断章 - ハルカの忠誠 - Ⅱ
その後にオヅマは
「リヴァ=デルゼ師の娘、ハルカ=デルゼの指導をお任せ願えないでしょうか?」
「ほぅ…?」
珍しいオヅマからの申し入れに、主君は興味深そうに眉を上げた。
並び控えていたリヴァ=デルゼがすぐさま声を上げる。
「何を勝手な! 我が娘のことに、お前が口を出すかッ」
「まぁ待て、リヴァ=デルゼ。話を聞くとしよう」
主君がリヴァ=デルゼをなだめて、軽く首を傾げて見てくる。
オヅマは頭を垂れたまま、静かに申し述べた。
「リヴァ=デルゼ師の娘は、師のすぐれた指導によって、着実に力をつけております。ゆくゆくは優秀なる女騎士となるに違いありません。そうなれば、いずれは公女様の護衛として仕えさせるがよきように思います」
「ふ…む。そうだな。リヴァ=デルゼ、異論はあるか?」
リヴァ=デルゼはオヅマをギロリと睨みつけたが、主君の言葉を否定はできなかった。
「……いえ、そのようになればよいと思い、稽古をつけております」
「そうか。
「その娘をいずれ公女様の護衛騎士とさせるおつもりであれば、リヴァ=デルゼ師が教育を担うは不適当と存じます。公女様は
「ふ…」
主君は笑みを浮かべ、リヴァ=デルゼは激昂した。
「ふざけるな! 貴様!! 私を嘲るかッ」
オヅマはゆっくりと顔を上げると、冷たい眼差しでリヴァ=デルゼを見つめた。ふぅ、とわざとらしくため息をつく。
「…かように、閣下の言葉を待つこともなく喚き散らす有様にて」
「なッ!!」
リヴァ=デルゼは何も言えなくなった。顔が真っ赤になり、怒りに握りしめた拳が震える。その場にいる何人かがせせら笑った。彼らはこれまでにリヴァ=デルゼから散々、無能、愚物と馬鹿にされてきたので、痛快至極だったのだろう。
主君はチラリとリヴァ=デルゼを見てから、肘掛けに頬杖をついてオヅマに問いかける。
「それで? お前が教えるにふさわしいと言うのか?」
「…私は閣下より直接、薫陶を受けております」
オヅマの隙のない弁舌に、主君はハッハッハッと愉しげに笑った。
「弁術について、よく学んでいるようだな。よかろう。ではその娘のことは、これよりオヅマに任せることにしよう」
「閣下!」
リヴァ=デルゼはそれでも食い下がろうとしたが、主君は立ち上がり、軽く手で制した。
「
主の顔に浮かぶ笑みの裏側に、そこはかとない恫喝があることをリヴァ=デルゼは瞬時に感じ取ったのであろう。すぐさま恐縮したように頭を下げ、震える声で了承した。
そうしてハルカはオヅマの下で、貴族への礼儀作法も含め、剣術の指南を受けることになった。
数年の間に、ハルカはオヅマの意図した通り公女の護衛騎士となり、同じく公女の侍女となっていたマリーと行動を共にすることが多くなった。
マリーは喜んだ。オヅマがハルカの教育を任されるようになって、何度となくアンブロシュの屋敷に連れて行ったことがあったので、マリーにとって、ハルカは妹同然だったのだ。
ただ、ハルカが成長するに従って、有能な女騎士になってゆくのは喜ばしいことだったが、周囲の人間からの誤解にはオヅマも辟易した。
それはマリーですらもそうだった。
「お兄ちゃん。ハルカちゃんのこと、どう思ってるの?」
「…騎士見習いだ」
「それだけぇ?!」
マリーは不満そうに声を上げ、ブツブツと文句を言った。
「まったく。お兄ちゃんがそんなだと、ハルカちゃんが可哀相だわよ…」
オヅマはため息をついた。
マリーに限らず、ハルカとオヅマの仲について曲解する者は多かった。いちいち否定して説明するのが面倒なので放っておいたのだが、そのせいで無駄なおしゃべりを聞く羽目にもなった。
***
「残念だったなァ、オヅマ。その女の処女は俺が奪っちまったんだ。そっからはもう、どんな奴にでも股を開きやがって…とんだアバズレだ!」
