第二百三十三話 ルーカスの話(3)
ルーカスは何度目かになる長い溜息をついたあとに立ち上がった。
ゆっくりした足取りで窓へと向かい開けると、キィン、キィンと騎士たちが修練場で剣術稽古をする音が聞こえてくる。
ルーカスは腕を組んで、騎士らの訓練風景を眺めながら、勿体ぶって切り出した。
「正直、言わんつもりだったんだがなぁ…仕方ない。特別に教えてやろう。あの坊やはな、レーゲンブルトが好きなんだと」
「へ?」
急に思いもかけないことを言われて、ヴァルナルはキョトンとなった。
ルーカスは驚いた様子のヴァルナルを見て目を細めた。
窓辺から、またゆっくりとヴァルナルの方へ歩きながら話を続ける。
「俺も当人から直接聞いたわけじゃない。騎士連中だったり、他の近侍相手に言っていたのを聞きかじったり、又聞きした内容を総合的に判断するに、だ。レーゲンブルト騎士団の一員として過ごしてきたことは、奴の誇りなんだ。騎士団は自分にとって家族同然なんだとさ。だから、ここにはレーゲンブルトを代表して来ている、っていう自覚はあるようだぞ」
ヴァルナルはパチパチと目を
オヅマにとってレーゲンブルト騎士団が、大切な存在であってくれるのは素直に嬉しい。だが…そこにヴァルナル個人は含まれているのだろうか?……
ルーカスはまだ弱気な友の肩にぽんと手を置いた。
「わかっているか? ヴァルナル。レーゲンブルト騎士団は、お前が一から作り上げたんだぞ」
「………」
「あいつはわかっていて、『レーゲンブルトが好きだ』と言っているんだ。つまり、ひねくれ者なりに、お前を尊敬しているし、お前の息子としての立場を理解している、ってことさ」
ヴァルナルはルーカスの言葉をゆっくりと反芻し、徐々に顔をほころばせた。ほのかな自信がじんわりと胸を熱くする。
わかりやすく喜んでいる友の姿を見て、ルーカスは軽く首を振った。
ルーカスからするとヴァルナルの悩みは今回の件において、あまり重要な項目ではなかった。心の中のことなど、他人にはわかりようもないし、本人だってたまにわからなくなるくらい不確かなものだ。
それに正直、取り越し苦労に近かった。
ルーカスから見れば、オヅマもヴァルナルも、十分に親子として認め合っている。それでもぎこちないのは、互いに遠慮しあって足踏みしているせいだろう。
はたから見てわかりやすいくらいだったが、ルーカスに口を挟む気はなかった。そちらについては、親子で勝手に解消してもらおう。
現状、彼らに必要とされるのは、心の絆より ――――
「お前がミーナ殿と結婚した以上、オヅマはお前の息子になったし、法的にも親子と認められている状態だ。あとはこの事実を、より強固にしていくだけだが、一番わかりやすいのは時間だ。親子という関係性が継続した時間そのものが『既成事実』になる。そのために最低でも一年は必要ってことだ」
「だから、オヅマを帝都に行かせないと?」
「そうだ。まだ
実際に出会う可能性は低いものの、何が起きるかはわからない。以前にシモン公子とアドリアンが広い皇宮の庭で出会って、騒動になったこともある。
「それはわかったが、なんだって師匠のところに…」
「それも色々と考えた結果な、まず一つにはお前らの親子関係に、より意味を持たせるという効果もある。お前と同じ
稀能は遺伝による承継はない。であればこそ、血の繋がりをもたないオヅマとヴァルナルにとって、同じ技を使うことが、いわば一つの絆として親子関係を補強するものとなる。
だがルーカスの意図するのはそればかりでない。
「結局のところ今は大公殿下にオヅマを指導してもらうわけにもいかんだろう? それでさっきの俺のひいじいさんの覚書の話になるんだが、稀能ってのは大元は繋がりがあるようなんだよな。己の感覚を集中的に研ぎ澄ませることで、常人には不可能と思える技を為す、っていう。その感覚を集中させる方法は色々とあるみたいだが、多くは呼吸によって整える……って書いてたんだが、合ってるか?」
「あぁ、まぁ…そうだな」
ヴァルナルは頷いた。
呼吸による精神集中が一番とっかかりやすいというのもあって、多くの稀能における最初の修養は、己の呼吸を自在に操れるようにすることから始まる。もっとも、実のところはこれが一番の難関で、これさえできればその後の技の習得自体はさほどに難しいものではない。
多くの騎士や戦士、修道者は稀能を体得しようとするが、たいがいがこの呼吸の修練で脱落する。理由は簡単で、地味な上に、体得できるまでに時間がかかるからだ。
「だとすれば、オヅマもその呼吸の整え方ってのを習得しておけば、今後、自分で修練を積むとしても有用だろう。それにそういう理由じゃないと、小公爵様も納得しないだろうしな。本当の意図をお話しするわけにもいかぬし」
「それはそうだな…」
ルーカスの言う通り、オヅマから帝都へ同行できないことを聞いたアドリアンは、血相を変えた。
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