第二百四十九話 仕掛けた罠
家人たちが深く眠りについたと思われる頃合いで、ボフミルたちは森から姿を現した。
数人が家を囲うように松の枝葉を並べ置くと、持ってきた
バン、と扉が開いて子供が出てくる。
扉の前はわざと空けておいたので、子供は躊躇することなく走ってくる。ゲホゲホと咳しながら出てきた子供を、手下の一人がさっさと捕えて後手に縄で縛った。
続いて出てきた老婆は、捕えられた子供を見て叫んだ。
「ハルカ! おぉ、なんということ!!」
すっかり気が動転した老婆を、また別の手下があっさり捕え、同じように縄で手を縛り上げる。元戦士の古強者といえど、孫娘の一大事には骨抜きになってしまうものらしい。噂通り足も引きずっており、もはや歴戦の勇士も昔日の栄光だ。
ボフミルはあきれたように笑った。
「すまないねぇ、婆さん。俺らもアンタたちをどうこうしようとは思わない。アンタが昨日、助けたとかいう男に用があってね」
「おぉ…お助けを」
老婆は震えて言って、頭を下げる。
ボフミルは満足そうに頷いた。
「そのまま黙ってじっとしときな。悪いようにはしねぇよ」
ボフミルは口を布で覆ってから、手下一人と一緒に家の中へと入った。
暗がりの中、目を凝らすと、簡素なベッドの上で寝ているらしい人の姿が見て取れる。ボフミルがベッドに近づいて、覆っていた毛布をガバリと取り除けると、果たしてあの男が眠っていた。
「寿命が一日伸びただけだったな」
ボフミルは悪党らしい薄笑いを浮かべ、男を刺そうとナイフを掲げる。
そのとき、男の目がカッと開いた。
紺の瞳が、窓辺から差し込む火の明かりを宿して、ボフミルを凝視する。
やがてニヤリと笑った。
「……そのとおりだ」
男はつぶやくなり、目にも留まらぬ速さで起き上がり、ボフミルの首に刃を当てていた。
「親分!」
一緒に来ていた手下が叫ぶと同時に、もんどりうって倒れた。
驚くボフミルと対照的に、男は微動だにしない。首の皮一枚分だけ刃をあてた状態で止めて、じいっとボフミルを窺っていた。
「殺さないのか?」
ボフミルの背後から尋ねる声は、若かった。
「ふむ……どうするかな」
刃をボフミルの首にあてたまま、男は考え込む。
しかし待てなかったのか、また若い声が軽く咳き込んで言った。
「とりあえず外に出ようぜ。煙臭くて」
「うん。そうしようか」
男はボフミルの首をちょんちょんと優しく叩き、扉の方へと促す。怖々と向きを変えたボフミルの前を、背の高い少年が手下を片手で引きずっていた。チラとこちらを見た瞳は、裏の世界である程度の時間を過ごしてきたボフミルをして、戦慄させるほどに冷たかった。
外に出ると、いつの間にか火は消されて、老婆と孫娘を捕えていた手下は二人とも地面に突っ伏して倒れていた。
「遅いよ、二人とも」
不満気な老婆の台詞に、ボフミルは自分が嵌められたことをようやく悟った。
***
「で? どうすんだい、コイツら」
ルミアが軽く顎をしゃくって、エラルドジェイに尋ねた。
顎の示す先には、地べたに並んで座らされているボフミルたちがいる。それぞれ後ろ手に両手首を括られ、一本の長い縄で全員を繋いで、互いを拘束し合うようになっていた。
「どうするかなぁ…」
のんびり言いながら、エラルドジェイはボフミルらの前を悠然と歩いて、一人一人を観察する。
「えぇと…首領はあんた?」
エラルドジェイはボフミルの前にしゃがみこんで尋ねた。
ひときわ大きな体つきと、頬の傷跡、さっきから落ち着かなく辺りを見回す男たちに比べると、エラルドジェイだけを見据えている様子といい、おそらくそうであろうと当たりをつけた。
「そうだ」
ギロリと青い瞳でボフミルはエラルドジェイを睨みつける。
「一応、聞くけど…カトリの旦那とか?」
「馬鹿を言え! 金で雇われただけだ」
「金? あぁ~…」
エラルドジェイは頭を押さえて天を仰ぎ見た。「そういう使い方するかー」
オヅマは腕を組み、心底呆れ返ってエラルドジェイを見ていたが、ツンツンとハルカに腕をつつかれて振り返った。
「女、いる」
ハルカの言葉に、オヅマは無言で頷いた。
ハルカのあとに
カトリ、とエラルドジェイが呼んでいたことを思い出す。
カトリはエラルドジェイに意識が集中しているのか、踏みつける枝の音にも無頓着で、まったくオヅマたちに気付いていなかった。
