルドジェイだった。それまで気配に気付いていなかったのか、騎士たちが驚いて振り返ると、エラルドジェイはニヤニヤ笑いながら言った。
「そいつは従者なんかじゃねぇよ。一応、騎士…だっけ?」
「騎士見習いだ」
オヅマが憮然として言うと、先程オヅマに問うてきた騎士が、腕を組んでフンと睥睨する。
「騎士見習い? ウチではないな。どこの騎士団だ?」
「レーゲンブルト騎士団だ」
「レーゲンブルト騎士団だと? 我が領内に何の用だ!?」
「別にアンタらに用はない」
オヅマが冷淡に言うと、その騎士はムッとした顔になった。
「いずれにせよ、レーゲンブルト騎士団の者であろうと、このシュテルムドルソンにて騒ぎを起こすのであれば、拘束させてもらうぞ」
凄んで言ってきたが、オヅマはますます白けた。オヅマが子供であるとみるや、事の次第を問うこともしない。典型的な人の話を聞かない大人、だ。
オヅマは一つため息をついてから、ふたたび剣を鞘に収めた。
「その前に、ここでは自分の馬を盗まれそうになった場合、そのままくれてやれ…っていうことになってるのか?」
揶揄もあらわに尋ねると、まとめ役の騎士は「なに?」と地面に座り込んだままの男を見やった。小さな集落であれば、たいがいの人間が顔見知りであるように、どうやら馬泥棒とこの騎士も顔見知りであるらしい。
「クート! お前、また何を…」
言いかけて、ようやくそこが馬房の前であることに気付いたようだ。しかも馬房の中には、通常の馬では考えられないほどにデカく、黒い角のある馬がこちらをジッと見ている。
あわてて辺りを見回し、大きくもない庭の中で、数名の男が倒れていることに気付いた。
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