第二百四十二話 ルミアとその娘
ルーカス・ベントソンが久々に寄越してきた手紙には、新たに修行してほしいという少年のことが書かれていた。
グレヴィリウス公爵家からは、過去に何度か騎士や、騎士見習いの少年がやって来て修行を受けたが、モノになったのはヴァルナル・クランツだけだった。
そこそこ見所のある人間を選んではいるのだろうが、多くの者はまず女に師事することに対して拒否感を示した。その後には修行そのものよりも、普段の生活に不満を持ち、最終的には修行自体に音を上げて去る。
元々平民で、幼い頃から忙しく働く母の下で育ったせいなのか、ヴァルナルにはそうした偏見もなく、そのうえでよほどに
正直、ルミアはヴァルナルに才能があるかないかと言われれば、ないと思っていたが、最終的には当人の執念が勝ったようだ。
ヴァルナル以降、公爵家から来る者は少なくなった。
戦争があったせいもあるが、ある程度、ヴァルナルによって適性を見極められたのもあるだろう。それは剣の腕といったことだけでなく、ここで一定期間、暮らすことに文句を言わないという性格や価値観も含めて。
オヅマを送ってきた男 ――― マッケネンも、前にここに来た一人だった。
穏やかで篤実な性格で、剣にしろ、体術にしろ、平均以上に優れた資質を持っていたが、如何せん頭が良すぎた。頭で考える癖が強くて、ルミアにしては珍しく、教えることを拒否した。
「お前さんは、こうした技を身につけるよりは、軍略の才を伸ばす方がよかろう」
ルミアの言葉にマッケネンは、やはり自分でも思うところがあったのか、素直に応じて戻っていった。
その後に公爵家での扱いがどうなるかと思ったが、ヴァルナルの元で自らの道を着実に歩んでいるようだ。
だが、この目の前の少年。
新たにヴァルナルの息子となったというオヅマ。
『稀能の発現有り。千の目・
その一文に、ルミアはひどく不穏なものを感じた。
古今において数多くの稀能が創出された。続く
その中においても『千の目』は特殊であった。
騎士などが神経を澄ませて索敵を行うこと自体は、昔からある技…というよりも、人間の持つ一種の危険回避能力の伸長であるに過ぎない。
しかし『千の目』は、別名を全方位索敵術と呼ばれるだけあって、その技において捉えられるのは、自分を中心とした周囲数里にも及ぶ広範なものだ。しかもそのために、この技は自らの視力を一時的に喪失させるという。
一つの感覚野を削るなどということ自体が尋常でないうえに、彼らが技を発現させる間、その気配は空気のように消える。あるいは視覚野の喪失とそれは連動しているのかもしれない。
いずれにせよ、ルミアの教える『澄眼』に比べると極めて繊細であり、至難の技だった。独学での修得など絶対にありえない。実際に『千の目』を操ることのできる術者でなければ、教えることは不可能なのだ。
その上で『
これは元は『
『千の目』にしろ、『絶影捷』にしろ、技それ自体は、相手を害することを目的とするものではない。
しかし『瞬の爪』は、創出されたときから、殺傷することが目的であった。いや、より確実に殺傷するために創られた… と言ったほうが正しいだろう。
この二つはそれぞれ独立した技であったのだが、これを結びつけたのが、ランヴァルト大公その人であった。
彼は幼い頃から天才と名高いほどに優秀な頭脳を持っていたが、マッケネンのように理屈でもって物事を考える、というタイプでもなかったようだ。
かつて彼は現皇帝のために、後継者候補であった自らの異母兄弟と、その家族も含めて始末していった。
その中には広大な離宮の森に隠れて隣国への逃亡を図った者もいたが、彼はこの技をもって、彼らを捕捉してたちどころに惨殺したという。
逃げた異母兄の皇子はもちろん、その妻子…乳飲み子を抱く乳母も含めて。
長くかかるかと思われた後継者争いが、彼のお陰ですみやかに終息し、人々は彼を称賛し、彼の稀能もまた高く評価されたが、ルミアはどこか気味悪かった。
『千の目』はともかくとしても、そこに『瞬の爪』を組み合わせるとなれば、その修練は尋常のものではない。
『千の目』は命の鼓動、命の脈、命の律動を感じる技だ。
対して『瞬の爪』は、それらを瞬時に抹殺する。
おそらく、修行を積む上で何がしかの命の犠牲が払われなければ、会得することは難しいだろう。
こうしたルミアの不安を増大させたのが、娘がその大公に魅入られて、その下で働くようになったことだ。
