第二百十五話 弓試合(4)

 弓部隊側の一番手はヨエルだった。

 彼は普通の弓を使い、落ち着いた所作で射場に立つと、あっさりと矢を放って、【正中トル】に射ち込んだ。

 オォッ、と見物していた騎士たちが声を上げる。

 ヨエルは特に喜ぶこともなく、次の射手であるアドリアンに軽く目礼すると、後ろに下がった。

 どうやらヨエルにとってこの程度のことは、朝飯前であるらしい。


 アドリアンはヨエルと同じ普通の弓を持ち、まず一矢を放つ。

 ヨエルほどの勢いはないものの、やや弧のある放物線を描いて、トスリと的に当たった。


「三の円」


 審判の騎士が朗々と告げる。

 中心部分から三番目の輪の中。

 幾人かの騎士たちは、軽く感嘆の声をもらした。

 この年齢であれば的に当てること自体、難しい。

 膂力りょりょくがついていないと、的に届きもしないからだ。これは普段から小公爵が騎士の訓練に真面目に取り組んでいるという証であった。


 アドリアンは一つ深呼吸してから、二の矢をつがえた。

 教えてもらったように、力が入り過ぎないように、姿勢を正しくして ―― 放つ。

 鋭く飛んでいった矢は、【正中トル】の近くに当たった。

 これには騎士たちがどよめき、ヘンスラーも思わず身を乗り出した。


 オヅマはニヤリと笑う。

 レーゲンブルトでアルベルトから教えてもらっているときも、弓ではアドリアンの方が上手だった。特に、こうした儀礼的な色合いの強い【的射ちテル=ディオット】などにおいては、冷静沈着なアドリアンはより強みを増す。


 その後の三本もアドリアンは的に命中させた。

 射場から立ち退くアドリアンに、ヨエルが拍手を送った。


「見事にございます、小公爵様。そのお年で、ここまで修練を積まれるとは、大したものでございます」

「ありがとう、ヨエル」


 アドリアンはニッコリと笑って、熟練の弓騎士からの賛辞を受け入れた。

 オヅマらの待つ場所へと戻ってから、フゥと息をつく。


「あぁ、緊張した……」

「見事です、小公爵さま」

「素晴らしいです」


 マティアスとテリィは、拍手しながら大袈裟に褒めそやす。

 キャレはアドリアンの襟が汗で濡れているのを見て、そっと手ぬぐいを渡した。

 アドリアンは少し驚いたようにキャレを見たあとに、「ありがとう」と笑って受け取る。涼しい顔をしていたが、正直なところ、心臓は飛び出そうなくらい激しく打っていたし、今だって手は震えていた。


 一方、オヅマとエーリクは次の射手であるヤミが持っている弓を見て、顔をしかめた。


「野郎……長弓でやる気だ」

「……ヨエル卿と小公爵さまを合わせて良かったな」


 試合が始まる前から、長弓を使わない騎士 ―― ヨエルに対し、アドリアンをぶつけることは決めていた。とてもではないが、長弓であればアドリアンは矢をつがえることもできなかったろう。


「フン、あんなモンで的に当たるのか……」


 オヅマは希望も含めて毒づいたが、射場に立ったヤミの姿は湖に立つ鶴のように、優美でありながら、一切の動揺もなかった。自らの身長ほどもある長い弓を苦もなく引き絞ると、流れるような動作で矢を放つ。

