第二百六十九話 エラルドジェイの稽古(1)

 一方、ズァーデン村にて ――――



「えぇ~、やだよ~」


 助けた対価として、オヅマの修行につき合うように言われたエラルドジェイは、手をヒラヒラ振って拒絶した。


「俺、誰かに教えたりとかすんの苦手だし、稽古とか、ちょー面倒」

「うるさいね。お前さんの得手不得手も、好き嫌いも知ったこっちゃないんだよ」

「横暴だなぁ、ばば様。俺に拒否する権利はないの?」

「なにが権利だ。お前やら私みたいな、地獄行きが確定している奴に権利なんぞあるもんかい」

「言ってくれるねぇ」


 エラルドジェイは不承不承に受け入れたものの、本人も言った通り、誰かに教えたりすることに一分いちぶたりと興味はなかったので、当然ながら稽古の手は抜きまくっていた。


「ちゃんと相手しろよ!」


 オヅマは怒ったが、


「本気だって~。オヅマが強いんだって~。降参、こうさーん」


と、まったくもって張り合いのないこと甚だしい。


 オヅマが相変わらず豆猿まめざる相手に格闘していても、高みの見物を決め込んで、何であれば木の上で寝ていることすらあった。


「よし、わかった。取引だ」


 オヅマは業を煮やして、エラルドジェイに言った。


「豆猿の森に入れ。一つも実をぶち当てられずに、川までたどり着けたら、もう修行につき合わなくていい」

「へぇ?」

「ただし、木の上に登るのはナシだぞ」


 豆猿たちは、まぁまぁ頭もいい。修行のときはルミアが口笛で呼ぶと集まってきて、木の下を通る人間に対して実を投げるように訓練されている。つまり木に登ると攻撃はしてこない。


 エラルドジェイはポリポリと耳裏を掻いてから、


「あぁ、いいよ。乗った」


と、気軽に引き受けた。

 日頃からオヅマらが修行している姿を見ていたので、おおよそは心得ているらしい。


「じゃ、始め!」


 開始するなり、オヅマは隣にいるハルカに目配せすると、二人ともスルスルと木に登った。

 ハルカは枝々を飛び移って先へと急ぐ。

 オヅマはエラルドジェイの動きを見ながら、自分もロンタの木から実をとって投げた。


 季節が過ぎたので、もうスジュの実はなく、豆猿たちはロンタの若い実を投げてくるようになっている。赤ちゃんの拳ほどの大きさで、皮の部分がまだ分厚くて固く、当たると地味に痛い。それに衝撃を受けると、赤い粉のようなものを出す。

 これで当たったかどうかの判別がしやすいのはスジュの実同様だが、洗濯が大変というところまで一緒で、オヅマは豆猿たちとの訓練の時は、もうそれ専用の服にしてあった。その服はもはや元の色がなんであったのかわからないほどに、気味悪く染まっている。


「おいっ! なんでお前まで投げてんだよッ」


 エラルドジェイはすぐにオヅマが投げてきたのに気付いて抗議してきた。

 抗議しながらも、豆猿からの実をよけているあたり、やはり尋常ではない。


「俺が投げないとは言ってない」


 オヅマはいけしゃあしゃあと答えながら、両手に四粒持って、一気に投げつける。


「そういうこすいことを……うおッ」


 豆猿たちとは違う速さの、かなりの勢いで飛んできた実に、エラルドジェイは飛び退ってよけ、その隙にまた別方向から飛んできた実をバシリと一つは足で蹴り、一つは拳で殴って落とした。


「あッ! 当たった!」


 オヅマは声を上げた。

 しかしエラルドジェイは、ポイと石を放り投げて笑った。


「ざーんねん!」


 いかにも馬鹿にしたように言って、また先へと走っていく。

 オヅマはエラルドジェイが落としていった石をチラと見て、チッと舌打ちした。どうやらいつの間にか石を掴んでいて、それに実を当てて落としたらしい。石に赤い粉がついていた。


 オヅマはまた枝を渡りながら追いかけた。

 しかし思っている以上に、エラルドジェイは身軽で素早く、もう木々の向こうに川面がキラキラ光るのが見え始めていた。


「おいッ! 蹴るのずるいだろ!」


 オヅマが怒鳴ると、エラルドジェイは面倒そうに見てから、こっちに向けて実を蹴ってきた。

 どこまでも人を食っている。


「クソッ! あいつ、本気だな!!」


 オヅマは腹が立ってきて、もう木から降りて走り始めた。

 すると今度はオヅマにも実が降ってくる。


 もはや実をけるのは癖となっていた。身を反らしたり、跳んだりしながら、オヅマはエラルドジェイの後を追った。

 途中でどうしてもけられそうにない実を手で掴んでは放り出し、蹴ったりするようになったのは、エラルドジェイの行動から即座に覚えたことだ。


 だが、もうエラルドジェイは川へと出ていくところだった。


「ハルカ!」


 オヅマが叫ぶと、エラルドジェイの前にハルカがぶらん、と枝から吊り下がった。


「おおぅ…っと、ハルカちゃん」


 正面衝突しそうになって、エラルドジェイはハルカを抱きしめた。ちょうど、そこは森の木々が途切れる境で、豆猿たちからの攻撃は止んだ。


「危ない、危ない。吹っ飛ばすところだ…」


 ハルカを抱っこしながら、エラルドジェイはヨシヨシとその背をやさしく叩く。

 ハルカはやっぱり無表情に抱かれるままになっていたが、エラルドジェイの背後に来ていたオヅマと目が合った。

 オヅマが頷く。


「ジェイ…」


 ハルカに珍しく名を呼ばれ、エラルドジェイはすぐに「うん?」と問いかける。その瞬間に、ゲシ、と額にロンタの実をなすりつけられた。


「よっしゃ、当たった!」


 背後でオヅマが快哉を叫ぶと、エラルドジェイは固まった笑顔のまま、クルリと振り返った。


「おい…」

「当たったもん。な? ハルカ」

「当たった」


 ハルカもエラルドジェイの腕の中でコクリと頷く。


「お前ら…」


 エラルドジェイは抱っこしたままのハルカと、オヅマの顔を三度ほど往復してから、ハァーっと息を吐いて、ハルカをゆっくり降ろした。


「……やられた。クソガキどもが」


 ボソリとつぶやいてから、エラルドジェイは楽しくてたまらないように大笑いした。

 オヅマも笑い声をあげ、ハルカは二人を不思議そうに見ていた。

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