第二百十一話 ルーカスの思惑

 公爵家騎士団の団長代理(*団長は公爵本人)という立場にあるルーカス・ベントソンは、少々特殊な地位にある。


 彼の身分は上級騎士に過ぎなかったが、曽祖父が当時のグレヴィリウス公爵を助け、絶対的忠誠を誓ったという過去から『真の騎士』の称号をグレヴィリウス家から与えられた。

 この名称は略したもので、実際には『唯一にして絶対なる忠誠者にして、グレヴィリウス公に直言することを許されし真実の騎士』という長々しいものだが、ようは公爵家内において、唯一公爵に対して、公然と『物言える』人物といえる。


 この称号、本来は一代限りで、爵位のように子孫に継承していくものではない。実際、ルーカスの祖父と父には『真の騎士』の称号と権威は与えられなかった。

 だが現公爵エリアスは忌憚のない意見を言ってくれる稀有な存在として、その役割を再びベントソン家の嫡嗣ルーカスに与えた。その上で公爵家直属騎士団の団長代理という実質的な軍事権を掌握する立場でもある。

 同じグレヴィリウス家門の、より身分の高い家柄の者であっても、彼を蔑ろにすることはできなかった。


 しかしオヅマはそうした事情を聞いて知ってはいても、目の前のオッサンがさほどに偉い人間だとは思えなかった。

 何かというと二言目には「モテないぞ」というのが口癖で、面倒な事務仕事を放り出しては副官に追い回され、厨房下女を口説いておやつを貰っているオッサンを尊敬しろという方が難しいだろう。

 正直、これがあの真面目なカールと、無口なアルベルトの兄なのかと疑いたくなるくらいだ。


 今日も今日とて、アドリアンからオヅマの処遇について委託を受けたルーカス・ベントソンがまず言ったのは ――


「そう、カッカして怒りっぽい野郎はモテないぞ、小僧」

「………」


 オヅマは無表情に受け流した。予想を裏切らない。その科白セリフも、フフンと右の頬だけを吊り上げた薄笑いも。

 ルーカスは白けた顔のオヅマを見て、肩をすくめた。


「やれやれ…わかりやすい。妙なところでお前たち父子おやこは似ているな。血も繋がってないってのに」


 無論、この場合ルーカスの言った『父』はヴァルナルのことだった。

 オヅマは眉を寄せる。


 似た父と子供というなら、公爵とアドリアンはそっくりだった。どう考えても血が繋がった親子に違いないというのに、あの二人の言動はひどく他人行儀だ。


「アンタ達は、なんで何も言わないんだ?」


 オヅマの問いに、ルーカスは首を傾げる。


「アド…小公爵さまと、公爵閣下のことだ」


 躊躇なくオヅマが言うと、周囲の空気がザワリと緊張を帯びる。

 ここは修練場で、オヅマとルーカスからは遠巻きながらも、騎士たちが剣術の稽古を行っていた。


 ルーカスはやや意外そうに目を見開いて、オヅマを見つめた。まともに見返してくる生意気な薄紫の瞳に、再びフ…と笑みを浮かべる。


「小公爵さまがなにか仰言おっしゃったのか?」

「あいつが言うわけないだろ。むしろ、心配しなくていいって言われたさ」

「心配? お前が小公爵さまを心配したのか?」


 あきらかにその口調は嘲弄を帯びていた。言外に「お前ごときが」と、言っている気がする…。

 オヅマはギロリとルーカスを睨みつけた。


「あいつは公爵閣下に嫌われても仕方ないし、納得しているって言うんだ。絶対、そんなわけないのに」

「なぜそう思う?」

「本気で親に嫌われても仕方ないなんて考えてるなら、そんな親の言うことなんぞ、聞いてやる必要もない。無視すりゃいいし、とっとと出て行きゃいいんだ。出て行かないのは ―― 」


 言いかけて、オヅマは急に口を噤んだ。ふと、自分の中に甦りそうになる気持ちに、ひどく苛立ち、気分が悪くなる。



 ―――― 大丈夫だ、オヅマ……私は決して、お前を見捨てたりはしない



 オヅマの記憶にあるその言葉は、ヴァルナルに言われたものであるはずだった。初めて人を殺して錯乱したオヅマをなだめるために。なのにどうして、思い出すその声音はヴァルナルでないのだろう?

 まるで呪詛のようにオヅマを縛り付ける。……


 一方、ルーカスは急に黙り込んだオヅマをしばらく見つめていたが、ふっと視線を落とすと自嘲するように溜息をついた。


 オヅマの言う通りだ。

 小公爵アドリアンは長く、公爵からの無関心に耐えている。自分には嫌われる理由があるのだと、自らに言い聞かせ、無理に納得させているのだろう。

 その健気で痛ましい覚悟をわかっていても、ルーカスは公爵を諫める言葉を持たない。自分にはその役割が与えられており、許されているのに、何も言えなかった。自分が何かを言っても、公爵閣下の沈んで凍りついた心を動かすことなどできないだろう。


「それで、何も言わない小公爵様の代わりに、公爵閣下に対して意見しようとしたわけか」


 ルーカスはまた薄ら笑いを頬に浮かべて、あきれたように言った。


「意見なんぞしてねぇよ。公爵閣下がいきなり意味のわからねぇことを言ってきたから」

「お前……」


 ルーカスは額を押さえた。

 よくもまぁ、あの公爵を目の前にして、ここまで不遜でいられるものだ。ある意味、豪胆でさえある。


「俺の髪色が誰に似たかなんて、知るわけねぇだろ! 挙句に実の父親のことなんぞ聞いてくるから、知らねぇって言っただけだ」

「お前の実の父親だと?」


 ルーカスもさすがに公爵の意図が理解できなかった。なぜ、今になってそんなことを?


 しかしオヅマはこれ以上、この不毛なことについて考えることすらも不快だった。


「もういい。罰は?」


 話を打ち切って、ルーカスを急かす。

 既に決めていたのかルーカスの返答は早かった。


「修練場の草むしり」

「……クソジジィ」

「と、修練場十周」


 これ以上、下手に文句を言えば言うほど罰が増えると思ったのだろう。オヅマはくるりと背を向けると、さっそく近くの草からむしり取っていく。

 その様子を見ながらルーカスは、公爵の思惑について考えた。


 確か、以前行った調査では、ラディケ村で死亡した父親はオヅマと血が繋がっておらず、別の男が父親であるらしい…という、ややあやふやなものではあった。

 だが、幼い子どもをかかえた貧しい平民女が再婚するのは珍しくない。

 だからこそ公爵も深く追求せず、ヴァルナルの結婚を承認したのだ。


「……ま、気まぐれということもあるか」


 ルーカスはとりあえずその件については思考の片隅に追いやった。


 さほど重要なことでもない…と思っていたのだが、案に相違して、その夜にはサフェナ=レーゲンブルトへの同行を命じられた。

 その理由が新たな街道の視察と、オヅマの実父について、オヅマの母親に問い質すつもりらしいとルンビックから聞かされ、ルーカスは正直困惑した。


「どうも腑に落ちませんね…」

「私もそこまで大事おおごとにすることではないとは思うが……公爵閣下には、色々と考えられることがおありのようだ」


 ルンビックの煮え切らない返答にも違和感を持ちつつ、ルーカスは明後日に迫った出発の準備に追われた。

 その中には小公爵と近侍らの訓練を、ルーカス不在の間、誰に任せるかということも含まれている。


 ルーカスはしばし考えたのち、二つの書信をしたためた。

 一つは留守居中、小公爵らの訓練を任せる騎士に向けて。

 もう一つは ―――

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