第二百二十九話 出迎え(2)
「お待ち下さい、小公爵様! ルティルム語の授業はどうするおつもりです?」
「エーリクと一緒に補講を受けるよ」
マティアスは珍しく ――― というより、初めてアドリアンに大声で反対した。
「いけません! 今、本館に行けば諸侯が集まっているのです。その中で、小公爵様が特定の者に対して出迎えるなど、あってはいけません!」
「……去年…はいなかったけど、毎年、迎えに出てるよ」
「今までは許されていても、今年からはお控え下さい」
「どうして? 僕のことなんて、誰も目くじらたてたりしないさ」
マティアスの強硬な姿勢に、アドリアンも流石にムッとなって言い返す。
しかしマティアスは頑として譲らなかった。
「小公爵様は今年から我ら近侍を持たれました。これは小公爵様を
帝国貴族特有の言い回しで、文字通り成人に達してはいないものの、子供と呼ばれる年齢を過ぎたと見做される。
品行についても子供であれば許されていたことが、ある程度の責任をとる年齢であるとされ、厳しい見方をされるようになるのだ。
アドリアンは十一歳という年齢だが、近侍を自分の周囲に置くことは、命令を下せる立場であると同時に、相応の責任を課せられる。
まさしく半分大人、ということだった。
「小公爵様は、公爵様同様に、家門のすべての者に対して公平であるべきです。人目のある…まして、
アドリアンはマティアスの言いたいことはわかったものの、やはり納得できかねた。
建前では公平だとか言っているが、ある程度の贔屓差があるのは、誰もがわかりきっている。居並ぶ諸侯の中に、自分の味方が少ないことも。
反論しかけたアドリアンを止めるように、オヅマが手を挙げた。
「マティに賛成」
アドリアンは驚いてオヅマを見た。
一方の当事者であるマティアスも含め、その場にいた全員が意外な挙手にポカンと口を開いた。
オヅマは全員が呆気にとられた顔をしているのを見て、プッと吹いた。
「なんだよ、皆して鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」
「いや……」
マティアスは何を言えばいいのかわからなかった。
まさかオヅマが自分に同調するなど思ってもみなかった。いっそ聞き間違えかと勘繰ったが、目の前ではアドリアンがオヅマに詰め寄っていた。
「どうしてだよ!? 僕がヴァルナルと親しいことなんて誰でも知ってる。今更、気にしたって何も変わらないだろ!」
「今更…ね」
オヅマは片頬に皮肉な笑みを浮かべて、ジロリとアドリアンを見た。
薄紫の瞳に厳しい光が宿り、アドリアンは声を詰まらせる。
「お前の…小公爵さまの言動でいくつか気になることがある」
「え…?」
「さっきもそうだった。『僕のことなんて』とか、『今更変わらない』とか。ときどき、小公爵さまはご自分で自分自身を
オヅマに尋ねられて、アドリアンは答えられなかった。
この一年で自分としては大きく変化した自覚はあったものの、やはり染み込んだ卑屈な精神は、そう簡単になくならない。
この公爵家において、目立たぬように…自分という存在を希薄にすることは、望まれたことでもあり、自ら進んで行ったことでもあった。
忸怩として唇を噛みしめ、アドリアンは黙り込む。
アドリアンの沈黙にマティアスは当惑しつつ、オヅマの横柄な態度がまた目についた。
「オヅマ、失礼だぞ。小公爵さまと話すときに腕を組むな、腕を」
いつものごとく小言を言うと、オヅマはやれやれといった感じで、マティアスの横に立って、その肩をポンと叩く。
「ホレ、見てみろ。こんな忠義者のマティアスが、わざわざお前に反対までして、言ってんだぞ。俺は別にお前が領主 ――― じゃなくて、クランツ男爵に会いに行こうが行くまいが、どっちでもいいとは思うけど、コイツがこうまで反対するならやめておいた方がいいと思う」
マティアスは言われたことを反芻してから、眉を寄せた。
横でなれなれしく自分の肩に手を置いているオヅマをジロリと見上げて尋ねる。
「ちょっと待て。お前、それは結局、僕の意見を理解していない…ということじゃないのか?」
「ん? あぁ…最初の方、聞いてなかったんで」
「いいかげんな! 人の意見に賛同するなら…」
マティアスがまたガミガミと説教を始める前に、アドリアンは静かに言った。
「わかった。……確かに、マティの言うことが正しいと思う」
「小公爵さま……ご理解いただき、ありがとうございます」
マティアスは安堵の息をついて、頭を下げた。
しかし急にしょんぼりと肩を落とすアドリアンを見て、少々気まずい様子でうつむく。
「オヅマ…あの、君は本当に迎えに行かなくていいの?」
キャレがおずおずと尋ねると、オヅマが答えるよりも早くマティアスが怒鳴った。
「そうだ、オヅマ! お前は行ってこい!」
「はぁ?」
オヅマはあからさまに面倒そうな顔になった。
「なんでわざわざ…訓練で会えるだろ?」
「必ず修練場に来られるという保証もないだろうが。来たばかりなら色々とやるべきことも多くて忙しいだろうし、そもそも、お前はクランツ男爵の息子なんだぞ! 父親の迎えくらい行って当然だ! エーリクだって行っている。我々だって家族が到着のときには出迎えるのが礼儀なんだ」
「家族…ねぇ」
オヅマは自分でも実感がなかった。
ヴァルナルと母が結婚して、自分はヴァルナルの息子として、ここにいる。それはわかっているが、『家族』と呼ぶには、まだどこかで違和感があった。
これはオヅマだけでなく、ヴァルナルもそうなのだろう。
マリーへの親しげで気楽な接し方に比べると、ヴァルナルはあからさまにオヅマに遠慮し、どこか持て余しているように見えた。
迎えなんて、望んでもいないだろう。
しかしマティアスはオヅマの複雑な心境については、一切頓着しなかった。
「いいから行ってこいッ!」
尻を蹴りつける勢いで追いたてられ、オヅマは仕方なしに本館へと向かった。
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