第二百三十二話 ルーカスの話(2)

「さて…」


 ルーカスは茶をすべて飲み干してから、おもむろに胸ポケットから手紙を取り出した。


「レティエからだ」


 ヴァルナルは一気に緊張した面持ちになり、手紙を受け取ると一息ついてから読み始める。

 読み進めながら、どんどんと渋い顔になっていき、読み終わったときにはハァと深い溜息をついた。


 ルーカスは苦笑した。

 ヴァルナルの今の気持ちはわかる。


 ルーカスの二番目の妻であり、訴訟代理人として活躍するレティエ・フランセン。

 彼女に手紙を送ったのは、レーゲンブルトにおいてオヅマが大公の息子であり、今後、大公がオヅマの父親であることを主張してくることを危惧された為に、何かしらの手立てを講じる必要が生じたからだった。


 たまに帝都にいるときには、ルーカスからのちょっとした食事の誘いであっても無視か丁重に断ってくる元妻であったが、仕事に関連するような事となると、返事は早かった。

 当然ながら、詳しいことは伝えず、あくまで知り合いの話として、登場人物については曖昧なままに相談したものだったが、レティエは真摯に答えてくれた。


 曰く。


「『既成事実を確固たるものにする。』これがなんだかんだで一番効果があるようだ」


 ルーカスが言うと、ヴァルナルは力なくつぶやいた。


「あぁ。最低でも一年は親子としての関係を強固に…ということだが……」


 帝国においては、子供の養育権は父親にある ―――ということは前にも書いたが、養父と実父が子を巡って対立した場合においては、実父の権利が先に擁護される。(無論、双方合意した養子縁組の場合は、実父は権利を養父側に譲渡したと見做されるので、この限りにない)


 そのため、現状においてはオヅマの実父たる大公・ランヴァルトが、もしオヅマのことを知って、引き取りたいと言ってきた場合、ヴァルナルに抵抗する手段はないに等しい。

 しかし、たとえ法の規定があったとしても、解釈や情状酌量という余地によって当事者の利益を最大限に考慮する…というのは、円滑な社会環境のためには必須のことだ。

 ましてそれが単純な利益関係ではない、親子や夫婦といった情愛の絡むものであれば尚の事、杓子定規に法に則って解決されるものでもない。

 

 ヴァルナルとオヅマの場合、必要とされるのは、親子関係という『事実』を積み上げることだった。

 ヴァルナルとオヅマの親子間の絆がより強くなれば、血の繋がりのない間柄であっても、おいそれと実父の権限だけを主張できない。

 まして実父側が自らの子に対して、何らの庇護も与えてこなかったとなれば、養父側における扶育実績も鑑みて、交渉できる余地は十分にあるとのことだった。


「なかなか厳しいところを突いてくる…」


 自嘲気味に言うヴァルナルに、ルーカスは首をかしげた。


「なにか問題か?」

「さっきのオヅマの態度を見たろう? いまだに『領主様』『男爵様』なんだぞ」

「ハハッ! そりゃあ、仕方ない。つい先ごろまでは、お前は奴にとって領主様で、奴は見習い騎士だったんだからな」

「わかってるさ…そう簡単でないことは。しかし、こんな状態ではとても親子関係とは言えない。まして今は一緒に暮らしてもいないんだからな。この上、今回の帝都への訪詣ほうけいもオヅマが同行しないとなれば、疎遠になるばかりだ」


 弱気に言うヴァルナルを、ルーカスは一笑に付した。


「ふん。貴族の親子で一緒に暮らしているかどうかなんぞ、大した意味もないさ。公爵閣下と小公爵様とて、同じ敷地内にいるってだけで、館は別だし食事も一緒にとらんだろうが。帝都でお役目付きの貴族などは、領地に家族を残して一年の半分は会えないんだぞ。子供に顔を忘れられたと嘆いている者もいるくらいだ」

「彼らは血がつながっているだろう…」


 ボソリと低く、ヴァルナルはつぶやいた。

 結局のところ、ヴァルナルのオヅマに対する遠慮はそこにつきる。


 ルーカスはやれやれ…と、あきれたため息をつくと、強い口調で言った。


「お前、レティエの手紙をしっかり読め! 大事なのは、親に親としての自覚があって、子に子としての自覚があるのか…ってことだ。親であるお前の方は問題ないよな? じゃ、オヅマはどうだ? お前の息子として行動しているか、否か?」


 厳しい問いを突きつけられて、ヴァルナルは眉を寄せて考え込んだ。


「自覚……あるのか?」


 断定できず、聞き返すヴァルナルに、ルーカスは嘆息した。

 戦場であれば、相手方の思惑にいち早く気付いて、臨機応変に対処するというのに、どうして私的なこととなると、こう鈍感極まりないのだろう? 


「ハッ! まったく…わからん奴だな。自覚がなかったら、とうの昔にあの坊やはこんな堅苦しい場所からトンズラしてただろうよ。さっきの態度を見たろうが。華やかなりし水の都よりも、厳しいお師匠さんの待ってる田舎に修行に行く方がいいなんて…よっぽどここでの生活に辟易してるんだろうさ」


 ヴァルナルの顔がまた苦渋を帯びる。

 小公爵様のためとはいえ、オヅマには近侍なんて役目は窮屈この上ないのだろう。最初は当人も無理だと言っていたのだから。

 しかし、結局オヅマはここに来ることを選んでくれた。

 あのとき、本当は求めていないことを、彼に強いてしまったのではなかろうか…?


 いちいち悩みがちな友に、ルーカスは発破をかけるように言った。


「いいか、ヴァルナル。お前が思う以上に、アイツは冷静だし頭も回る。どれくらいまでが許容範囲か考えた上で、まぁ……そこそこにかき回してくれているが、今のところルンビックの爺様も、公爵閣下でさえも、追い出さずにいるんだ。っとに、そういう周到なところはさすがというしかないな」


 言ってからルーカスはしまったと口をつぐむ。

 しかし遅かった。

 案の定、ヴァルナルは一層暗い顔になって押し黙ってしまった。

 生来のものと思われるオヅマの素養に、実父である大公の影を感じずにはいられない。…

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