第四章

第二百五十二話 主従のささやかな復讐

 二十日近くの旅程、帝都へ入る北大門サザロニアーザの前で待たされること三日目にして、帝都郭内へ。それから半日近くをかけてようやくグレヴィリウス公爵の帝都本邸にたどり着いたとき、さすがにアドリアンも疲労困憊で、自室に入るなり長椅子に転がった。


 こういうときにお小言を言いそうなマティアスは、帝都にある自家の館へ行っている。

 いつもであれば、帝都到着後の一切の差配は、マティアスの母であるブルッキネン伯爵夫人が行っていたらしいが、その夫人が領内で事故に遭い、負傷して今回は来られないので、慣れない父を手伝うためだった。

 幼い頃から伯爵家における当主の仕事を近くで見てきて、それらを詳細に記していたというマティアスであればこそ、可能なことだろう。


 そこへくると、テリィもまた、年輩の祖父が心配なので、身の回りの世話をしてやりたいと、一時的な暇乞いをしてきたものの、果たして本当にテリィに人の面倒が見れるのかどうか疑問だった。

 それにテルン老子爵のことはアドリアンも見知っていたが、印象としては矍鑠かくしゃくとした元気な老人だ。慣れない孫に世話などされても、一喝しそうに思うが、追及はせずに許可した。許可しないと、また泣きだしそうだったから。


 キャレとエーリクはアドリアンにいて公爵邸まで一緒に来たものの、キャレが体調を崩してしまい、馬車内でほとんど寝込んでいる状態であったので、エーリクに自室まで運んでもらっている。


「お疲れですね。お茶を用意致しましょう」


 サビエルはさすがに従僕として、あるじの前で疲れた溜息をつくようなことはなかった。いつも通りに、アドリアンの望むことを汲み取って動いてくれる。


「うん。頼む。喉が渇いた」


 サビエルが部屋を出ていくと入れ違いに、エーリクが姿を見せた。


「キャレは部屋で寝かせておきました」

「あぁ、ありがとう。どう? キャレの様子は?」

「風邪ではないようです。熱もないですし、咳などもしてません。一応、医者に見せようと言ったのですが、当人がしばらく寝れば治るというので、とりあえず寝かせています」

「そうか。まぁ、初めての新年の上参訪詣クリュ・トルムレスタンだし、馴れなくて疲れが溜まったんだろうね。今日のところは、食事も部屋でとるといい。エーリク、今日は来たばかりで、おそらく使用人たちは忙しくしているだろうから、君が気にかけてやってくれ」


 いつものことだが、到着初日の帝都の公爵邸は猫の手も借りたい忙しさとなる。

 公爵のことはもちろん、一緒に公爵邸に逗留する貴族の対応までせねばならないからだ。

 アールリンデンにおいてもそうであるように、帝都の公爵邸においても軽視されている小公爵の、その近侍のことなど、正直まともに面倒をみてくれる保証はない。


「はい。では私がキャレと同室ということでよろしいですか?」


 エーリクが尋ねたのは、広大なアールリンデンと違い、この帝都公爵邸内では近侍は二人で一部屋があてがわれるからだった。

 特に部屋の割り振りは決められていなかったが、マティアスとテリィがおらず、体調を崩したキャレの面倒を見るのであれば、必然同室になる。


「うん、その方がいいだろう。キャレもマティと一緒だと、ずっと怒られてるみたいで気が休まらないだろうし、テリィだと我儘につき合わされて困るだろうから。エーリクだったら、一番休めるだろうしね」


 話している間に、サビエルがワゴンを押して入ってくる。


「おや、エーリク公子。キャレ公子の体調はいかがですか?」

「特に問題ありません。寝ています」


 にべなく答えるエーリクに、サビエルはにっこり笑った。

 近侍たちはそれぞれに長所短所を持っていたが、それはコインの表裏と同じで、一見素っ気なくみえるエーリクの短所は、見方を変えれば余計な無駄口を叩かないという長所でもあった。それは同時に口堅いということでもある。

 

 この数ヶ月、サビエルはアドリアン付きの従僕として、近侍たちに身の回りの世話について指導することもあったので、全員を弟のように思っていた。

(もちろん、近侍は貴族子弟であるため、従僕であるサビエルは節度を弁えた上での接し方を心がけてはいたが)