オヅマは真後ろに立つと、カトリの肩をツンとつついた。
「キャアァッ!!」
カトリの悲鳴に、かえってオヅマの方がビクリとなった。
ハルカもあまりにも無防備な叫びに驚いたようで、反射的にオヅマの服の裾を掴む。
「あ……」
カトリはオヅマを見て顔を強張らせたものの、オヅマの背から窺い見るハルカに気付くと、途端に警戒を解いた。
しゃがみこんで、ハルカと同じ目線になり、謝ってくる。
「ごめんなさい。驚かせちゃったわね」
「ハルカに謝る前に、あんたが傷つけた奴に謝るのが先なんじゃないの?」
オヅマの言葉に、カトリはムッとした顔になった。
「誰が!」と吐き捨てるように言って、立ち上がる。
オヅマが呆れ返った溜息をついていると、エラルドジェイがこちらに向かって呼びかけてきた。
「オヅマー? 連れてきてくれるかー?」
「だってさ。行って」
促すとカトリはギロリとオヅマを睨みつけてきたが、じっとオヅマの後ろから見てくるハルカの瞳に気まずくなったのか、おとなしく前を歩いて行く。
ボフミルたちが縄で縛られているのを見て、カトリは唇を噛みしめると、申し訳なさそうに頭を下げた。ボフミルは軽く嘆息して頭を振る。
「フン。ならず者どもを使うにしては、随分とやさしいお嬢さんだね」
ボフミルの内心をすくいとるように、ルミアが皮肉げに言った。
「本当にな。運がいいよ、カトリ。お前」
エラルドジェイは腕を組んで、にっこり笑う。「奇跡の組み合わせだ」
カトリはエラルドジェイの言葉の意味がわからなかった。
それにニヤニヤと笑うその顔も腹立たしい。
「なに言って…早く、ボフミルたちを放してやってよ! 悪いのは私なんだから!! 私が全部頼んだのよ。アンタを見つけて、痛めつけて……殺すのだけは、私が直接しようと思ってたのに、アンタを逃したから……」
エラルドジェイはヘラヘラ笑って、頭を掻いた。
「すまないなぁ…俺、悪運がいいみたいでさ」
「うるさい! この人殺し!! こんな
カトリは首にさげていた布袋を取って、エラルドジェイに投げつけた。
受け取られなかった袋が、エラルドジェイの胸に当たって、足元に落ちる。
ガチャンと重たい音がして、袋から金貨が数枚転がった。
手下の数名が思わず首を伸ばす。
ボフミルはエラルドジェイを見上げ、じっと黙り込んだまま凝視していた。
「やれやれ」
エラルドジェイは袋を拾い上げ、転がった金貨を中に戻した。
「俺なんか捕まえるためにあげたわけじゃあないんだぜ。これだけあれば贅沢しなきゃ、それなりに楽しく暮らせるだろうし、どっかで何か教えてもらって、手に職つけることだってできるだろ? 結婚の持参金にしても十分だろうし」
「結構よ! そんな血塗られたお金! もらったって幸せになんかなれるもんですか!!」
「いや、これは殺しのじゃない。えーと……誘拐?」
言いながらエラルドジェイがチラとオヅマを見る。オヅマは白い目でエラルドジェイを見返した。
「テメー……あのときのかよ」
つぶやくオヅマに、エラルドジェイは袋を掲げて笑った。
ありがとう、と口が動く。
オヅマは今、この瞬間、エラルドジェイの尻を思い切り蹴り上げてやりたかった。
何だってマリーとオリヴェルとアドリアンを誘拐したときの報酬が、回り回ってこんな鈍臭い女に流れ着いているのか。
「同じようなものよ! この恥知らず!!」
子犬のように吠えるカトリに、いつの間にか煙管を持ってきて吸っていたルミアが、ホーッと白い煙を星空に向かって吐き出した。
「なんなんだい、まったく。痴話喧嘩は
「いや、婆様。痴話喧嘩じゃありませんて」
「そうとしか見えないがね。とにかくさっさと片付けておくれ。私ゃ、もう寝るよ」
大欠伸して、ルミアはゆっくりと家へと歩いて行く。
オヅマはまだしがみついていたハルカの背を軽く叩いた。
「お前も眠たいだろ。もう大丈夫だから、寝ておけ」
ハルカはコクリと頷くと、ルミアの後について家に戻っていった。
カトリは去っていく小さな背中をずっと目で追っていた。その悲しげな眼差しに、ふざけた笑みを浮かべていたエラルドジェイが真顔になる。
しばしの沈黙のあと、声をあげたのはボフミルだった。
「俺らは保安衛士に引き渡してもいい。カトリは…逃してやってくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます