断章 - ハルカの忠誠 - Ⅲ

「お許し下さい。どうか、どうかお許し下さい……」


 目の前に跪く領主を、オヅマは無表情に見ていた。


「命乞いはそれで終わりか?」


 オヅマの隣にいた男が、冷ややかに尋ねる。

 黒い照りのある肌に、つややかな暗金髪ダークブロンドを丁寧に幾重にも編み込んだシューホーヤの血を引く騎士。薄暗い部屋の中で、蝋燭と同じ色の瞳は、まだ戦の興奮から抜けきっていないのか、剣呑な光を浮かべている。

 元々、主君からの命令で嫌々オヅマの下につくことになったので、鬱憤がたまっていたのだろう。残忍な戦いぶりだった。今も、不毛な敗戦処理など早々に終えて、さっさと居城ガルデンティアに戻りたいに違いない。


 男が剣のつかに手をかけると、跪いていた領主が後退り、あわてて背後に控えていた女二人を示した。


「どっ、どうか命だけは! この娘どもを差し上げますので! どうかッ」


 領主は必死になって懇願する。

 そこには髪を結う暇もなく連れてこられた、金髪と赤茶の髪の娘が二人、跪いていた。二人の娘のうち、赤茶の髪の妹らしきほうが姉にすがりつき、金髪の姉はギロリとオヅマを睨みつけた。


「ほぉ……」


 興をそそられたのは、つかに手をかけていたシューホーヤの騎士だった。

 コツコツと姉妹のほうへと歩み寄り、睨む姉の顎を捕らえて、不躾にまじまじと見つめた。


「ふん。なるほど……姉妹それぞれに嗜好する者がいそうだな」


 舐めるほどの距離で言われて、妹は姉の胸の中に顔を隠し、姉はベッと男に向かって唾を吐いた。


「嘆かわしい! 帝国に多大なる恩顧を受けてきたシューホーヤの騎士が、よくもこのような真似を!」 


 男はニヤリと笑い、頬についたその唾をグイと手の甲で拭ったあとに、姉の頭を引っ掴んだ。


「ふん! さすが皇宮こうぐうの侍女であらせられるだけありますねぇ。しかし、生憎と私はシューホーヤの血を引いていても、近衛このえの騎士ではございませんでねェ」

「近衛騎士でなくとも、かの地の民はみな、帝国からの援助を受けて生活しているのです! 貴方あなたとても例外ではないッ」

「援助ね……フン!」


 騎士はブンと姉をオヅマに向かって放り投げ、姉に駆け寄ろうとした妹の腕を掴んだ。嫌がって身をよじる妹の姿を楽しむように見て、無理やり接吻をする。じっくりと舐め回されたのか、妹はクタクタとその場に脱力した。


