第二百五十六話 グレヴィリウス家の夜会(3)

「まぁ、ハヴェル」


 ヨセフィーナは息子が急に割って入ってきたことに、少々驚いたようだった。しかしすぐに笑みを取り戻す。


「イェガ男爵とのお話は終わりまして?」

「えぇ」


 ハヴェルは母親と同じような心のこもらない笑みを貼りつかせて、ヴァルナルに問うた。


「どうかされましたか? クランツ男爵」

「いえ……」


 ヴァルナルは一歩さがった。今は自分がしゃしゃり出る必要はないだろう。

 ハヴェルはヴァルナルからアドリアンに目線を落とすと、小首を傾げた。


「どうしたんだい、アドリアン。顔色が悪いね」

「いえ。そんなことはありません」


 いつになく強い口調で言い切って、アドリアンはハヴェルと目を合わすのを避けた。

 ヴァルナルは何気なくアドリアンを隠すように立ち、ルーカスがハヴェルに声をかけた。


「お母上をお探しでしたか」


 質問ではなく断定して言ったことで、ここでもルーカスは婉曲な本心を滲ませた。つまり ―― 母親を探しに来たなら、とっととその女どもを連れてあっち行け!―― ということだ。


 しかしハヴェルはわざとなのか、それとも本当にわからないのか「いや」と即座に否定した。


「母上を探していたわけじゃないんだが、リーディエ様のことを話しているのが聞こえてきたので、何の話かと思って……」


 言い終わらぬうちに、ヨセフィーナがまた無邪気に(見せかけて)割って入る。


「まぁ、ハヴェル。大したことではありませんよ。アドリアンが公爵閣下にあまりにそっくりだと話していただけです。亡き公爵夫人がご覧になられたら、自分に似たところのない息子に、少しばかり、がっかりなさるんじゃないかしら? とね」

「がっかり……?」


 ハヴェルは顎に手をやってしばらく考えながら、ヴァルナルの背後にいるアドリアンを見やる。

 目が合うと、アドリアンはまた視線を下に向け、逸らした。

 ハヴェルは優しく微笑んで言った。


「リーディエ様なら、がっかりどころかお喜びになると思いますよ。公爵閣下の小さい頃の姿を見ることができた、と。なにせ公爵閣下のご幼少の頃の絵は一切ございませんから」


 ピクリとルーカスは眉を上げる。

 ハヴェルの意図に、一瞬、怒りが沸騰した。


 現公爵エリアスの母は、前公爵の正妻であったソシエ=レヴェとなっているが、実のところはソシエの妹であったミシアだった。

 第一子であるエレオノーレ公女が生まれたのちには、前公爵夫妻はほとんど言葉を交わすこともなく、当然ながら夜を共にすることもなくなってしまっていた。そうした中で前公爵は妻の妹であるミシアと情を交わすようになり、生まれたのがエリアスだった。

 だがエリアスを産んだミシアは、姉との不和が生じることを望まず、公爵邸から遠く離れた別邸で息子と共に暮らすことを選択した。ミシアはエリアスが三歳の年に風邪をこじらせて肺を病み、そのまま亡くなった。

 その頃には側室のエルダフネがヨセフィーナを産み、また二人目を妊娠していたために、ソシエは急遽、妹が生んだ子供を実子として引き取り、彼を後継者として認めさせたのだ。

 自分の地位を安泰にさせるために引き取っただけの、自分の夫を掠め取った妹の子供に、愛情などあるはずもない。エリアスは公爵家において放置されたも同然だった。

 一般的な貴族の親であれば、幼少時の可愛い盛りに、自分の子供の絵を描かせるものだったが、そうした理由でエリアスの幼少時の絵は一切ないのだった。


 公爵家内において、エレオノーレの恥辱にまみれた死以上にこの話は禁忌で、アドリアンですらも父の出生についてなど知らなかった。

 しかしハヴェルはあえて匂わせるような発言をすることで、自分もまた公爵閣下からの信任が厚いことをルーカスに示したのだ。


 しかも糾弾される前に、それ以上の言及を避け、早々に話題をリーディエに戻す。


「母上、それにオデル子爵夫人も、リーディエ様についてよく知りもしないのに、勝手なことを申し上げて、小公爵様の御心を乱すようなことはお控えください。、亡くなられた母親のことを、小公爵様がご存知のはずもございません。本当か嘘かも、判断できぬことでしょう」


 ハヴェルは巧みに同情を交えながら、母親とその取り巻きたちを叱責した。


 アドリアンは無表情に聞きながら、また背にゾッと寒気が這い登ってきた。

 いつもこうだった。

 ハヴェルはいつもこうやって、アドリアンの心を凍りつかせ、身動きさせなくするのだ。


 ヴァルナルもルーカスも、アドリアンを守ろうとしているハヴェルを止めることができない。


「小公爵様にとって、母上はもっともちかしい、女性の親族であられるのですよ。母代わりとして、情誼じょうぎを尽くすは当然のこと。もしリーディエ様が母上の立場であれば、きっと慈愛をもって温かく接してくださったことでしょう。そういう方でございましたよ、は」


 ハヴェルは懐かしそうに、その呼び方を口にする。眼鏡の奥の琥珀アンバーの瞳には、かすかな寂寥せきりょうが滲んでいた。


 ヨセフィーナは鼻白んだ顔になってから、すぐに隠すように笑ったものの、どこか強張っていた。

 ジロリと上目遣いに息子を見る目には、明らかな苛立ちがあった。

 しかしハヴェルは、母親からの強い視線にもまるで気付いていないかのようだった。

 うっとりとした微笑を浮かべて、アドリアンを見つめる。


 ヴァルナルはアドリアンの肩にそっと手を置くと、ズイとより前へと進み出て、ハヴェルからの視線を完全に遮った。


 アドリアンは下を向いたまま、固まっていた。

 自分が何を言われたのか、理解できなかった。

 耳に入ってきたハヴェルの言葉について、頭が考えることを拒否している。


「おや? 小公爵様のご気分がすぐれないのかな?」


 ハヴェルがいけしゃあしゃあと問いかけ、ルーカスが受けて立とうとしたとき。

 公爵の登場を予告する音楽が、重々しく鳴り始めた。


 ルーカスは開きかけた口を閉じると、ハヴェルに辞去の礼をすることもなく、さっさと公爵の椅子が置かれた高座へと向かっていった。


「小公爵様、参りましょう」


 ヴァルナルもアドリアンを促して、ルーカスの後についていく。

 その場を離れる間際にチラリとハヴェルを一瞥した目は厳しく、怒りが滲んでいたが、ハヴェルはにこやかな笑みを崩さなかった。

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