第二百三十一話 ルーカスの話(1)

 そこはいくつかある公爵家本館の応接室の中でも、最も小さな部屋であった。

 それでも内装は簡素ながら上質な調度品で揃えられており、飾り物らしき美々しく装飾された甲冑まで飾られてあった。

 正直、オヅマが領主館で暮らしていた小屋よりも広い。


「さて、本題だ」


 女中が茶を運んできて出ていき、確実にその足音が遠のいたのを確認したあとで、ルーカスが唐突に話を切り出した。


「オヅマは新年の上参訪詣クリュ・トルムレスタンに同行させない」

「なんだって?」


 聞き返したのはヴァルナルだった。


「オヅマは小公爵様の近侍だぞ。小公爵様が帝都に行かれないということか?」

「そんなわけがないだろう」


 ルーカスはあっさり否定する。

 涼しい顔でお茶を口に含んでから、オヅマをジロリと見て問いかけた。


「何か言いたいことはあるか?」


 オヅマは急な話すぎて、何のことだか意味がわからなかった。ルーカスに言われたことを反芻してから、確認する。


「俺は帝都に行かないってことですよね?」

「そうだ」

「まさかと思いますけど、やっぱり俺に近侍は向いてないってことで、匙を投げた…とか?」


 若干の希望を含みながら尋ねると、ルーカスはハッと吐き捨てるように言った。


「今更なにを…。お前みたいな態度もデカけりゃ、口も立つ、こまっしゃくれの子供ガキが近侍に適さないことぐらい、最初からわかってるよ」


 だったらどうして近侍なんかにしたんだ! ―――― と言いたかったが、今はその事について文句を言うべき状況ではない。

 オヅマはしばし考えてから、また別の可能性について尋ねた。


「じゃあ皆が帝都に行っている間、俺はレーゲンブルトに戻っておくんですか?」

「そんな訳あるか」


 ルーカスはあきれたように言ってカップを皿に置くと、オヅマに命令した。


「お前は我らが帝都に行っている間に、ズァーデンに行ってもらう」

「ズァーデン?」

「それは…」


 ヴァルナルはいち早くルーカスの意図を察した。「師匠のところにか?」


「師匠?」


 オヅマが首をかしげると、ヴァルナルは頷いた。


「私の師匠がおられるところだ。そこで私も『澄眼ちょうがん 』を習得するための、特別な訓練を受けた」


 オヅマはにわかに胸がざわめいた。ヴァルナルが使う稀能きのう『澄眼』を指導した師匠のところへ行け、ということは――――


「俺に稀能の修行をしに行けってことですか?」

「嫌か?」


 ルーカスの問いにオヅマは即答する。


「まさか! 行かせてもらえるなら、今からでも」

「ハッ! いい返事だ。じゃ、今日にでも紹介状を書いてやろう。その間に準備を整えておけ」


 ルーカスはオヅマの気持ち良い返事に上機嫌で言ったが、ヴァルナルは顔色を変えた。


「ちょっと待て。本気で言ってるのか?」

「あぁ、そうだが?」


 ルーカスがさも当然とばかりに首を傾げると、ヴァルナルは怒鳴った。


「まだ早い!」

「はぁ?」

「オヅマはまだ十二歳だぞ! 早すぎる」

「来年には十三です」


 オヅマがムッとして言うと、ヴァルナルも負けじと声を張り上げる。


「当たり前だろうが! 新年には私だって三十七だ」

「へぇ? お前、もう三十七なのか。年とったな~」


 ルーカスが感心したふうを装って混ぜっ返すと、ヴァルナルはキッと睨みつけた。


「話を逸らすな、ルーカス! 修行なんて早すぎだ。まだ十二歳だっていうのに」

「そんなこともないだろ。お前の修行の方が遅かったくらいだ。最も成長の著しい時期……お前、コイツがここに来てどれだけ背が伸びたと思う? この前支給された訓練着も早々に仕立て直さないといけなかったくらいなんだぞ。今は適齢期なんだよ、むしろ。俺のひいじいさんもこれくらいの年齢が一番素直に吸収するって、覚書に書いてたぞ」