「ファル……」


 オヅマはそこでようやく声をかけた。「あとにしろ」


 しかしファルと呼ばれた男は、フフンと鼻で嗤う。


「今回は譲ってやったのだ。これくらいの恩賞はあってもよかろう? 心配せずとも、俺が十分にしてやったあとに、お前にやるさ」

「……くだらないことを」


 オヅマは軽くため息をつくと、自分の前で無様にこけたまま睨みつけてくる姉を見下ろした。

 姉はギリと唇をかみしめ、オヅマから目をそらすこともない。


けがらわしい…! 貴方が皇宮こうぐうに姿を現すようになってから、狂っていったのです。すべてが狂っていった!!」


 オヅマは自分をなじるその言葉に、なんらの苛立ちもなかった。ただ、問いかける。


「言うべきことは、あるか?」

「言うべきこと?」


 姉は鸚鵡おうむ返しに問い、ケタケタと笑った。


「言うべきこと……。あぁ、そうね。あるとすれば貴方が初めて皇宮にやって来たその日に、毒入りのお茶でも飲ませてやれば良かったと思うだけよ!」

「あまり意味がないな……」


 オヅマはつぶやくと、剣を抜いたかどうかもわからぬ速度で、首を斬った。


 自分に死が訪れたことも知らぬ姉の首が、ゴロリと転がる。

 妹の悲鳴が響いた。


「お姉さまあぁぁッ!! いやあーーぁッッ!!」


 そこに現れたのはハルカだった。

 静かに歩いてきて、悲痛な叫び声をあげる妹の姿を一瞥するが、表情が変わることはない。


「おやおや。相変わらずご同伴か、まったく。ハルカ、最近オヅマは忙しくて、相手してもらえないんじゃないのか? 、俺が相手してやろうか?」


 ファルがからかうと、ハルカはジロリと彼を見て生真面目に答えた。


らない。家中かちゅうの者は相手に選ぶなと言われている」

「ハッ! なんだなんだ、オヅマ。お前さん、そんなことまでご指導しているのか?」


 あきれたファルの前を通り過ぎて、ハルカはオヅマに一本の巻物を差し出す。


「連判状だそうです。ジョルスなる騎士が渡してきました」

「ジョルス!?」


 突っ伏して泣くばかりだった妹は、その名を聞いて、驚いたように顔を上げた。ヨタヨタと這いながら、ハルカの足にすがりつく。


「ジョルスは? ジョルスは無事なの?」


 ハルカはその細く震える手を払い除けることなく、泣き濡れた妹の視線を冷静に受け止めながら頷いた。それからオヅマへと向き直る。


「その騎士が、これを渡すことと引き換えに助命を願っております」


 オヅマはかすかに眉間に皺を寄せ、ファルはうすら笑いを浮かべ、娘二人を差し出した領主は、ワナワナと震えて天を仰いだ。

 その中でまたも、妹が哀しげに叫ぶ。


「嘘よ! ジョルスが…裏切るなんて!! 嘘、嘘ッ!」


 オヅマはハルカにジョルスを連れてくるよう指示した。

 現れたジョルスは、蒼白となった旧主には冷たい一瞥をくれたが、泣きぬれた目で自分を見つめてくる赤茶の髪の娘からは目を逸らした。


「ジョルス!」


 妹はジョルスに駆け寄ると、その腕を強く掴んだ。


「どうしてッ? なぜ父様を裏切るようなこと!! あなたは…あなた…言ってくれたじゃないの。私とずっと一緒にいてくれるって……私のことを愛してるって……」


 いつまでも自分を見ようとしないジョルスに、ふりしぼるように投げた問いかけは、最後には惨めな涙にかき消された。


「やれやれ……」


 ファルが半ば笑って、ポンと娘の父親である領主の肩を叩く。


「お嬢様は、騎士相手の恋愛ごっこに夢中であられたようですな」


 しかし領主はそんなことはどうでもいいように、オヅマの手にある巻物を凝視していた。


 オヅマは列記された名前を一通り見てから、領主のそばまで歩いてきて、目の前で広げてみせた。


「これが、全てか?」

「…………さようでございます」


 領主はもはや観念して、頭を垂れる。

 だがオヅマの瞳は酷薄な光を帯びた。


「一人、足りぬであろう?」

「………は?」

「もう一人、いるだろう?」

「………?」


 領主が怪訝にオヅマを見上げる。

 オヅマは控えていた従者にペンを持ってくるように言い、そのペンで巻物の中の、列記された氏名の一番最後に『ある人物』の名を書き加えた。再び巻物を広げると、書き加えられたその名を見た領主は、凝り固まった。


「ま……さか……」

「その顔は、つまり真実ということか」

「違います!」


 領主は激しく首を振り、否定した。

 蒼白の顔が、あっという間に赤紫に変色する。


「そのようなこと有り得ませぬ! 決して、決して……なんと畏れ多い、なんという……恐ろしきはかりごとを!!」

「ああ……そうだな」


 オヅマはそう言うと、巻物をもって背を向ける。


「ハルカ」


 名を呼んで軽く手を振る素振りをすると、ハルカはためらいもなく領主を斬りすてた。

 続けざまに肉親が殺される姿を見た妹は、もう悲鳴を上げることもできないようだった。呆然と倒れた父親を見るばかりだ。

 一方、死んだ領主を忌々しげに見てから、ジョルスはオヅマの前に跪いた。


「……どうか、我が主君として、我が剣に誠実をお与えください」


 騎士が主君との契りを結ぶときの、一つの常套句だった。

 オヅマは答えなかった。その場でジョルスを見下ろすだけだった。

 なかなか自分と契約を交わそうとしないオヅマを不審に思ったのか、ジョルスが顔を上げる。


「必要ない」


 その言葉と同時に、ハルカがジョルスの首を落とす。

 たった一人残された哀れな妹が、再び悲鳴を上げ、泣き叫びながら、彼の遺体にすがりついた。


「やれやれ……」


 ファルは肩をすくめて、軽く頭を振った。


「恨まれるぞぉ、オヅマ。命と引き換えに渡したものであろうに……」

「元より……関わりある者は、皆殺しせよとのご命令だ。例外はない」


 オヅマの声は硬く、冷たく、命令を下す。

 しかしそれまで躊躇なかったハルカは、剣を下げたまま、オヅマをじっと見つめた。オヅマは細いセピアの瞳を見返し、ゆっくりと瞬きする。それでもハルカは動かない。


「ハルカ」


 オヅマが諭すように名を呼ぶと、ハルカは唇を引き結び、背後から妹をグサリと刺し貫いた。


「あ……あぁ……」


 哀しげにうめき、妹はジョルスの上に折り重なるようにして息絶えた。

 ファルがその姿を見て、ヒャハハと嘲笑った。


「ハハッ! うん、いいじゃないか。報われない騎士と、世間知らずのお嬢様の恋の結末としては、上々だァ」


 オヅマはもう興味もなかった。すぐにその場を立ち去ろうとして、ハルカが跪く。


「……どうした?」

「………叱責を」


 オヅマはしばらくハルカを見つめると、手で軽く鶸茶ひわちゃ色の頭を押さえた。


「よくやった」


 感謝の代わりに言うと、ハルカは驚いたようにオヅマを見上げた。

 その様子を見ていたファルが胡散臭そうに首を傾げた。


「なんだかなァ…お前たち。まるで主従のようじゃあないか……?」

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