第二百三十九話 老師ルミア(2)

「はい」


 家に招き入れられるなり、ルミアは手を出してきた。


「はい?」


 オヅマが聞き返すと、面倒そうに「アンタの世話代だよ」とそのものズバリ言ってくる。オヅマはややあきれつつ、首に下げていた『世話代』の入った袋をルミアに渡した。


「ふ…む」


 ルミアは袋の中身を素早く確認すると、澄ました顔で言った。


「さすがに大グレヴィリウスだね。ケチな田舎伯爵とは違うよ」

「はぁ…そんなもんですか」

「そりゃそうだよ。色が違う」


 自分の授業料…という現実味のある話について、オヅマはあまり聞きたくなかった。背嚢はいのうから書状を取り出し、ルミアに差し出す。


「これ、ベントソン卿からの紹介状と、ヴァルナル様からの親書です」

「あぁ…」


 ルミアは受け取って、署名だけチラと見ると、机の上に放り投げた。


「読まなくていいんですか?」

「こんなの形式的なモンさ。アンタを来させることは、ベントソン卿が前もってしらせてきていたし、ヴァルナルなんぞ…どうせ、あれやこれやと、くどくどしいことを書いてきてるんだろうよ。寝る前に読めば丁度いいだろう」


 なんてことを言うのであれば、ヴァルナルの手紙は睡眠導入剤としての役割を持たされたのだろう。


 ルミアは煙管キセルに葉を詰めると、「さて」とオヅマをまたじっと見つめてくる。

 オヅマは反射的に目をそらした。どうもあのセピアの瞳は、居心地が悪い。


 ルミアはパと空中に煙の輪を吐いて、尋ねてきた。


「オヅマと言ったか…お前さん、既に一度、稀能きのうを発現しているそうだね。しかもよりにもよって『千の目』だって? 奇ッ怪な技を身に着けたもんだ。誰に習ったんだい?」

「………わかりません」

「わからない?」

「勝手に……出来たんです」

「ホハッ!」


 ルミアは吹いてから、ゴホゴホとむせた。


「勝手に出来たァ? とんでもないホラをふくもんだ」

「ホラじゃないです! 本当に…」


 しかしその先に続く言葉をオヅマは言えなかった。

 で修行したなどと言って、信じてもらえるはずもない。まして、あのが、今のオヅマと繋がりがあるなど、認めたくもなかった。


 ルミアは胡散臭げにオヅマを見てきたものの、それ以上追求するのも面倒に思えたらしい。


「まぁ、いいや。悪いがウチでは、自分の面倒は自分で見てもらうよ。まずは、今日のアンタのを調達してきな。ハルカ!」


 鋭く呼ぶ声に、部屋の隅に伸びた細長い木の棒からスルスルと子供が降りてきた。春先でまだ寒いだろうに、短い袖のシャツに、膝までの短いズボンに裸足。オヅマがラディケ村でいた頃と同じような格好だ。

 タタッと走ってきて、ルミアの隣に立ち、そこでようやく女の子だと気付いた。


「この子は私の孫でハルカ=デルゼだ。ハルカ、オヅマだ。新たな稽古仲間さ」


 オヅマはにわかに、また胸がザワザワした。レーゲンブルトでアンブロシュ卿に会ったときと同じような感覚だ。


 ハルカと呼ばれた娘は、年の頃であればマリーとそう変わらないか、少し下くらいだろう。

 やや黄みのある日焼けした肌に、切れ長の腫れぼったい一重の瞳、鶸茶ひわちゃ(*灰色がかった黄緑色)の髪。

 幼さに似合わぬ無表情で、初対面の人間に対する好奇や警戒は見えない。

 ルミアと同じセピア色の瞳は、どんより曇っていて、オヅマを見ているのかすらわからなかった。髪もまたルミアと同じように耳下で切り揃えていたが、一房だけ赤い筒型の髪飾りをして、耳横に垂らしていた。


「ハルカ……」


 オヅマは無意識にその名をつぶやいていた。

 初めて会ったはずなのに、聞き覚えのある名前、見覚えのある無愛想な顔。

 だが、オヅマはそれ以上、思考を辿っていくことはしなかった。その先に見え隠れするリヴァ=デルゼの姿は、不穏しかび起こさない。


 ブンと頭を振って不吉な影を追い出してから、オヅマは手を出して挨拶した。


「よろしくな、ハルカ。俺はオヅマだ」

「…………」


 ハルカはオヅマの手をしげしげと眺めていたが、握手することはなかった。何も見なかったかのように、戸口へとすとすと歩いて行く。


「ついていきな」


 ルミアは煙管をふかしながら、すげなく言った。

 オヅマはコクリと頷き、ハルカの後に続いて家から出た。


 夕闇の迫る森の中、ハルカは一度もオヅマの方を振り返ることなく、黙々と歩いていた。


 決して早いわけではないが、まるで足に羽でもついているかのように、軽やかだ。裸足だが、常日頃から歩いていて足裏が強くなっているのだろう。ちょっとした枝などでも平気で踏みしだいていく。

 しかもよく見れば、足首には黒の足輪あしわをつけていた。

 オヅマも騎士団での訓練で、たまにあの足輪をして、走練などをすることもあるので、知っていた。あれは重りなのだ。重量は様々あるが、一番軽いものであっても、慣れない者であれば、普通に歩くことすらできない。

 しかしハルカの足取りに、重さは一切感じなかった。

 それだけでもこの少女が尋常ならざる身体能力を持っていると計り知れる。

 程なくしてオヅマはそれを確信できた。


「うわっ」


 いきなり斜め上から何かが飛んできた。

 反射的にけると、間一髪、さっきまで右足のあった場所に叩きつけられ、何かの果実が無残につぶれていた。

 黒っぽい果汁と、中の緑色の粒が地面に飛び散っている。


「なんだ…?」


 背を屈めて見ると、プワンと独特の臭いが鼻についた。


「うげ…これ、スジュの実じゃねぇか」


 オヅマは途端に鼻をつまんでしかめ面になったが、のんびりしている間は与えられなかった。

 ビュッと音がして、背にそのスジュの実がベチャリと当たる。


「ゲッ!」


 咄嗟に後ろを向いて確認しようとする間に、また実が飛んできてベチャベチャと腕と腹にぶち当たった。


 キャッキャ! と楽しげな声が響く。


 オヅマはキッと実の飛んできた方向へと目を向けた。

 暗くなってきた木々の枝々に、ポツポツと浮いた小さな赤い光。

 よく見れば、それは目だった。さらに目を凝らすと、薄緋うすひ色の毛に覆われた、黒い顔の猿たちが枝の上から並んでオヅマを見ていた。

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