 その中の一番の問題児は、幸いにも今回の訪詣から外されたため、何かとクソ忙しい道中に余計な仕事が増えることもなく、サビエルとしては有難いことこの上もなかった。

 いたらきっとなにかしら、ひと悶着起こしていたに違いないのだ。

 普段は父親(=ルーカス)に感謝することなどそうもなかったが、今回ばかりは「いい仕事してくれましたね!」と心の中で快哉を叫んだ。


 そんな従僕の内心など知ることのないアドリアンは、一仕事終えたエーリクに一緒に茶を飲むかと声をかける。

 しかしエーリクは空気を読まないという短所、あるいはたとえ小公爵であってもおもねることはないという長所を存分に発揮して、あっさり断った。


「イクセルの様子を見に行きたいので」


という理由を聞いたときに、アドリアンは苦笑しながらも許可した。

 ヴァルナルから特別の計らいによって贈られた黒角馬くろつのうまと普通馬の間の子 ―― イクセルを、エーリクはそれこそ大事な大事な宝物のように心をこめて世話していた。

 到着したときにキャレが倒れてしまったので、仕方なく兄のイェスタフに頼んで、厩舎まで連れて行ってもらっていたが、よっぽど嫌だったのだろう。何度も「勝手に乗るな!」と念押ししていた。


「やっぱりエーリクもお兄さんの前だと、弟に戻るんだな。あんなに必死になってるエーリク、初めて見たよ」


 エーリクが去ったあとで、お茶を飲みながらアドリアンは思い出して笑った。


「兄上のイェスタフ卿はエーリク公子とはまた違ったご様子の方でしたね。見た目もそうですが、性格もなんというか…対照的というか」


 サビエルがイェスタフの姿を思い浮かべながら言うと、アドリアンは一口茶を含んでから頷く。


「そうだね。僕もイェスタフ卿とは今回初めてまともに話したけれど、雰囲気はエーリクよりも柔らかい印象だったな。なんだか、オヅマと気が合いそうだ」

「確かに。あぁ、そういえば…」


 サビエルはオヅマの話題が出てきて、あわててポケットをまさぐった。


「オヅマからの便りが届いていたようです」

「オヅマから?」


 アドリアンはわかりやすいほどに、嬉しそうな顔になった。

 サビエルの差し出した手紙を取り上げると、紙小刀ペーパーナイフも使わずに開封する。しかし、読む時間は短かった。しかも読み終えたあとには、ガッカリしたように溜息をついた。


「いかがなさいました?」


 アドリアンは何も言わずに、サビエルに手紙を渡した。

 サビエルはいざ読もうと手紙を手に取ったものの、すぐに読み終えた。


 文面は簡素そのものだった。



緑清りょくせいの月 某日


 前略 嫌味たらしい小公爵さま


 お察しの通り。こちらは順調。

 帰ったら、俺が修行して差し上げましょう。それまでご壮健にお過ごしあれ。


 オヅマ・クランツ』



 サビエルは一枚だけの便箋をそっと封筒に戻してから、アドリアンに尋ねた。


「これはいかが致しますか? 焼却しますか? それとも古紙として出しましょうか?」

「いや…一応、文箱に入れておいて。筆不精の人間の書いた貴重な手紙だから」


 アドリアンの言葉には、たっぷりと嫌味が含まれていたが、本来それを味わうべき相手は遠く離れた場所にいて、聞こえることなど当然ながらあり得ない。


 苛立ちと一緒に茶を飲み干すと、アドリアンは憮然とした表情でしばらく考えこんでいた。


「ねぇ、サビエル。オヅマが嫌がることって、何だと思う?」


 問われてサビエルは、空になったアドリアンのカップに再び茶を注ぎながら思案する。


「左様でございますねぇ……オヅマ公子は、なにせ身軽な恰好を好まれます。近侍服なども、一番簡素なものがお好きなようですし。ですから、きらびやかに着飾ったりするのなんて、最も苦手とされるのではないでしょうか?」

「確かに…」


 アドリアンは首肯して、ニンマリと笑った。


「じゃあ、帝都にいる間に、遠く離れた地で修行に励むオヅマのために、凝りに凝った服と装飾品アクセサリを買っておいてあげるとしよう。褒美として」

「それはきっと震えるほどにお喜びになるでしょう」


 長旅のあとで疲れすぎた思考は、のどかな田舎でのびのび過ごしているだろうオヅマに対して、羨望や鬱憤を感じずにはいられなかったのだろう。


 復讐をを企てる主従二人の顔は、ひどく愉しげであった。

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