第二百十二話 弓試合(1)

 急遽決まった公爵のサフェナ=レーゲンブルト地域の視察に同行して、ルーカスとその直属部隊であるところの第一隊がアールリンデンから出て行った。

 彼らは小公爵アドリアンとその近侍たちの騎士訓練を指導する役割を担っていたので、不在の間、その任は弓部隊である第五隊に託された。


 第五隊隊長のマウヌ・ヘンスラーは、弓上手で知られた遊牧民の血を引くらしく、帝国人にしては背が低かった。また弓騎士という特殊な事情もあってか、長く伸ばした柿色の髪を後ろに撫でつけて一括りにしている。

(弓騎士はいざ弓の弦が切れたときに、自らの髪を代用した…という古い時代の話を信じて、髪を長く伸ばす者が多い。もっとも、実際の戦においてそのようなことが行われたという話は聞かない)

 髪色と同じ髭が鼻から下にびっしり生えているのも、弓騎士であれば戦や試合において、兜をあまり必要としないためであろう。一時は男らしさの象徴として髭を蓄える者は多かったが、今では少し流行遅れの感であった。

 彼は狡猾な光を浮かべた茶褐色の瞳で、アドリアンをじっくり舐めるように見てから、一転、愛想笑いをつくった。


「お越しいただいてなにより。小公爵様にはご機嫌麗しく」


 慇懃な礼をしながらも、その声はどこか空々そらぞらしかった。立ち並ぶ騎士たちも、多くがどこか白けたような、冷たい顔だ。

 オヅマは初めて本館に行って、使用人たちに振り回されたときのことを思い出し、眉を寄せた。同じような侮蔑の視線を感じる。

 アドリアンもそれは感じ取っているのだろうが、表情に出さないのはいつものことで、至って平然と挨拶を返した。


「初めて会うね、ヘンスラー卿。ベントソン卿より、弓について指導を仰ぐように言われて来た。よろしく頼む」

「畏れ多きことにございます。しかし、残念でございますな」


 ヘンスラーはかしこまって頭を軽く下げてから、いかにもガッカリしたかのように肩を落とした。


「私は小公爵様には何度かお会いしたことがあると思っておりました。やはり、弓部隊程度の隊長であれば、小公爵様の記憶の片隅に置いていただくことは叶わぬようでございますな」


 傷ついたふうを装って、ヘンスラーはそれとなくアドリアンを誹謗する。

 卑屈で嫌味な言い回しに、アドリアンは一瞬鼻白んだが、すぐにニコリと笑った。


「そうか。それは僕が悪かった。なにせ、先年の闘競会ダルスタンでの弓術部門の優勝者は確か、レーゲンブルト騎士団のアルベルト・ベントソン卿であったのでね。彼の記憶が強くて」


 アドリアンの婉曲ながら痛烈な皮肉に、ヘンスラーの頬がヒクリと歪む。


 三年に一度、グレヴィリウスの公爵家内では武術競技大会 ―― 通称闘競会ダルスタンが行われる。

 公爵家下にある騎士団の精鋭たちによって、様々な武術 ―― 剣術、格闘術、馬術など ―― を競い合うのだが、騎士団としての評価のほかにも、個々人の評価が行われ、そこで優秀者として名を馳せることは、戦争の行われない時代において、騎士の能力を示す一つの指標であり、最大の栄誉であった。


 ヘンスラーは公爵家直属騎士団の弓部隊を率いる身であれば、当然、弓部門において優勝してもいいはずであったが、実際にはレーゲンブルト騎士団一の弓使いと呼ばれるアルベルトが最優秀者として表彰された。


 このことはヘンスラーにとって、とてつもない恥辱であったので、アドリアンの皮肉は確実にヘンスラーの矜持をえぐった。だが無論、小公爵様相手に怒鳴りつけるほど、ヘンスラーも子供ではない。

「ハハ……ハ……」と渇いた声で笑ったあとで、奇妙なほどニンマリと口の端を吊り上げた。


「なるほど、確かに闘競会ダルスタンで優勝もできぬような情けない男を、小公爵様がご存知の訳もございませぬ。ハヴェル公子様におかれては、私のような非才の身にも優しくお声がけ頂き、臣下としては誠にありがたく、その慈悲深い心根に涙を流したものにございます」


 今度こそアドリアンはしばらく硬直した。

 横で聞いていたオヅマは、ヘンスラーのあからさまな嫌味に、一歩足を踏み出しかけたものの、すぐにエーリクに止められる。

 アドリアンはゴクリと唾を呑み込んでから、冷たい眼差しで投げやりに言った。


「どうやらヘンスラー卿は、僕らに稽古をつけたくはないようだ」

「まさか。そのようなことは毛頭ございません。団長代理より頼むと任された以上、小公爵様を始めとする近侍の方々に、弓の技を学んでいただきたいと考えております」


 ヘンスラーは自分の言葉によってアドリアンが動揺したとみるや、不敵な笑みを頬に漂わせる。


「じゃあ、ご指導をたまわろうか」


 ずい、とオヅマがアドリアンの前に出ていくと、ヘンスラーは顔をしかめて、わかりやすいほどはっきりとした軽蔑の眼差しで見つめた。


「お前は確か、クランツ男爵の息子……にの小僧であったかな? 母親の出世で成り上がって、今や小公爵様の近侍とは……親子ともども、よほどに神の恩恵があったものよ。いや、母親の方は、妖魔女アルミエッタの祝福でも受けたのかな?」


 妖魔女アルミエッタは、男を惑わす精霊の類で、娼婦たちが信奉することから、娼婦の別称でもあった。明らかな挑発行為にオヅマはギロリと睨みつけたが、この前のように手を出すことはなかった。深呼吸を一つして、急にヘラっと笑みを浮かべる。


「隊長殿のつまらない嫌味をいつまで聞く必要があるんでしょうかね? 僕らは今日、ここで弓の稽古をするように言われて来たってのに……なんです? ここは弓術訓練場じゃなくて、討論場なんですか? いや、こんなくだらないやり取りを討論と呼ぶのも失礼か。せいぜい場末の賭場で、酔っぱらいが絡んできたと言った方がいいんでしょうかね?」

「なんだと!?」


 おどけたオヅマの口調に、ヘンスラーは怒気もあらわにする。


「無礼な小僧め! 口を慎め!」

「どっちが」


 あきれたように言うと、オヅマはまた一歩、ヘンスラーに迫った。

 近頃になってまた急激に伸びてきていたオヅマの背は、成人男子としては背の低いヘンスラーとそう変わりない。

 自分よりもはるかに年下であるはずなのに、その上、ついこの間まで平民であったというのに、目の前に立つ少年の傲然とした視線に、ヘンスラーは妙に威圧された。

 半歩後退り、我知らずオヅマを見上げる。


 スッとオヅマは薄紫の瞳を細めると、腕を組んで言った。


にわかに貴族のお坊ちゃんにの、生意気な小僧の口を閉ざしたいなら、騎士らしく勝負したらどうだ?」

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