第二百四十一話 ハルカとその母

 夕食はオヅマとハルカの捕った魚と、麦の粥だった。自分での用意はしないといけないが、主食となるものは、さすがに出してもらえるらしい。

 あるいは最初にルミアの言ったように、授業料のからであろうか。

 いずれにせよ、オヅマは久々の粗末な食事に、ラディケ村にいた頃のことを思い出し、少し懐かしくなった。

 あの頃からすれば、公爵邸での豪華な食事が信じられない。

 いまだにアールリンデンにある自室のふんわりしたベッドの上で目を覚ますと、夢みたいに思えてひどく混乱する。


 食べ終えて食器の片付けを手早く済ませると、ハルカは早々にベッドのある屋根裏部屋へと向かった。

 日が落ちたら眠るというのが、庶民の基本的な生活だ。食事中も眠そうにしていたから、もう寝るのだろう。


 オヅマは剣の素振りでもしに行こうかと立ち上がったが、ルミアに呼び止められた。


「少しばかり話をしようか、オヅマとやら」


 考えてみれば、夕方に訪れてから挨拶もそこそこに、すぐに豆猿の森(オヅマ命名)へと送り出されて、その後には洗濯やら、腹ペコを満たすための食事に忙しく、確かにルミアとロクに話していない。


 オヅマは頷くと、再び椅子に座った。

 ルミアはランプから火をとって、煙管キセルをふかし始めると、オヅマをジッと見た。


「随分、あの子と仲良くなったもんだね」

「そう…ですかね…?」


 オヅマにはよくわからなかった。

 特に嫌われているとも思わないが、今日会ったばかりで、随分と仲良くなった…と言われるほど、ハルカと打ち解けたとも思えない。


 首をかしげるオヅマをルミアはジロリと見ると、ハアァーと煙を吐く。たゆたう紫煙の中、少し沈んだ声でつぶやいた。


「正直、村の子からはけ者にされているし、どうしたもんかと気を揉んでいたんだ。ここに来て二年になるが、いまだに私にも完全に心を許しているとも思えないしね」

「二年?」

「あぁ。あの子が四歳のときに、母親が預けに来てね。まったく、いきなりやって来たかと思ったら、無口で無愛想な子どもを置いていった」

「……四歳」


 オヅマはつぶやいて、頭の中で計算した。つまり、今は六歳ということだ。マリーよりも二歳下。

 今更ながらに驚く。

 ハルカの表情には、どこにも幼さが見えない。さっき、思わず噴き出したときの笑顔に一瞬、子供らしさが見えたものの、すぐに元の何を考えているのかわからない顔に戻ってしまった。


 ルミアは考え込むオヅマを何気ないように眺めてから、プカリと煙で輪っかをつくって空中へと泳がせた。


「アンタ、あの子を気味悪くは思わないのかい?」

「気味悪い?」

「見た目からしてわかるだろうが、あの子の父親はいわゆる『あいの民』と呼ばれる賤民だ」


『穢の民』と呼ばれる人々は、古い時代から存在する。

 牛馬、豚などの屠殺とさつ業、動物の皮剥ぎ、刑場での首斬り道化、隔離された伝染病患者の世話やその死骸の処理など、彼らは社会における、人々から敬遠される職業を担う者たちだった。

 元は奴隷であったが、帝国において奴隷制度が廃止されたときに、彼らは奴隷から平民となったものの、差別は残った。

 全員がそうというわけではないが、表情の乏しい一重の瞳と、黄みがかった肌、くすんだ黄緑の髪色は、彼らの容姿をもっとも象徴するものとして認識されている。


「長く虐げられてきたせいか、奴らはほとんど感情を表すことがない。それが習性になっちまってるのさ。あの子も、その特性を継いでいるのかして、ほとんどしゃべらない。聾唖ろうあかとも思ったくらいだが、耳も聞こえているし、まったく話せないわけでもないんだよ。でも、蹴られてもうめき声一つあげない」

「蹴られる? 蹴ったんですか?」


 オヅマは思わず大きな声になった。まさか虐待されているのか…? と、ルミアを睨みつける。

 しかしルミアはあきれたようにオヅマを見て、肩をすくめた。


「私がそんなことするもんかね。村の子供ガキどもが、あの子をいじめていやがったのさ。あの子がずーっと黙っているから、無理にしゃべらせようとしたんだと」


 オヅマはホッとすると同時に、眉を寄せた。

 おそらく子供らは、周囲の大人達の反応から、ハルカをとして、標的にしたのだろう。どんなに蹴られても罵られても、一言も言い返すことのなかったハルカの姿が容易に想像できた。


 ルミアは苦々しい表情になるオヅマを、興味深げに見ていた。


あいの民』に対しての、多くの人間の対応は無視だろう。

 たまに過激な目立ちたがり屋が、自らを誇示するために、無体な暴力をふるったりする。

 あるいは本当に稀に、憐れんで手を貸してやろうとする者もいる。

 だがそうした篤志家もまた、己の自己満足のためにすることが多いので、十分な報酬 ―― 尊崇や敬慕、感謝といったものが、自分の望んだ熱量で返ってこないと、手のひらを返したように彼らを責め立てたりする。


 しかし目の前のこの少年の孫に対する態度は、そのどれにもあたらない。

 ルミアはまた煙を吸って味わい、フワリと輪をつくって宙に浮かべる。


「あの子を引き取ってからも、あんたみたいに教えを乞いに来る人間は何人かいたがね、たいがい皆、気味悪がって遠ざけるよ。たまに仲良くなろうとして声をかけた奴らも、あんまりにも素っ気なくて、冷たく思えるんだろうね。最終的にはみんな、あの子を嫌うか、いないものとして扱うんだ。あの子も、そうやって扱われることに慣れているんだろう。文句も言わないで、淡々としたもんさ…まったく、ガキらしくないガキだよ」


 ルミアは吐き捨てるように言いながらも、実のところ祖母として、多少気にしてはいるのだろう。だがどう扱えばいいのかわからず、持て余しているようだ。


「ハルカは…普通にいい奴だと思います」


 オヅマは素直に言った。

 確かにハルカは無口で、無愛想だ。とっつきにくい相手だろう。だが、彼女にとってはそれがで、特に相手を嫌っているわけでもないし、警戒しているわけでもないのだ。

 なぜかオヅマは勝手にそう理解していた。初対面からずっと素っ気ないハルカに対して、不思議と不満は感じなかった。


「確かに何を考えてるかわからないところはあるかもしれないけど、ハルカは親切だと思います」

「ほぅ?」

「さっきも俺が洗濯してたら、洗濯草を持ってきてくれたし、魚をとるときも…口には出さないけど、やり方は教えてくれたし。無口なだけで、よく気のつく、いい奴です」


 ルミアはニヤリと笑った。

 薄く煙を吐きながら、それとなく疑問を示す。


「随分、わかった言いようだね。まるで昔にあの子に会ったことがあるみたいじゃないか」

「まさか…今日初めてです」


 言いながらも、オヅマの胸にピリピリと小さな痛みがはしる。ルミアは首をかしげて、問いかけた。


「じゃあ、なぜあの子の母親のことを聞いたんだい?」


 サッとオヅマの顔が強張る。

 ルミアはその表情に穿つように重ねて問うた。


「お前さん、私の娘のことを…リヴァ=デルゼを知ってるのかい?」

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