第二百十四話 弓試合(3)
チラリと弓部隊の集まっている方を窺うと、どうやらヘンスラーはそうした提案をしたらしいが、選ばれた射手は
「冗談じゃない! そんな馬鹿馬鹿しいことできるか!」と、怒鳴りつけるダミ声が聞こえてくる。
騎士団において、普段の訓練や模擬試合等で、騎士間での上下関係はあまりなかった。彼らは個々人が一騎士としての矜持を持っており、あくまでも上役は潤滑な組織運営の為に必要な役職の一つ、という考え方であった。
無論、戦場においては命令系統の混乱を防ぐために、上意下達が絶対とされたが、普段において騎士たちを従わせるには、彼らを納得させるだけの技倆と人格が求められたのは言うまでもない。
ヘンスラーは残念ながら、弓部隊の隊長としては、まだまだ隊を掌握しているとは言い難いようだ。
「常識のわかる人間がいてくれて良かったぜ」
「お前が言うか、お前が」
マティアスはようやく文句が言えるとばかりに、オヅマに噛みついた。
「こんな無茶なことを言い出して。この前、灸を据えられたばかりだというのに、どうして反省しないんだ!」
「まぁまぁ」
アドリアンは朗らかにマティアスを制すると、チラリとオヅマを窺った。
「元はあちらが仕掛けてきたようなものだし、ああまであからさまな態度をとられて、ただ黙っているというのも、かえって侮らせるだけだろう」
「しかしもし負けて……」
マティアスはゾッとした。
あの隊長の性格からしても、負けて放っておくようなことはしないだろう。オヅマが宣言した通りに、しごき回されるに違いない。
オヅマは自分で招いたこととしても、どうして自分までもが同様の扱いを受けねばならない!?
「まぁ、殺されるほどのことはされないさ」
アドリアンはさらりと冗談にもならぬようなことを言う。
「そんな…安心できませんよ!」
めずらしくマティアスはアドリアンにすらも異議を唱えたが、これは徐々にオヅマに毒されてきたせいなのか、負けたときのことを考えて戦々恐々となっているせいなのか……おそらく両方だろう。
「あの、オヅマさん。三人っていうのは……?」
おずおずと尋ねたのはキャレだった。
自分もマティアスもテリィも弓はできない。近侍の中で経験があるのはオヅマとエーリクの二人だけだった。
オヅマは当然のようにアドリアンを指さした。
「そりゃ、小公爵さまに出てもらうしかないだろ」
「えっ?!」
来たばかりで、まだ騎士団での稽古を経験していなかったキャレは驚いたが、マティアスもテリィも今更といった感じだった。
「まったく。自分の主に勝負させるとは……クランツ男爵はいったい、どういうつもりでお前を寄越したんだ」
マティアスは額を押さえながら、あきれたように首を振る。
テリィはキャレにこっそりと教えた。
「大丈夫。小公爵さまはあれで、なかなかお強いんだ」
それでもキャレは自分と同じ年で、背格好もまだまだオヅマやエーリクに比べて小さいアドリアンのことが心配だった。
気遣わしげに窺っていると、ふとアドリアンと目が合う。安心させるように微笑まれ、キャレは赤くなってうつむいた。
「さて、決まったようだな」
オヅマが不敵な視線を向ける方には、ヘンスラーが二人の騎士を引き連れて立っていた。
一人は長く弓部隊で戦ってきた古参らしき、頬に大きな傷跡のある騎士。極端に盛り上がった左肩からしても、ベテランの射手に違いない。
レーゲンブルトで長老と呼ばれていたトーケルと同じ、
もう一人は弓部隊にしては珍しい、スラリと細身の背の高い青年であった。
今の今までどうしてその存在に気づかなかったのかと不思議なくらいの美しい顔立ちだったが、表情は冷たく固まっている。
短く刈った銀髪に、細い切れ長の
オヅマはチラとだけアドリアンに目配せする。
アドリアンはふっと瞼を微かに閉ざし、頷いた。
「こちらからは、私とこの二人だ」
ヘンスラーが胸を反らして後ろの二人を示すと、アドリアンは二人の騎士にニコリと微笑みかけた。
「姓名は?」
尋ねると老騎士が一歩、前に進み出て、恭しく騎士礼をした。
「はっ! 小公爵様にお目通りが叶い、恐縮至極にございます。私めはヨエルと申す者。以後、お見知りおき……」
ヨエルがすべてを言い終わらぬうちから、銀髪の男が断ち切るように名乗った。
「ヤミ・トゥリトゥデスと申します」
自分の言葉を遮られたヨエルはギロリとヤミを睨んだが、そのときにはヤミはアドリアンに深々と頭を下げ、再び上げた顔はやはり無表情に凍り固まっている。
ヨエルはチッと舌打ちすると、元いた場所に戻った。
アドリアンは満足げに頷いてから、ヘンスラーに呼びかけた。
「さぁ、では始めようか」
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