 ルーカスの曽祖父であるディシアス・ベントソンは、当時のグレヴィリウス公爵であったベルンハルドの腹心の部下だった。ルーカスの前に『真の騎士』の称号を与えられ、それは名誉だけのものではなく、実際に二つの稀能を使いこなしたという剛の者でもあった。

 ヴァルナルは既に故人とはいえ、偉大なる先達の言葉を無下にする訳にもいかず、俯いてなんとか反駁の言葉を探した。


 その間にルーカスはのんびり茶を飲みながら、オヅマに尋ねる。


「さっきはああ言ったが、本当に今日出発せんでもいいんだぞ。ヴァルナルと積もる話もあるだろうし、騎士団の奴らとも久々に会いたいだろう」

「それは…」


 オヅマはチラリとヴァルナルを見てから、きっぱり言った。


「レーゲンブルトのことなら、アド…小公爵さまから聞いてるんで、たいがい知ってます。それに行くのがわかってるのに、じっとしている方が落ち着かない」

「まぁ…お前、どうせこうなったら、まともに座学の授業なんて受けていられないだろうなぁ」

「そうですよ。このあとに眠い歴史の授業なんて受けてたら、途中で嫌になって、そのまま出て行くと思います。今日は暖かいし、『旅立ちには吉日』ってこういう日のこというんでしょ?」


 古典の詩の一節を持ち出したオヅマに、ルーカスはニヤリと笑った。 


「イシネラーヴルの詩か。一応、ちゃんと勉強してるんだな」

「そうだ!」


 急に叫んだのはヴァルナルだった。


「十二の子供に一人旅なんて危ないだろう!」


 どうやら『旅立ち』という言葉で、思いついたらしい。

 ようやくヴァルナルがひねくりだした言葉に、ルーカスはまたあきれたように首を軽く振った。


「お前ねぇ…公爵領地内で、公爵家の人間に手を出すような馬鹿がいると思うのか? だいたい、そう簡単にやられるようなガキかよ、コイツが」


 ルーカスがクイと顎をオヅマに向ける。


 ヴァルナルはオヅマを見た。

 さっきまではあからさまに目線を逸らしていたのに、今は真っ直ぐに自分を見つめている。

 ミーナと同じ薄紫の瞳は真剣で、必死だった。


 ヴァルナルは嘆息した。

 どうしてよりによって、息子になったオヅマからの最初のがコレなんだ…?


「言っておくが…師匠は容赦ないぞ」


 ヴァルナルは多少、怖がらせようと思って言ってはみたものの、オヅマはまったく動じていなかった。むしろ、その言葉を肯定と捉えたようだ。


「はい! 頑張ります! じゃあ、早速準備します」


 嬉しそうに言って立ち上がる。

 ヴァルナルは久々にオヅマの笑顔を見た気がした。ミーナとのことがあってから、オヅマとはどこか一歩置いた距離感になっていて、こんな嬉しそうに素直に笑いかけられるのは久々な気がする。


「あ、そうだ。小公爵様に一応、ちゃんと報告しておくようにな」


 ルーカスに言われて、オヅマの脳裏にアドリアンの顔が浮かぶと同時に、元々ヴァルナルに会いに来た用事を思い出す。


「あっ、そうだった。あの領主…じゃなくて、男爵様。アドル…じゃなくて小公爵さまが、是非にも稽古をつけてほしいと仰言おっしゃってました」

「あぁ…わかった」


 ヴァルナルは頷いた。

 内心では、いまだに自分の呼称が家族としてのものではなく、身分上の敬称になっているオヅマに少々複雑な気持ちを抱いたが、まだ親子となって一年も経っていないのだ。それまで騎士見習いと、領主という関係だったのだから、無理もない。


「明日の修練で伺うと申し伝えてくれ」

「はい。では、失礼します」


 ピシリと騎士礼をとって辞儀すると、オヅマは弾むような足取りで部屋を出て行った。

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