第二百四十八話 流れ者たち

 ルミアはエラルドジェイの引き締まった体にある無数の傷痕や、爪鎌ダ・ルソーという特殊な武器を見たときから、堅気の人間ではないとわかっていたようだ。

 家に戻ってきて、早々に去ろうとするエラルドジェイに言った。


「あんたが闇稼業の人間だってことくらい、最初からわかっていたよ。そのくらいのことで、この私がビビるとでも思ってんのかい?」


 エラルドジェイはルミアの迫力に肩をすくめた。


「いやいや。さすがは稀能きのうの戦士でいらっしゃることだ。でも、俺のせいで厄介事に巻き込まれるのも面倒だろう?」

「寝入りばなを起こされて、傷を縫わされた時点で、十分に厄介で面倒だったよ」

「そいつは申し訳ない。でも」

「命を助けてもらった礼は?」


 ルミアはエラルドジェイの言葉を遮って、ズイと顔を寄せて迫る。

 エラルドジェイは背を反らせながら、笑みを浮かべた。


「いやぁ~、いずれそのうちに…あ、金なら」

「あいにくと、金には困ってないね。今のところ」

「そう言わずに。金で解決ってのが、お互い気楽じゃありませんか、婆様」

「私は必要とする以上には持たないことにしているのさ。金でも物でも」


 にべないルミアに、エラルドジェイは笑ったまま、話の接ぎ穂を失って目を泳がせる。

 オヅマと目が合うと、助けを求めた。


「オヅマ~、お前見たろ? な?」


 情けない声で言ってくるエラルドジェイを冷たく見たあとで、オヅマはルミアに言った。


「こいつ、女に追い回されてます」

「違う違うッ! そうじゃないッ! そうじゃないだろッ」


 あわてるエラルドジェイをルミアはあきれたように見て、煙管キセルを咥えた。


「なんだい、そういうことかい。ってことは、その腹の傷も女にやられたんだね。あえて刺されてやったのかい?」

「いやいや、まさか。そこまで俺もお人好しじゃないし」

「フン。どうだかね」


 フワーっと煙を吐いて、灰捨てにポトリと煙草の灰を落とすと、ルミアは立ち上がった。


「いずれにしろ、まだ傷口だってまともに閉じちゃいないってのに、放り出すようなことはできないさ。それと恩はなるべく早く返してもらわないと、私も年なんでね」

「だから金は…」

「金よりも、アンタには傷が治ったらやってもらいたいことがある。それまでは、ここで養生しな」


 それ以上は聞く耳を持たないとばかりに、ルミアは家から出ていってしまった。村に用事があるらしい。 


「あぁ~行っちゃった。もー、どうすんだよ。またカトリが男共連れてきたら」


 エラルドジェイはガシガシ頭を掻いて、ハーッとうなだれた。

 オヅマは何気なく言った名前を聞き逃さない。


「あの女、カトリって言うんだ」

「へ? あれ…言ってた?」

「あんたたまに、抜けてるんだよな。ま、師匠がああ言ってるんだから、おとなしく養生してろ」


 自分よりも年下の少年になだめられ、エラルドジェイはむず痒そうな顔になったが、結局留まった。

 要因はいくつかあったが、最終的にこの家の居心地がいいというのが、最大の理由であった。

 しかしその選択をした自分に、エラルドジェイは後に嘆息して反省することになる。



***



 夜。

 草木も眠ろうかという時間に、ザワザワと森の中から現れたのは、帝都での縄張り抗争に負け、流れに流れて東の村にまでやって来た無法者たちの一団だった。




 彼らは逃亡している途中で、偶然に金回りのいい女と出会い、彼女と契約して、ある男を探すことになった。

 昔からの伝手や、女の資金を使って裏社会の情報網からようやく男を見つけ出すことができたのだが、頼んできた女はその男をすぐに殺さなかった。


「痛めつけるだけ痛めつけて、十分に後悔させてやるのよ。殺すのは、それから」


 無法者たちの首領であるボフミルは、女の言葉に首を傾げたが、ひとまずは言う通りにした。

 その女を襲ったフリをして男を誘い込むと、彼女を人質(もちろんこれもフリだ)にして散々に痛めつけた。女の迫真の演技に、男も騙されたようだ。黙ってされるがままにされていたが、一瞬の隙をついて、ボフミルの部下の一人をたちまちのうちに倒してしまった。

