第二百三十話 出迎え(3)

 新年の上参訪詣クリュ・トルムレスタンに集まった人々の群れで、本館へと向かう廊下はごった返していた。

 オヅマがその中を縫って歩いていると、近侍服に気付いた者が物珍し気に見ては、近くにいる者を捕まえてコソコソと話したりしている。多くの者は眉をひそめ、口の端に冷笑を浮かべていた。

 オヅマはますます仏頂面になって、早足で人々の間をすり抜けていく。

 ようやく馴染みのある騎士服とマントを見つけて、引き締めた顔の筋肉が緩んだ。


「マッケネンさん、久しぶり」


 マッケネンは振り返ると、まじまじとオヅマを見てからプッと吹いた。


「なんだ…お前……いっぱしの近侍やってるじゃないか」


 チャコールグレイの繊細な模様が織り込まれた生地に、グレヴィリウスの家門が胸に刺繍された近侍服は、元より怜悧で整ったオヅマの容貌によく合っていた。

 レーゲンブルトにいた頃には、ツギ当てした粗末な服を着ていた印象であるので、雲泥の差と言っていい。

 もっとも残念ながら、中身はそう変わっていないようだ。


「近侍なんだから当たり前だろ」

「ハハッ。違いない」

「オヅマ」


 マッケネンの背後から、厳しくオヅマを見ていたカールがズイと前に出てきて言った。


「先にヴァルナル様に挨拶しないか」


 オヅマは軽く息をついてから、あえて視線を外していたヴァルナルに目を向けると、深くお辞儀した。


「お久しぶりです、領主……いや、クランツ男爵様」


 言い慣れた「領主様」という言葉から変えたのは、公爵邸において『領主』という限定地域の主君を表す言葉に『様』をつけていいのは、公爵閣下唯一人であるからだ。また、他地域の領主との混同を避けるためもある。

 それでいてヴァルナル様とも呼べないのは、オヅマの微妙な距離感というべきものだった。


「あぁ、久しいな。オヅマ」


 ヴァルナルは相変わらず朗らかに言ったが、ややぎこちなかった。

 二人はそこで一旦、互いに何を言うべきかを考えあぐねているようだった。

 奇妙な沈黙が流れる。


「あ…ミーナは……元気にしてるぞ」


 ヴァルナルはとりあえず思い浮かんだ中で、オヅマが最も気にかけているだろうミーナについて触れた。

 しかし案外と、オヅマの反応は淡泊だった。


「あぁ、そうですか。良かったです」

「マリーも、オリヴェルも元気だ」

「あぁ。はい…知ってます」

「知ってる?」

「アドルから聞いてます」


 何気なく言った名前に、周辺で聞き耳を立てていた者達がザワリとする。

 オヅマが咄嗟に言い繕うよりも先に、ハハハと快活な笑い声が響いた。


「いやぁ、聞いていた通りだな」


 明るい茶髪に青い瞳の、騎士らしき男がゆっくりとこちらに歩いてくる。

 兜以外は鎧に身を包み、その胴当てに刻まれた交差した剣と戦斧せんぷの紋章を見てオヅマはつぶやいた。


「エシル…?」

「そう。初めまして、オヅマ。エーリク・イェガの兄のイェスタフ・イェガだ。よろしくな」


 弾むような口調で言いながら、イェスタフは驚いているオヅマの手を掴んで持ち上げると、有無を言わさず握手してくる。拒むつもりはなかったものの、少々強引な挨拶にオヅマはたじろいだ。「どうも」と軽く返事して、早々に手を離す。

