第二百二十七話 キャレと小公爵(2)

 自分の連れてこられた場所が、小公爵の部屋に隣接した衣装部屋だとわかると同時に、あきれるほどの衣装の数にキャレは圧倒された。


「………」


 唖然として立ち尽くすキャレに、アドリアンがなんとも微妙で曖昧な笑みを浮かべた。


「こんなことをするのは、君にとってはあまり嬉しいことじゃないかもしれないけど…よければ、好きな服を持っていくといい」


 言われた途端に、キャレは絶句して俯いた。身の置き所のない恥ずかしさに、ただ黙って唇を噛み締めるしかない。

 アドリアンは申し訳なさそうに言った。


「嫌かな?」

「…………」


 キャレは返事ができなかった。

 今のアドリアンの言葉も、その声音から、優しさが伝わってくる。そうやって優しくされるほどに、キャレは泣きそうだった。

 自分には今まで、そんな優しさを向けてくれる人がいなかったから。


「マティアスから聞いてる。オルグレン家に何度か服を送ってくれと頼んだのに、何の返事もないらしいね」


 最初の晩餐のときにマティアスから「みすぼらしい」との指摘を受け、キャレは嫌々ながらもオルグレンの兄に、できれば新品の、それが無理なら兄達があまり着なかったような古着でいいので、送ってもらえないかと手紙に書いて送ったのだが、梨のつぶてだった。それは予想通りなので、キャレは傷つかなかった。


 幸い、近侍用の制服がそう待たされることもなく支給され、三着の制服を着回すことでどうにかした。洗濯物を多く出して、使用人に臍を曲げられても厄介なので、自分で洗ったりすることもあったが、キャレは気にしなかった。ファルミナにいた頃には毎日のようにやっていたことだ。


 だがアドリアンは、キャレが難渋しているのを見て、憐れに思ったのだろう。


「本当はずっと気にしていたんだけど、まだ会って、よく知りもしないうちから、こんなことをしたら、君はを受けたみたいになるだろう?」


 アドリアンの言葉に、キャレはハッとして顔を上げた。

 ニコリと笑うアドリアンの鳶色の瞳は優しく、やわらかな光を宿している。


「僕は君と友達になりたいと思ってる。だから、これはじゃなくて、友達として助けたい……自分にできることをしたいだけなんだ」


 キャレは自分のカラカラになった心が、あふれる涙で満ちていくのがわかった。


 友達。

 それは今までキャレの人生にいなかった存在だった。

 本の中の、自分には手に入らない絵空事のように思っていたものが、思いもかけない形で目の前に差し出された。


「……ありがとう…ございます」


 泣くのをこらえて声が震える。

 アドリアンが心配そうに尋ねてきた。


「もしかして怒ってる?」

「まさか! そんな……」

「本当? 怒りすぎて震えてる…とかじゃない?」


 そう言ったアドリアンの顔は、いつもの怜悧な小公爵様ではなかった。自分と同じ、相手のことを窺って、少し自信のなさげな子供の表情。

 キャレはフフッと思わず笑ってしまった。

 なんだか可愛く思える…。


「良かった」


 アドリアンは安堵して嬉しそうに微笑んだ。

 キャレもニコリと笑い返す。いつものような愛想笑いではない。自分の心を素直に表したものだった。


「さて。じゃ、選ぼう!」


 それからいよいよ服選びが開始したのだが ―――― 早々にキャレはアドリアンと友達になったことを少しだけ後悔した。


「あれ? ……なんか思ってたよりも小さいね」


 同じ年とはいえ、アドリアンはキャレよりも背が高くて、現在着ているものだとキャレには大きすぎた。


「………すみません」

「謝るようなことじゃないけど…」


 アドリアンは笑ってから、ポンとキャレの両肩に手を置いた。もうちょっとでキャレは悲鳴を上げそうになって、あわてて口を押さえる。


「…? どうかした?」


 不思議そうに尋ねてくるアドリアンに、キャレはなんとか笑みを浮かべた。


「いえ、なんでも」

「うん、やっぱり小さいな。肩が細くてブカブカだ」


 アドリアンは容赦なくキャレの肩をなぞって、だいたいの肩幅を把握すると、衣服の間を縫って奥へと進む。


「うーん……じゃあ、奥にあるのだったら着れるんじゃないかな。これとか…」


 衣服の中を探って動き回るアドリアン越しに、一瞬、小さなドアのようなものが見えた気がした。

 キャレはもう一度見ようとしたが、その時にはアドリアンが数着持って、キャレに渡してくる。まるで新品のように、型崩れもせず、色褪せもしていない服ばかりだ。


「いいんですか? 新品みたいですが」

「うん。袖を通してないのもあるかも。この頃に僕、レーゲンブルトに行ってたから、帰ってきたら小さくなっちゃって、着れなかったのもあったと思う。だからちょうど良かったよ。着てもらえた方が、仕立て屋も嬉しいだろう」


 なんだかえらく庶民的なことを言うアドリアンが、キャレには微笑ましかった。


 最初は兄からの命令で来て、どうなることかと戦々恐々とばかりして、生きた心地もなかったが、こうなったら肚をくくるしかない。


 なんとしても、絶対に、秘密がバレることのないように。

 これまで以上に細心の注意を払って。

 せっかくできたを失わないためにも、どうあっても自分はここで『キャレ』として生きていくのだ…!

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