第二百十三話 弓試合(2)

「な…なに…?」


 急な申し出にヘンスラーは困惑した顔になる。

 しかしオヅマは既に返事を聞くつもりもない。


「エーリクさん、あんた弓は?」


 くるりと振り返って、エーリクに問いかける。


「一応」


 簡潔なエーリクの返事にオヅマは頷き、マティアスに視線をやる。


『ム・リ・だ!』


 声にせず、マティアスは口だけで怒鳴る。

 キャレはその横でブンブンと首を振り、テリィに至っては俯いて目を合わせようともしなかった。


「まぁ、予想どおりか。こちらは三人だ。そちらも三人選んで【的射ちテル=ディオット】で勝負すればいいだろう?」

「勝負…?」


 ヘンスラーは聞き返しながら、半笑いになった。馬鹿にしたようにオヅマを見つめる。


「我ら弓部隊の者と【的射ちテル=ディオット】の勝負だと? 本気で言っているのか?」

「その方がお互いにわかりやすいだろ? アンタらが勝ったら、アンタの好きなようにするがいいさ。どれだけしごかれようが、放っておかれようが、文句も言わないさ。その代わり、俺らが勝ったときには、訓練を指導する教官はこちらで選ばせてもらう」


 オヅマの要求に、当然ながらヘンスラーは激昂した。


「なんだと? 私が指導者として不適格だと言いたいのかッ」


 あからさまな自分への軽侮を感じて、怒鳴り散らすヘンスラーに対し、オヅマはルンビック仕込みの丁重で礼儀正しい言葉遣いで応じた。

 

「教えられる方にも選ぶ権利があるということですよ、隊長殿。一応、曲がりなりにも、こちらは小公爵さまで。本来、ごときが気軽に馬鹿にしていいような御方ではない。違いますか?」


 最後につけ加えられた静かな恫喝に、またヘンスラーはたじろぎ、後退あとじさった。

 オヅマはフンと笑うと、「ああ」と思い出したように付け加えた。


「当然ですが、まさか成人もしていない子供相手に五分五分で勝負しようなんて思わないですよね。まして、本職の弓部隊の隊長が。ハンデはつけてもらいますよ」

「ふん。威勢のいいことを言っておいて……なんだ?」

「こちらは一人につき持ち矢は三本。的に当てた分だけ有効。そちらは一人につき持ち矢は一本。【正中トル】と【四色州サス】のみ有効。一人でも外したと同時に負け」


 的は円状になっており、【正中トル】はその中心にある赤子の手の平ほどの大きさの円だった。その枠内は白に塗られている。

 【四色州サス】は円を四等分にしたそのへりに、三日月型の枠が設けられており、それぞれ金色、朱色、藍色、黒色に色分けされていた。

 名人ともなれば【正中トル】に的中させるなど当たり前で、四隅にある【四色州サス】の方が命中度は下がる。少しでもずれれば、的を外すことになるからだ。偶然に当たることはあるものの、狙って命中させることの難しい的枠だった。


「ム…外せば……負け、だと?」


 かなり高難度の条件にヘンスラーは渋い顔になったが、オヅマがけしかけるように揶揄する。


「さすがに弓部隊の隊長でも、難しいですかねぇ?」

「フン! 馬鹿馬鹿しい。我らがその程度のことできぬと思うてか。三本だと? 五本くれてやってもいいくらいだ!」

「へぇ、そりゃありがたい。じゃあ、僕らは五本で勝負させていただきましょう」


 あっさりと、より容易たやすい方を選んだオヅマに、ヘンスラーは内心で歯噛みしながら、嘲るように言った。


「そのような甘い条件で勝って恥ずかしいとは思わないのか? 貴様の親となったクランツが聞けば、さぞかし嘆くことであろうな」

「『春が来れば勝てる戦を冬にする必要はない』…ってね」


 オヅマはいけしゃあしゃあと古人の言葉を引用すると、コインをポケットから取り出して空中に投げた。クルクル回って落ちてくるコインを、ピシャリと手の甲の上で閉じ込める。


「裏だ!」


 ヘンスラーが叫んだ。

 オヅマは「じゃあ、俺らは表」と言ってから蓋していた手を上げる。


 裏だった。


「では、我らが先攻をもらおう!」


 順番を決めるだけのことなのに、勝ち誇ったようにヘンスラーは叫ぶ。

 オヅマは肩をすくめて了承した。


「へぇへぇ。じゃ、俺らは後攻で」


 ヘンスラーはあきれた様子のオヅマをジロリと睨みつけてから、すぐに取り澄ました顔で、ルールの追加を申し出てきた。


「これだけ譲ったのだから、せめてそちらは全員、一本くらいは的に当ててもらわねばな。一人でも五本すべての矢を的に当てることができなかった場合は、そちらの負けだ」

「……いいでしょう」


 オヅマが頷くと、ヘンスラーはニヤリと笑った。


「では、正式な弓試合と同じく、相対あいたいする射手は同じ弓で勝負することにする!」


 大声で宣言するなり、ヘンスラーはくるりと背を向け、立ち並ぶ弓部隊の方へと歩いていく。

 オヅマはキョトンと、その後姿を見ていた。


 【的射ちテル=ディオット】は、射手が一斉に的を狙うものではなく、一番手、二番手といったように、一人ずつ立ち代わりながら勝負していく。

 このとき、各番手において先攻となった相手と同じ武器を使うことになっているが、基本的に使用する武器は弓一択なので、問題となるようなことでもない。


 しかし、ヘンスラーの笑みにエーリクは厭な予感がした。


「……まずいぞ」


 ボソリとオヅマに囁く。「長弓ながゆみでやる気かもしれん」


「まさか」


 オヅマは顔を引き攣らせた。


 通常【的射ちテル=ディオット】に用いられるのは、いわゆる一般的に呼ばれる弓で、これは三尺(*90センチ)ほどの長さのものだ。

 しかし、長弓となればその倍の六尺(*180センチ)近いものになる。

 複数の木材を使って作られた強弓こわゆみで、射程距離が長く、名人丈夫が弓引けば、遠く一里先の鎧をも貫くほどの威力を持つとされた。

 ただし使いこなすのが難しいうえに、正確さよりも飛距離と威力を優先させた武器であるので【的射ちテル=ディオット】で使用することは、普通であれば考えられなかった。

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