 すっかり泡を食ったボフミルたちが慌て惑う間に、男は彼女を連れて逃げようとした。

 ボフミルは仲間を失った上、金づるの女まで奪われてはたまらないと追いかけたが、男は唐突に止まった。


「……カトリ」


 男が女の名前を呼ぶと、カトリと呼ばれた女は、血のついた短剣を持ったまま、ヨロヨロと後ずさった。

 脇腹を押さえる男の指の間から、血が流れていた。


「やったのか?」


 ボフミルが呆然として尋ねると、カトリはコクリと頷く。

 カトリも信じられないように、自分の手にあった短刀をまじまじと見つめたあとに、急に「ヒッ!」と声を上げて、短刀を落とした。


 ボフミルは眉を寄せた。内心で嘆息する。

 やはりこの女は無理だったのだ、と。

 本気で殺す気などない。殺すなんてことはできない女なのだ。


 刺された男もそれをわかっていたのだろう。

 かすかに笑い、ホゥと息を吐ききったあとに、恐ろしいほどの速さでその場から走り去った。


「追いかけて! 早く!」


 女に言われて追いかけたものの、ボフミルは追いつくとも思えなかったし、正直これ以上、男とカトリを会わせたくもなかった。


 地元民たちが弓の森と呼ぶ、さほど広くもない山へと逃れたことはわかったが、夜の森を探索するのは、十分に手入れの行き届いた里山であっても危険だった。狼や熊に襲われて死ぬ杣人そまびとは毎年いるのだ。

 実のところボフミルの父もまた木樵きこりだったが、腹をすかせた狼に襲われて片腕を食われて以降、まともに仕事もできなくなって、酒浸りになった挙句にボフミルを人買いに売ったのだった。


 戻ってきたボフミルから、男が森にのがれたことを知ったカトリは、おそらく朝のうちから見て回ったのだろう。

 帰ってきて、男がいる場所を見つけたと言ってきたが、その顔は青かった。


「わかった。じゃあ、俺らでやる」


 ボフミルが言うと、カトリは逡巡していた。


「でも、誰かがあの男に殺されるようなことがあったら…」

「馬鹿にすんじゃねぇ。そんなひ弱な野郎どもじゃねぇよ」


 ボフミルは怒ったように言って、カトリには来ないように強く言って聞かせた。

 来られても、男に対してまだ複雑な感情を残したままでは、かえって急場で変心するかもしれない。

 あの男は見たところ、闇稼業を生きてきた人間だ。殺す気迫で来た人間に対して、容赦しないだろう。命を賭けてやりあうときに、迷いを残した人間が中途半端に出てきては、かえって邪魔になる。


 ボフミルは手下に、カトリの言っていた森の中の家を探らせた。

 男の姿は見えなかったが、どうやら老婆が孫二人と暮らしているらしい。 


「男の子は、只者じゃないわ。恐ろしい子供よ」


 カトリが口出ししてきたが、ボフミルはわずらわしくなって無視した。


 食料を買うついでに村でさりげなく聞いてみれば、森の中の一軒家で老婆とその孫娘が住んでいるという。

 その老婆はかつて戦士であったようで、貴族家の騎士などが修行に訪れる師匠マスタークラスの古強者らしい。

 ただ、ここ数年は、昔戦場で痛めた足が悪くなって引きずり歩くようになり、そのうえ最近では持病の腰痛に悩まされて、不自由することが多くなってきたという。


「それで、ずっと世話になってきたグレヴィリウス公爵家が、下僕を送ってきて面倒を見てやってるんだとよ」


 その話を聞いて、ボフミルは眉を寄せた。貴族に関係する人間がいる、というのは、少しばかり想定外だ。


「どうします? 親分」


 手下が尋ねると、ボフミルは軽く溜息をついて言った。


「仕方ねぇ。坊やにゃ、運が悪かったと思ってもらうしかねぇさ」


 村に一軒しかない酒場の亭主はおしゃべりで、聞いてもいないのに、老婆が昨晩、森で行き倒れになっていた男を救助したのだということまで教えてくれた。重傷を負って、寝込んでいるらしい。


 ボフミルは酒場を出て、ニヤリと笑った。

 カトリが与えた傷は、思ったよりも深傷ふかでだったようだ。それなのに走って逃げたから、相当に出血したのだろう。


「ヤツが動けないんなら、大したことないさ」


 余裕綽々としてボフミルは言ったが、彼は偽の情報を掴まされたということに気づいていなかった。




 夜。

 ボフミルたちは行動を開始した。

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