ルミアが持っている大公への
もっとも ―――
ルミアは自分と娘の関係について苦い気持ちを飲み下した。
発端は、その名に含まれる一族の特殊な事情による。
デルゼの一族は、なにかしらの技能を持ち、全うすることを生涯の目的とする。
技能の種類は様々だ。
ルミアの母は、刺繍に長けた人で、注文も絶えなかった。
他にも優れた料理人であったり、宝石職人であったり、
ルミアは叔母からの薫陶を受けて、剣士としての技を磨いた。
元々『澄眼』と呼ばれる稀能は、ルミアの何代か前の先祖が創出した技だった。長らく子々孫々に細々と受け繋がれてきたが、誰にでも頑張れば身につけられる…といった類のものではなかったので、叔母は自分の娘よりも、適性のあるルミアに技を伝えたのであろう。
デルゼの一族は、集合個体としての側面を持ち、一族の子供は一族全体で育てるという気風がある。(もっとも昨今では各地に散って、忠実に守る者も少なくなってはきているが。)
いずれにせよルミアは叔母の元で修行を積み、その後には戦士として各地の紛争において功績をたてた。
女だと馬鹿にする者ももちろんいたが、そういう人間から叩きのめしていったので、次第に彼女を侮る人間はいなくなった。
やがて戦場で知り合った男といい仲になって、娘を産み、母に預けた。
ルミアとしては、娘には母の技を継いでほしかったのだ。
しかしルミアの知らぬ間に母が亡くなり、娘は従姉妹夫婦、その知り合いの行商人などをたらい回しにされ、行方知れずとなった。
ルミアは娘は死んだと諦め、自分の罪悪感と一緒に娘への情愛を封じた。
それから十数年を経て、最終的に伝手を頼ってルミアの元にたどり着いた娘に再会したものの、もはや母娘としての関係には戻れなかった。
彼女がルミアのところに来たのは、母親を探していたからではなく、より強くなるためだった。
母という存在に何らの思慕も、期待もないようだった。
ルミアに娘を諭すことなどできるはずもなかった。
彼女の生きてきた道程が生半可なものでなかったのは明らかだ。
戦士であれ、闇ギルドの組織構成員であれ、おそらく娘は生き延びるための手段として、強くあることを選んだ。その手札の一つとして、ルミアの持つ稀能の技を手に入れたかった。
そう…母子相伝など彼女には何らの意味もない。
ただひたすらに仕事において、必要であるから。
残念なことに、娘はルミアの血を色濃く継いだのか、戦士としての素質は十二分にあった。
ルミアは不本意ながら娘に技を伝えた。彼女はさほど労せず修得すると、まともに母娘としての会話のないまま、唐突に去った。
そのまま一切の交流もなく断絶していたのだが、二年前にひょっこりとハルカを連れて現れた。
「否やはないだろう?」
当然のように言われて、ルミアに断ることなどできなかった。
自分がかつて母にしたように、娘もまた母であるルミアに、自分の娘を預けたのだ。
「その娘にも『澄眼』を教えておけ」
と言って去ったので、いずれ役に立つ年齢となったときには、引き取りに来るのかもしれない。
いずれにしろ今、娘は大公家にいる。
おそらく『澄眼』だけでなく『千の目・瞬の爪』を修得するために。
あるいは既に修得して、大公の護衛にでもなっているのかもしれない。だとすれば、大公に代わって『千の目』を教える立場にあるとしても、不思議はないだろう。
そこへきて、今回のオヅマの話だ。
『稀能の発現有り。千の目・瞬の爪と思われる…』
あの稀能が、むやみに発現などするはずがない。
適正な教練もなしに、偶然に発出できるような代物ではないのだ。
ルミアの疑念をますます深めたのは、オヅマの態度だった。
ルミアを見るなり、ひどく動揺して倒れそうになった…。
それに ――――
――――― お前の母さんの名前は?
まるで確認するかのように、ハルカに尋ねていた。
なぜそんなことを聞くのかと思った。しかも「リヴァ=デルゼ」と答えたハルカに、オヅマの反応はどこか奇妙だった。
――――― ……そうか…
まるで既知のことであったかのように、少し暗い声でオヅマは頷いた。
あり得ない稀能の発現と、娘の名前を知っていること。
それらを結びつけるのは、オヅマが娘から『千の目・瞬の爪』の修練を受けていたかもしれないという可能性だ。
「お前さん、私の娘のことを…リヴァ=デルゼを知ってるのかい?」
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