第二百四十六話 会うことのなかった男

 オヅマがエラルドジェイを引きずるようにして、どうにかルミアの家まで連れて行くと、既に異変を察していたルミアが家の前に立っていた。

 ハルカが走り寄ってきて、オヅマの反対側でエラルドジェイを支えて、助けてくれる。


「また、ッたないのを連れてきたね」


 ルミアは腕を組んで言い放ち、眉を寄せたものの、オヅマに目配せして家の中に運ぶように指示する。

 オヅマはそのままエラルドジェイを家の中に運ぶと、部屋の隅にある診療用のベッドの上に寝かせた。


 ルミアはかつて傭兵であった時代の知識を活かして、たまに村人たちが怪我したり骨折したりしたときに、簡単な医療行為を行っている。食堂兼居間となってる部屋の隅には、患者を診察するときのために、簡易なベッドが置かれていた。


 ルミアはベリベリと容赦なくエラルドジェイの服を破き捨て、腕に仕込んであった四本爪の爪鎌ダ・ルソーも手早く取り外した。

 その間にもエラルドジェイの体を診察していく。いくつかの打撲、擦過傷、それに脇腹にはかなり深い刺し傷があった。

 既にそのときには、ハルカはきれいな水を汲みに泉に向かい、オヅマはうみ止めの薬を煎じ始めていた。


「……俺を助けないほうがいいかもしれんぜ」


 エラルドジェイがつぶやく。

 オヅマが助けてから、意識が戻ったかと思ったら、急に気を失ったりを繰り返していた。

 ルミアは皮肉げに言うエラルドジェイに、眉を寄せて尋ねた。


「なんでだい?」

「……ゴロツキどもが狙ってやがるのさ。探しているかもしれない…」

「私らの心配をしているのかい?」

「一応…ね…」


 エラルドジェイは言いながらまた気を失った。

 ルミアはあきれた溜息をつきながら、さらし布を破いていく。

 やがてハルカが水をたらいに入れて持ってくると、破いた布を水につけ、固く絞って汚れた傷口周りを拭いていく。ハルカも一緒に刺し傷でない部分の泥汚れなどを拭った。

 オヅマは煎じた膿止めの薬を木の椀に入れ冷ましている間に、戸棚から蒸留酒を持ってきてルミアに渡す。ルミアは受け取ると口に含み、プーッと刺し傷におもいきり吹きかけた。


「……ッ痛えッ!!」


 またエラルドジェイが目を覚ます。

 オヅマはすぐさまエラルドジェイの体を支え起こすと、ハルカに目配せしてテーブルの上の膿止め薬の入った椀を持ってこさせた。


「飲め」


 口元に椀を差し出すと、エラルドジェイはプイと顔をそむけた。


「ゲッ! やだよ、これ。マズイやつじゃん」

「グダグダ言ってんじゃねぇよ! 嫌なら怪我なんかすんな、馬鹿!」

「うわー、怪我人に容赦ないな…」


 いつまでも飲もうとしないエラルドジェイを、ルミアが静かに脅す。


「早く飲みな。それとも私が口移しで飲ませてやろうか?」

「………いただきます」


 おとなしく椀を受け取ると、エラルドジェイは一気に呷った。オゲー、といかにもまずそうに舌を出し、ぽろりと涙をこぼす。


「情けないな、これくらいで泣くなよ」

「だってマズイんだもん」

「ガキみたいなこと言うな」


 言っている間にも、ルミアが縫合するための準備をしているのを見て、オヅマはエラルドジェイを強引に寝かしつけ、両手を押さえつけた。ハルカは両足の上に覆いかぶさって、全身で押さえつける。


「えっ? なにっ? なにすんのっ?」

「縫うんだよ」


 江鮫かわざめ(*東部の川に生息する鮫の一種)の髭から作ったという特殊な糸を針に通しながら、ルミアがあっさりと言う。


「えぇっ? そんな、せめてルトゥくらい吸わせて」

「馬鹿お言い! 子供がいるのに、ませられるかい!!」


 ルトゥは麻薬入りの煙草だ。確かの中でも言っていたのを思い出す。



 ――――― 俺、普段からルトゥ吸ってっから、そんなに痛みとか感じないんだ…



「普段から服んでたら、そんなに痛みとか感じないはずだろ。大袈裟に痛がるなよ」


 オヅマが言うと、エラルドジェイはキョトンとした顔になり、ルミアはフンと鼻をならした。


「この若造が。そんなもん常用すんじゃないよ」

「いや…そうだけど…そうだけどさぁ……痛ァーーッッ」


 容赦なく、いや些か懲らしめるためもあったのだろうか、いつもよりも念入りにじっくりと、ルミアはエラルドジェイの脇腹の傷を縫合していった。



***



 縫合のあと、ルミアは早々に寝床に戻った。


「あとは任せたよ」


 オヅマは頷き、手伝おうとするハルカにも寝るように言った。


「あとは俺がやっておくから。お前は先に寝て、明日俺が寝坊しそうだったら、起こしてくれ」


 ハルカは不服そうであったが、結局オヅマの言う通りにした。

 実際のところ、オヅマはさっきからハルカの瞼が下がりそうになるのを見ていた。早寝早起きのハルカには、相当に夜更かしな時間帯だ。


 新たな晒で脇腹も含めて胴体をグルグル巻きにすると、エラルドジェイは自らの姿を見て肩をすくめた。


「なんだか、これって、木乃伊ミイラってやつみたいだな」

「フザける元気があるなら大丈夫だな」


 言いながら、オヅマは一つを残してランプを消していく。さっきまでは手当てのために、あるだけのランプをつけていたが、もう必要ないだろう。


 汚れた服や晒などを片付けていると、エラルドジェイが声をかけてきた。


「なぁ、お前さ。なんで俺を助けるんだ?」


 オヅマは一瞬、ピタリと動きを止めてから、なんてことないように言う。


「怪我人は放っておけないだろ」

「今回だけのことじゃないぜ。前もだ」

「あのときは……」

「俺を逃がしたじゃないか、あのとき。正直、あそこから逃げても、とっ捕まると思ってたんだ。でもお前、俺のこと言わなかったろ? 騎士団の奴ら、俺を見ても素通りだったからな」