 イェスタフは特に気にする様子もなく、すぐにヴァルナルに屈託ない笑顔を向けた。


「久しいですねぇ、クランツ男爵。去年はおられなかったから、随分とがっかりしたんですよ。今年こそはみっちりとお相手願います」


 ヴァルナルも相好を崩して、親しげな様子で言った。


「さて、どこまで私を追い込んでくれるのか、楽しみだな。ラーケルは元気か?」

「もちろんです。兄も今年こそは一本取ると息巻いてますよ。それに、今年は弟もいますしね。ご子息から聞いているとは思いますが」

「うん?」


 ヴァルナルがキョトンと聞き返すと、イェスタフは悪気もなくオヅマに目線をやる。戸惑いを浮かべるヴァルナルに、オヅマは素っ気なく言った。


「エーリク・イェガは同じ近侍です」

「あぁ…そうか。そうだったな」

「なーんですか! 親子だってのに、かしこまっちゃって。聞いてますよ、男爵。大恋愛の末に結婚されたと。それで、奥方はもうお部屋に?」


 イェスタフは早口に言ってから、キョロキョロと辺りを見回す。

 周囲の貴族連中も興味深げに窺っていた。しかし彼らはヴァルナルの返事に一様に落胆した。


「あ…いや。その、妻は領地で息子の面倒を見る必要があるので来ていない」

「えぇー! そうなんですかぁ…」  


 辺り構わずイェスタフは叫び、大仰なほどに肩を落とした。

 チラとオヅマの方を見てため息をつく。


「公爵閣下一筋のクランツ男爵をとしたって聞いて、どんなひとかと思っていたんですよ。オヅマの顔から想像するに、きっと美人だろうし…」


 そういう目で見られていたとわかり、オヅマはムッと顔をしかめた。

 しかしオヅマが抗議する前に、イェスタフの頭に拳骨が落ちた。


「この馬鹿が! 下世話な言葉を使うな!」


 一喝する声と、殴られた頭の痛みにイェスタフは首をすぼめると、さっきまでの大声が嘘のように小さく「すみませーん」と謝った。

 イェスタフの頭を殴った男 ――― ブルーノ・イェガ男爵はすぐにヴァルナルに頭を下げた。


「申し訳ない、クランツ男爵。愚息がとんだ失礼を…」

「いや。いつもながら元気なご子息でなによりだ。気にしないでくれ。言っていることは間違ってない」

「は?」

「イェスタフの言う通り、我が妻は美しいんだ」


 堂々と人前でのろけるヴァルナルにイェガ男爵は一旦、言葉に詰まった。目を瞬かせてから、イェスタフ同様にオヅマをチラリと見てから、ようやく頷いた。


「………成程」


 オヅマはまた眉を寄せて、イェガ男爵親子を憮然と見つめた。

 ざっと見たところ、エーリクは父親に似たようだ。胡桃色の髪と、真一文字に引き結んだ唇。あまり感情を見せることのない小さな瞳も同じだが、瞳の色は青かった。


「それでは、また後ほど」


 ブルーノ・イェガ男爵はそれ以上、何か言うべきことが見つからず、息子を引きずるようにしてその場から立ち去った。

 嵐が去った後のなんとも言えぬ奇妙な空気に、ヴァルナルは軽く咳払いしてから、いかめしく言った。


「小公爵様に対しての言い方はもう少し考えるように」

「はい」


 オヅマは静かに頷く。

 目を合わせることのない二人の微妙な距離感に、カールとマッケネンは見合って互いに肩をすくめる。


 そのとき、またオヅマを呼ぶ声が響いた。


「これはこれは。久しぶりに父親に会えて、嬉しくて声も出ないようだな、オヅマ」


 低いながらもよく通る声は、広い廊下の隅々にまで聞こえた。

 オヅマはまったく思ってもいないことを言われ、声をかけてきた男 ――― ルーカスにあきれた視線をやった。


「なに言って…」


 否定する前に、ルーカスはオヅマの背を強めに叩いた。


「秋の暮にレーゲンブルトを出てから半年ぶりくらいか? 懐かしかろう? せっかくの親子の語らいに、いつまでも廊下で突っ立っていては、人目を気にしてまともに喜ぶこともできまい。たっぷりと積もる話もあろうからな。カール、諸々の手配はお前がしておけ」


 兄からの問答無用の命令にカールは一瞬眉をひそめたが、すぐにルーカスの意味深な目に気付いて恭しく騎士礼をして頭を下げた。


「かしこまりました」

「さ、行くぞ。クランツ男爵と、ご子息」


 わざとらしい言い方でオヅマを呼び、ルーカスは先に立って歩き出す。


 オヅマは不服であったが、これ以上ここにいて好奇の視線にさらされるのも嫌だった。

 仕方なく、ヴァルナルから数歩おいて後にいていく。

 途中でチラリとヴァルナルがオヅマを見た。

 なんとなく寂しそうな顔をしているように思えて、オヅマは視界に入らないようにルーカスの背だけ見ていた。

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