大公家騎士団の金や備品を横領していた男は、追い詰められた挙句、愚にもつかないことを言い出した。
彼を追跡する任務を負ったオヅマは、ハルカを伴っていた。その頃になるとより実践的な訓練として、いくつかの任務を共に行うようになっていた。
下卑た笑みを浮かべる男を、オヅマは面倒そうに見た。
どうやら男はオヅマが驚き、動揺すると思っていたらしい。最後の最後に、せめて一矢報いる……というには、あまりにもお粗末な言動だ。
うんざりしながら、オヅマはハルカに「真実か?」と問いかけた。ハルカがいつものごとく、無表情にコクリと頷く。
「この男は、今、お前を誹謗している。どうしたい?」
「…どうでもいいです」
「じゃあ殺せ」
オヅマが言うなり、ハルカは男をバッサリ斬り捨てた。
オヅマは男の絶命を確認してから、ハルカに尋ねた。
「お前…コイツに抱かれたのは、お前の意志か?」
「私の…意志?」
ハルカは困惑したようにつぶやく。しばらく考えてから真面目に答えた。
「わかりません」
オヅマは眉を寄せ、男を見つめた。
ブツブツとしたニキビ痕が残る、下膨れ顔の醜男。身丈も背の高いハルカより頭一つ分ほど低く、腹も出張っている。
どう考えても、ハルカを組み伏せることができる手合ではない。
もし本気でハルカが抵抗していれば、即座に殺せただろうし、殺すのが面倒ならば気絶させれば済む話だ。
オヅマはため息をついて立ち上がると、ハルカと向き合った。
「お前の私事についてどうこう言う気はないが、男を選べ」
「……どのような男がいいのですか?」
そういう質問を普通にしてくるのが、ハルカらしかったが、オヅマは心底面倒臭かった。それでも答えてやらねばならない。ハルカは間抜けに見せて計算高い貴族令嬢のように、あどけないフリをしているのではなく、本当にわからないから聞いているのだ。
「……家内の者は控えろ。今回のように後々面倒になる。病気持ちは論外。あとは、この男のようにグダグダとくだらぬ事を言う奴はやめておけ。猿以下だ」
「わかりました」
ハルカはオヅマに言われたことを、おそらく胸の中で反芻しているのだろう。その生真面目な様子に、オヅマはまたため息をつく。
「お前、マリーに知られていないだろうな?」
ハルカは首を傾げた。オヅマは軽く首を振った。
「知っていれば、マリーが俺に何も言わないはずがないから、知らないんだろうが…知られることのないようにしろ。こうしたことは他人に秘すものだ」
「はい」
「マリーがもし知れば、心配する…」
オヅマがつぶやくように言うと、ハルカは少しだけ申し訳なさそうな顔になった。
「マリーはいつも私を心配します。私が傷つくことを知らないのが、可哀相だと言います」
「……そうだな」
「それと、マリーは私があなたのことを好きだと思っているみたいです」
「…あぁ」
オヅマは答えながら、歩き始めた。
一番近い宿場町に戻り、そこで男の死亡を申告する必要がある。保安衛士に大公家の金を横領した罪により男を処した旨を伝え、彼らに死体の始末を頼むのだ。もちろん処理費用を払って。
しばらく無言で歩いていたが、オヅマはふと立ち止まると、振り返って問うた。
「お前……俺が好きなのか?」
「いいえ」
ハルカは即答してから、急に片膝をついた。
「オヅマ、あなたは私の
まるで誓うかのようにハルカは言った。顔を上げ、オヅマを見つめるセピアの瞳がいつになく熱を帯びている。
だがオヅマはそのハルカの誓いを、物憂げに見つめるだけだった。
「……この場だけにしておけ」
つぶやくように言って、オヅマはハルカに背を向けると、再び歩き始めた。
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