 鋭く、勢いのある矢が、ドスリと的の左上辺にある三日月型の枠【金色州サス】に突き立った。


「やった!」

「さすが、ヤミ!」


 騎士たちは一気に歓声を上げたが、ヤミ本人はまるで関心もないように、射場を後にする。通り過ぎざま、チラリと蒼氷色フロスティブルーの瞳がオヅマらを見た。


「どうする?」


 エーリクが厳しい顔で問うてくる。


「エーリクさん、長弓は?」

「一応やってはいるが……正直、五本すべてを当てるのは無理だと思う」

「一本でもいいさ。俺もそのつもりでやるし」

「じゃあ……」

「とりあえず、先行ってくれ。どうせあのニンジン頭の隊長殿も長弓で来るだろうから……そっちはどうにかする」

「わかった」


 エーリクは立ち上がると、長弓を持って射場に立った。

 近侍の中では最年長で大柄なエーリクであっても、長弓を扱うのは難しかった。ただ力があればいいというだけでなく、細かな動作を調整せねばならない。

 矢のつがえ方、的を狙う角度、踏ん張る足の間隔。

 自らの体格をよくわかった上で、自然条件も加味して瞬時に計算しながら的を狙うのは、相当な修練を要する。

 ギリギリと弓を引き絞る。

 だが、自分で矢を放った瞬間にエーリクは失敗を悟っていた。

 案の定、矢は的に届かず地面に落ちる。


「残念!」


 後ろからヨエルが励ますように声をかけた。「もっと弓を押せ!」


 エーリクは一息ついた後に、再び矢をつがえた。

 ギリギリとつるを引きながら、ゆっくりとを計っていたが、背後から騎士らの「長いな」という小さな声が聞こえた途端に矢を離してしまった。

 また、矢は的に届かず落ちる。

 なんとなく騎士らの冷笑を感じて、エーリクの背に汗が噴き出した。

 妙に焦って矢をつがえたものの、何か違和感を覚えて、思わず矢を降ろす。


「無効、一本」


 射場に立って、矢をつがえる動作を途中で止めた場合、無効となる。つまり一本が無駄になった。

 エーリクは思いきり渋い顔になり、ため息をついて一度、射場から降りた。

 明らかに動揺しているエーリクに、オヅマがのんびり声をかける。


「そんなに真剣になんなくてもいいって、エーリクさん」

「そうそう」


 アドリアンも気安い口調で言って、先程キャレからもらった手ぬぐいをエーリクに放った。


「別に命がかかってるわけじゃない。負けたって、僕らがすべきことはそう変わりないんだから」

「は……」


 エーリクはアドリアンから受け取った手ぬぐいで額や首の汗を拭うと、深呼吸してから再び射場に立った。

 父や兄から教わったことを反芻してから、再び弓を持って、引き絞る。焦らず呼吸を繰り返し、自らの気が充溢するのを待って放つ。

 矢は鋭く的を射た。


「二の円」


 審判の判定に、騎士たちがどよめき、数人から拍手が起こった。


 ヘンスラーは背後でムッスリと押し黙っている。

 五本すべてを的に当てられなかった場合に負けとしたのは、長弓で勝負すれば少年らの膂力では弓引くこともできないと高をくくっていたからだ。

 しかし、さすがは武門の誉れ高いイェガ男爵家。幼い頃から並外れた訓練を受けてきたようだ……と、忌々しげに奥歯を軋ませる。


 エーリクはその次も上手く出来たように思えたが、やはり体力は限界だった。

 最後の矢はトスリと的の手前で土に刺さった。

 しかし、ともかくも負けとならずに済んだ。

 戻ってきたエーリクをマティアスとテリィがまた褒めそやし、キャレはアドリアンに頼まれ、冷たい水で絞った手ぬぐいを渡した。


 オヅマはチラリとヘンスラーを窺った。赤くなった顔は、どんよりとした怒りを秘めて固まっている。

 組んだ手で口元を隠して、オヅマはこっそり意地の悪い笑みを浮かべた。


 ―――― 首尾は上々……


 長弓を持って立ち上がったヘンスラーに、オヅマは声をかけた。


「隊長殿、提案がある」

「なんだと!?」


 ヘンスラーは怒気も露わに、小さな目をひん剥いた。


「これ以上、何を要求してくる気だ!? さんざこちらは譲ってやったというのに!」

「そう怒るようなことでもないさ。この最後の勝負については、俺を先攻にしてもらいたいんだ」

「ハァ!?」


 ヘンスラーは大声で問い返すと、ヒクヒクと頬をひくつかせながら、オヅマを軽蔑しきった目で見た。


「なんだ? 今頃になって、我らが長弓で勝負してきたので臆したか?」

「もちろん、武器についてはそちらで選んだ物を使う。長弓でしろというなら、長弓でするさ。その代わり、先に俺がする……というだけのことだ」

「なに?」

「ただし、俺が五本すべてを的に当てられなかった時も即座に負けとせずに、隊長殿も勝負すること。もし、隊長殿も負けたときは引き分け。再度、俺と隊長殿とで勝負だ」


 ヘンスラーはオヅマの言ってきた内容を反芻したあとで、ハハハハと皮肉げに嗤った。

 どう考えても、その条件はオヅマ側が不利だった。引き分けとなって、勝負がつくまでやれば、体力的なことを考えてもヘンスラーの有利は揺るぎない。


「ふん。最後のあがきか……」


 嗤笑ししょうしてつぶやくと、オヅマはなおも巧みに言ってくる。 


「こちらとしては一応、この勝負を受けてくれた隊長殿に敬意を表して、花道を作ってやろう……ってことさ。俺が失敗して、アンタが成功すればそれで勝敗はつく。最後の最後で笑う方が気持ちいいだろ?」

「………」


 ヘンスラーは少しためらった。

 胡散臭げにオヅマを見て、問いかける。


「なんのつもりだ? 何か企んでいるのではなかろうな?」

「企むというほどのことじゃない。俺だって、これでも騎士の端くれだ。自滅して負けるよりは、相手方に勝たれて負けるほうが、すっぱり後腐れなく受け入れられる…ってだけのことだ」

「ふむ。それがお前の騎士としての矜持というわけだな」


 ヘンスラーはしばし小さな目でオヅマの真意を推し量ったあと、「いいだろう」と承諾した。

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