第二百二十八話 出迎え(1)

 すっかり雪も解けて、耕作の始まる種蒔 たねまき月を過ぎ、萌芽ほうがの月を迎えると、アールリンデンの公爵邸はにわかに忙しくなった。

 帝都への訪詣ほうけいを控え、北東部に分散するグレヴィリウス家門の諸家が公爵邸へとやって来るからだ。


「あれ? 今日はエーリクさんいないの?」


 勉強室に入って開口一番オヅマは尋ねた。

 授業前に近侍たちは勉強室に集まることになっているのだが、いつもオヅマは一番遅いので、来たら全員揃っているのが常だった。

 しかし今日はエーリクの姿がない。


「具合でも悪いのか?」


 尋ねながら椅子に座ると、マティアスが鹿爪らしい顔で話し出す。


「エーリクは今日、エシルからイェガ男爵がおでになるから、出迎えだ。荷入れや騎士団宿舎の設営を手伝うから、今日いっぱいは休務となると………昨日、本人が言っていただろうが! 忘れたか!?」


 マティアスは普通に話そうと思っているのだが、結局怒鳴ってしまうのは、もはや習慣と言ってよかった。

 また始まった二人の口喧嘩に、口挟む者は誰もいない。


「あぁ~、そうだったっけ?」

「ちなみに私は明日、テリィもこの数日中には来るからな! その時にはお前! ちゃんと近侍としての役目を忘れずに…」


 また説教を始めようとするマティアスを無視して、オヅマはキャレに尋ねた。


「キャレ、お前は? お前のとこはいつ来るんだ?」

「あ…僕の…ところは……」


 キャレはおどおどと目を泳がせた。

 こちらに来てから、オルグレン家からは何の音沙汰もない。アールリンデンにいつ頃来るかなど、全く知らされていなかった。

 しかし、その問いにテリィがあきれたように言った。


「何言ってるんだよ、オヅマ。ファルミナはアールリンデンより帝都に近いから、来ないよ。帝都への道すがらに合流するだけさ」

「あ、そうなのか」

「ちゃんと所領配置について頭に叩き込んでおけば、そんな間抜けな質問などしないだろうに」


 マティアスが嫌味っぽく言うと、オヅマは肩をすくめた。


「覚えなくたって、地図を見ればいいじゃねぇか」

「覚えないから考査を二度も受ける羽目になるんだろう!」

「二度受けて駄目なら、三度目で覚えればいいのさ~」

「貴様ァ……」


 また口喧嘩が再燃する。

 テリィはため息をついて、軽く頭を振ると読書に戻った。キャレもルティルム語の復習で忙しかったので、関わらないようにした。

 エーリクかアドリアンがいてくれれば、丸く収めてくれるが、エーリクはさっき言った理由でおらず、アドリアンもまだ来ていない。もっとも最近ではエーリクとアドリアンですらも、自然消火しそうなときには放っておきがちだった。

 この場合、自然消火はマティアスが疲れて降参するか、オヅマが面倒くさくなって投げ出すかだが……


「ハイハイハイハイ。わかったわかったー」


と、まったく気のない返事をしてオヅマが強引に終了させる、というのがほとんどだった。


 マティアスはまだ何か文句を言いたげだったが、そこにちょうど具合よくアドリアンが現れた。

 走ってでも来たかのように、息が乱れ、肩を大きく上下させている。


「オヅマ! なにしてるんだ!」


 いつになく興奮気味に呼ばれて、オヅマはキョトンとなった。


「どうした……んですか?」


 後半に敬語をつけ足したのは、当然ながらマティアスが厳しく睨みつけてきたからだ。


「ヴァルナルがもう来るって。早く迎えに行かないと…」

「へ?」

「さっき鳩が来たらしい」


 鳩、というのはグレヴィリウス公爵邸の正門に入った時に、館に向かって来客を報せる鳩のことだ。


「あれ? 朔日ついたちに出発って言ってなかったっけ?」


 オヅマがそう尋ねるのは、マリーと頻繁に手紙のやり取りをしているアドリアンから、ヴァルナルが萌芽の月朔日にレーゲンブルトを出発する予定という話を聞いていたからだ。


 ちなみにオヅマはレーゲンブルトから届く手紙を読みはするものの、返事は滅多と返さなかった。自分のことを書くのが億劫であったし、何を書けばいいのかもわからない。ようやく書いたとしても「元気。問題ない」という素っ気ないものであったので、段々とオヅマに届く手紙は少なくなった。

 当人に聞くよりも、アドリアンとやり取りをしているマリーからの情報の方が、オヅマについての近況を詳しく知ることができたからだ。

 反対にオヅマもレーゲンブルトでの出来事については、マリーからの手紙を読んだアドリアン伝手に聞くため、今回の訪問日時のこともアドリアンから聞いていた。


 朔日に出発であれば、おそらくアールリンデンに到着するのは五日あたりと言っていたのに、今日はまだ三日。


「ヴァルナルと数名の騎士達は黒角くろつの馬で来たみたいだ。輜車にぐるまとかは後から来るみたいだけど」


 アドリアンに言われて、オヅマは納得した。

 ヴァルナルやカールを始めとする司令部隊は全員、黒角馬に乗っている。馬車でもなく騎馬で、しかも黒角馬で、ヴァルナル達だけで先行するのであれば、早く到着してもおかしくない。


 とはいえ―――― 。


「なんで迎えに行かないといけないんだ?」

「なんでって…」

「どうせ今日は無理でも、そのうち修練場で会うことになるだろ、たぶん」


 面倒そうに言うオヅマにアドリアンは目を丸くした。


「会いたくないの?」


 当然のように尋ねると、オヅマはムッスリと渋い顔になる。


「会いたいとか、会いたくないとかじゃなくて……別に必要じゃないなら、無理して会う必要もないだろ……っていうだけだ」


 予想外のオヅマの反応に、アドリアンは少し気勢をそがれた。

 アドリアンの予想では、オヅマが驚きつつも「一緒に行こう!」と、飛び出して行くのだと思っていたのだ。それこそアドリアンなど追い抜いて、一人で本館の方へと走っていくぐらいだろうと思っていたのに…。


「じゃあ、いいよ。僕、一人で行ってくる」


 アドリアンが踵を返して行こうとするのを、マティアスがあわてて止めた。

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