第二百五十七話 グレヴィリウス家の夜会(4)

「ごめん、ヴァルナル。もう大丈夫だ」


 アドリアンは高座の手前で、送ってきてくれたヴァルナルに礼を言って離れた。


「気になさる必要はございません」


 ヴァルナルが断固とした口調で言うと、アドリアンは口元にだけ笑みを浮かべつつも、その顔は苦しそうに歪んだ。

 だが、短いきざはしを上り、ルーカスを始めとする護衛らの前、公爵の座る椅子の脇に直立したその姿には、もはや先程までの気弱なところは微塵もなかった。

 公爵の面差しそのままに、冷たく、何らの感情も見せない。


「公爵閣下の御出座おでましにございます」


 ようやく公爵の登場を知らせる従僕の声が響く。

 それまで雑談、あるいは悪口に興じていた人々は、すぐに口を閉じ、一気に広間は静まり返った。小さなしわぶきの音ですらも響くほどに。


 高座の横にあるドアが開き、公爵エリアスが姿を現すと、居並ぶ人々は揃って頭を下げた。

 エリアスは高座の中央に用意された、従僕五人がかりで運んできた大きな椅子に腰掛ける。軽く手を上げて、静かに告げた。


「よい。頭を上げよ」


 その言葉で、人々は一様に頭を上げたものの、目の前に座るエリアスのどんよりとした、端正なだけに一層冷たく感じる無表情に、また自然に目線を下に向けた。

 中にはそのまま目が離せなくなって、熱く見つめる婦人や令嬢もいたが、彼女らをエリアスが見ることはなかった。若い頃からそうした熱い眼差しを向けられてきたせいなのか、いつしか無意識に、自らに纏わりつく熱心な視線を遮断するようになっていた。


みな、無事帝都に到着したこと祝着至極である。今宵はゆるりと過ごせ」


 いつもながらの短く心のこもらぬ挨拶に、居並ぶ人々もまた形式的な辞儀を返す。

 家令ルンビックの合図で楽隊が音楽を奏で始めると、人々は再び動き始めた。



***



 この宴での公爵の出番というのは、ほぼ最初の挨拶に尽きた。

 彼がこうした宴席に興味がないのは明らかで、それでも公爵という立場柄、早々に立ち去るわけにもいかない。そのため彼はワインを一本あけるまでは、その座にいることにしていた。


 あらかじめ家令と補佐官で選定し、限られた者だけが公爵と談笑する(実際に公爵が『笑う』ということはほぼなかったが)権利を得た。その選定の基準となったのは、多くの場合、この一年の間にその家で結婚や出産といった慶事があったときである。弔事は会話が弾まないので忌避されるが、一旬節(*六十四年)を周るような大往生であった場合などは、故人の功績を讃えて偲ぶこともあった。


 今年初頭に亡くなった前シェットランゼ伯爵について、息子の新たなシェットランゼ伯爵がエリアスと話し終えた後、呼ばれたのはヴァルナルだった。

 高座に上がり、エリアスの前に立って深々と挨拶したヴァルナルに、公爵は肘掛けに頬杖をつきながら、くだけた口調で話しかけた。


「早々に難癖をつけられたようだな」


 既にヴァルナルがヨセフィーナに嫌味を言われたことを聞いていたらしい。


「……大したことはございません」

「フ…さぞ、皆、興味津々なのだろう。手ぐすねひいて待っていたようだが、今回は出鼻を挫かれたといったところか。しかし存外残念なのは、其方そなたのほうではないのか?」


 そう言って公爵が秀麗な面に少しばかり微笑をひらめかせると、高座の下からチラチラと窺い見ていた数人の婦人たちから、軽い驚きの声と溜息が混ざって聞こえてきた。ヴァルナルは声のしたほうをチラリと一瞥してから、またエリアスに向き直って問い返した。


「……と、申しますと?」

「見目麗しい妻女を自慢したかったのではないのか? 本心では」

「え?」


 考えてもいなかったことを言われ、ヴァルナルは詰まった。

 酒が入ったせいだろうか。いつも峻厳なとび色の瞳は柔らかく、長年の気安い友人へのが混ざっていた。

 ヴァルナルは苦笑しながらも咳払いすると、澄まして答えた。


「まぁ、否定はいたしませぬ」

「フ…言うことよ。そういえば、男爵夫人の饗応への礼がまだであったな」

「そのような。当然のことをしたまでです」

「いや、辺境の地であるのに、必要にして十分なる心遣いであった。ああしたときに、過度な饗応もてなしをしてくる者もいるが、男爵夫人は誠に最善を知る。男爵の薫陶のよろしきもあったのであろう。後ほど目録を送るゆえ、受け取れ」


 目録、というのはつまり礼品の目録のことだ。

 これはヴァルナルに対して、先だってのレーゲンブルト訪問について感謝の品を贈るということだった。

 目録のある礼品を贈る、ということは、公爵家の公式年事録に記載されることを意味する。膨大なグレヴィリウス家の史録に、たとえ一文であったとしても名が残るのだ。

 それまでにもクランツ男爵の名は、公爵家史録に幾度となく記載されているのに、戦乱が静まって尚栄誉を受けることに、人々は羨望と同時に、彼が確実にをつけていっていることを感じた。


 このことも含め、彼の息子が小公爵の近侍として付くようになったことを鑑みても、公爵であるエリアスが、ヴァルナル・クランツ男爵を信頼していることは明らかだ。

 無論、エリアスもそうした人々の反応を計算の上で言っているし、その公爵の意図を汲み取るのが貴族というものであった。


 先年の新年の上参訪詣クリュ・トルムレスタンへの随行を禁止されて以来、クランツ男爵は公爵の不興を買い不仲となったと、まことしやかに囁かれていたが、今回のことでその噂が立ち消えるのは間違いなかった。


 そうして公爵と男爵との会話を聞き齧った者たちによって話が口々に伝わる中で、公爵と男爵との仲を取り持ったのが、クランツ男爵の二番目の妻となった、平民出身の美しい男爵夫人らしいと、人々は新たに噂し合った。

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