第二百五十話 星月夜の笛の音(1)

 カトリはギョッとしたようにボフミルを見た。


「何を言うの? 私があなた達に頼んだんじゃない。だから…」

「そうだ。情けねぇ話だ。まんまと罠に嵌って、お縄になったんだ。俺らはその程度だったってことだ」


 ボフミルは淡々と言って、エラルドジェイを見上げた。


「カトリから話を聞く限り、お前はとんでもない極悪人だと思ったが、金を寄越すってことは、少しは悪いと思ってるんだろう。だったら、ちゃんと謝ってカトリが身を立てられるように手伝ってやれ。なんならお前が貰ってやったほうがいい気もするが…」

「冗談じゃないわ! ふざけたこと言わないで!!」

「だったらなんで殺さなかった!?」


 ボフミルが怒鳴りつけると、カトリは絶句して固まった。

 悔しそうに唇を噛み締めるカトリを、ボフミルは憐れむように見て言った。


「お前、この男を殺したくないんだよ、本当は」

「違うわ…違う…。コイツは…マルコの仇よ…」

「弟さんのことは気の毒だが…もう、長くなかったんだろう? 正直、俺らみたいな軒下卑賎ゴートゲル(*家を持てず軒下でしか生活できないような下賤、浮浪児などを指す言葉)は、先の長くない仲間は一思いに殺してやるんだ。苦しんで世の中を恨みながら死ぬよりは、死をれて、さっさと生まれ変われば、今度は寒くない、ひもじくない家に生まれてこれるって…そう言われてるんだ」


 暗い顔で話すボフミルの隣で、手下たちはうなだれて聞いていた。

 中には思い出すことがあったのか、嗚咽をもらす者もいる。

 しかしカトリはブルブルと握りしめた拳を震わせた。


「なによ…みんなして…」


 怒りを押し殺した声はくぐもって低い。


「カトリ…」


 エラルドジェイが呼びかけると、カトリは顔を上げるなり、その頬を思いきり平手打ちした。


「アンタ達のことなんか知らないわ! 私は両親も、たった一人の弟もこの男に殺された!! だから私はコイツに復讐していいのよッ」


 金切り声で叫んで、カトリはまた森の中に走り去っていく。


「カトリ!」


 ボフミルが叫ぶのを見て、エラルドジェイはハァと溜息をついて、その腕の縄を切った。

 オヅマも手下たちの縄を切っていく。


「追ってくれ」


 エラルドジェイは金貨の入った布袋をボフミルに渡した。


「いいのか? もし、俺がこれを持って逃げたら…」

「そうなったら、カトリもそれまでの運だったってことだな。本物の狼に食われるか、人の皮を被った狼に食われるか」


 ボフミルは眉を寄せ、布袋を握りしめると、カトリの後を追って森に入っていった。

 手下たちはすぐにボフミルを追いかけていく者、戸惑って立ち尽くす者に分かれたが、その場に留まったままの男たちにオヅマは冷たく言った。


「行かねぇなら、保安衛士に引っ張ってってもらうぞ。もちろん、歯向かうなら即座にこの場で殺す」


 少年の酷薄な声に恐れをなして、残っていた手下も競うように逃げていった。


「本当に、お前…ときどきおっかないぞ~」


 エラルドジェイがふざけたように言うのを、オヅマは白けた目で見て尋ねた。


「いいの? あれで?」

「うーん…まぁ、な。だってアイツら、まぁまぁいい奴のほうだよ。皆殺しにするつもりで襲ってきたら、こっちも後腐れなく殺したけどさ。ちゃあんと、婆さんとハルカちゃんは助けようとしてたろ? わざわざ逃げ道つくってくれてさ。いや、本当に…あんなのでよくやってこれたなと思う」


 エラルドジェイは半ば感心し、半ばあきれたように言った。


 実際、ボフミルはその義理堅さゆえに騙され、縄張り争いの末に帝都から逃亡する羽目になっていたが、そんなことは知る由もない。


「そんなヤクザ者と、な世間知らずの女がつるんで、何が出来るんだかな」


 オヅマは心底あきれていた。

 よくもまぁ、あんなのでエラルドジェイと渡り合おうとしたものだ。

 女には最初から覚悟がないし、ヤクザ者は依頼者に同情している。

 仕事となったら狡猾で、手段を選ぶことのないエラルドジェイの相手ではない。


 当のエラルドジェイは、オヅマの白けた視線にも、平然としたものだった。


「だから奇跡の組み合わせ、って言ってるだろ。あの首領の男、いっそこんな稼業から足洗って、手下どもと一緒に荷運び屋でもやりゃあいいのに。カトリも、あの男の女房おかみさんになってさ…きっと大切にしてもらえると思うんだけどな」

「あんた、あの女にあのときの金、全部やったの?」

「ん? いや、一応幾分手元に残しておかないとねー…俺も多少は色々と必要で」

「抜かりないね、相変わらず」


 オヅマは欠伸すると、家へと歩いて行く。

 エラルドジェイは小走りにその後にいて行き、また尋ねた。


「なぁ、お前、やっぱりどっかで会ったことあるのか?」

「……さぁね」

らすなよぉ。気になって寝れねぇじゃんか」

「だったら寝るなよ。アイツらがまた襲ってくるかもしれねぇだろ。寝ずに番しとけよ」

「うわっ! 嫌味ッ!! やだねー。意地悪オヅマくんだよ」

「やかましい。とっとと寝て治せ」

「寝れない。あ、そうだ! あの笛、吹いてくれよ。あれ、よく眠れそうだから」

「………あれは」


 オヅマの顔が途端に曇る。

 断るつもりで振り返ると、エラルドジェイは期待に満ちた眼差しでニコニコ笑っている。



 ――――― オヅマ。あれ、吹いてくれよ。よく眠れるからさ…



 また、の中のエラルドジェイの声が響く。

 オヅマは軽く首を振ってから、憮然とした口調で尋ねた。


「なんで俺が笛吹いてたの知ってんだよ」

「ハルカちゃんに教えてもらった」

「いつの間に? ……あぁ、そうか」


 あの無口で無愛想極まりないハルカと、いつの間におしゃべりする仲になっていたのかと思ったが、考えてみればエラルドジェイは子供にやたらと好かれるのだった。それこそでのオヅマも最初は疑心暗鬼であったが、仲良くなるまでに時間はかからなかった。

 やることは物騒極まりないのに、エラルドジェイはどこか親しみやすい雰囲気を持っていた。

 マリーも…懐いていた。


 家に戻ると、結局、オヅマは屋根上にのぼって笛を吹き始めた。


 そっと夜の静寂しじまを壊さぬように。

 目をつむり、満天の星を感じながら。


 の中で吹く笛は、オヅマの祈りであり、喪われた人々との会話だった。最初は母だけだったのが、やがて一人、また一人と増えていった。

 その中にエラルドジェイもいた。ハルカもいた。


 今、奏でるこの音色がいつか鎮魂歌にならぬように。

 オヅマは祈りよりも強く、自らに誓う。


 しかし胸の奥底深くに刻んだ熱い決意と相反して、その表情は落ち着いていた。


 嫋々じょうじょうと響く笛の音は、星月夜の空の下で休む者たちに、ひとときのやすらぎを与えるようだった。

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