 オヅマは黙り込んだ。

 エラルドジェイとの対決のあと、ダニエルの首を斬ったあたりのことは、その後の悪夢も含めて思い出したくない。


「まぁ、俺はいいんだけどさ。どっちにしろ命拾いできたから」


 エラルドジェイは答えないオヅマを深く追求してはこなかった。

 こういうところも、変わってないな…と、オヅマは懐かしい気持ちになった。


「それで? あんたはどうしたんだ、その傷」


 反対に尋ねると、エラルドジェイは気まずそうに目を逸らす。


「また誰かに追われてるのか?」

「また?」


 耳聡く聞きつけて、エラルドジェイが問い返すのを、オヅマは適当にいなした。


「あんたのことだから、そんなのかと思ったんだよ」

「まぁ、間違いじゃあないけどな」

「いったい誰にやられたんだ? あんたがこんな一方的にやられるはずないだろ」 

「おっ。さすがに一度はやりあっただけあって、俺の実力はお見通しってか」

「フザけるな。ここらのゴロツキや山賊程度に、あんたがこんなになるまでやられるわけない。それこそ人質でもとられない限り…」


 オヅマがそう言うのは、またでのことを思い出したからだ。

 エラルドジェイと共に旅している途中で、マリーとオヅマ二人を人質にとられて、エラルドジェイがそれこそゴロツキどもから散々に痛めつけられたことがあった。このときはオヅマが拘束の縄を切ったことで、反撃の端緒となり、その場にいた全員がエラルドジェイに完膚なきまでに叩きのめされた。


「いやー、お恥ずかしい」


 エラルドジェイはとぼけたように言って頭を掻く。


「昔の知り合いが人質になっちまって、こりゃあ仕方ないかと思ってたら…これが見事に騙されちまって」

「は?」

「いやー。油断油断」


 やけにニコニコと笑うエラルドジェイを見て、オヅマはそれ以上は言っても無駄だと諦めた。


「もう寝ろよ。心配しなくても、ここは大丈夫さ。ここいらの奴で、師匠に手を出す馬鹿はいない」

「師匠? もしかしてさっきの婆さん?」

「あぁ。あの人は稀能きのうを扱えるんだ。そうじゃなくとも、元は戦士だからな。まともにやって勝てる相手なんて、そうはいない」

「へぇ。稀能の戦士なんて、下手な三文小説にしか出てこないもんだと思ってたけど…あ、そういやヴァルナル・クランツがそうだったっけ? え? お前、もしかして修行中? ご領主様に行ってこーい、って送り出されたの?」

「……そうだよ。ホラ、あんた…熱出てきてるんだろ? ったく、具合が悪くなってくると、やたら喋りだすんだからな。寝ろって」


 オヅマは無理やり寝かせてから、手持ち無沙汰そうに指を動かしているエラルドジェイに気付く。


「明日、胡桃くるみとってきてやるよ。あの樫の木あたりに落ちてるだろ…」


 何気なく言うと、エラルドジェイは怪訝な顔になった。


「お前……なんで知ってる?」

「え?」

「俺が胡桃で遊ぶの。なんでそんなことまで知ってるんだ?」


 またオヅマが返事に窮すると、このことばかりはさすがにエラルドジェイも無視できなかったらしい。


「俺、お前とどっかで会ったことあったっけ? あの倉庫で会ったよりも前にさ」

「さぁ…あるのかもな」


 オヅマは答えながら、自分でもと現実が混ざり合って、記憶としておかしな状態だった。


 オヅマにとって、エラルドジェイは懐かしい人だった。

 今こうして話せるだけでも、嬉しくてたまらなかった。

 けれど、今のエラルドジェイは一緒に帝都まで旅したことなどない。なんであれば最初の出会いは、だったのだ。


 自分だけに、あまりに鮮明で思い入れの強いの記憶があることが、オヅマにはもどかしくて、寂しかった。

 エラルドジェイと自分。

 けれど、エラルドジェイに出会うために、むざむざ母を悲惨な死に追いやることなど論外だ。

 コスタスは水路に落ちて死んだ。それがもっともコスタスの死に方だ。 


「くそ……ちゃんと聞きたいってのに……眠い」


 エラルドジェイはぶつぶつ文句を言いながら、瞼が下りていくのを止められないようだった。

 ルミアに言われて焚いておいた安眠香が効いてきたらしい。

 オヅマが立ち去ろうとすると、はっしと腕を掴み、必死に眠気と戦いながら尋ねてくる。


「お前……名前…は…?」

「オヅマだよ」

「オヅマ……オヅマ……誰だっけ……?」


 むにゃむにゃと寝言のようにつぶやきながら、とうとうエラルドジェイの瞼が落ちた。


「おやすみ」


 オヅマはクスリと笑って、ランプを消した。

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