第二百十話 公爵の憂慮

 公爵は息子の近侍たちが去った後、仕事に没頭しているように見えたが、珍しく小一時間ほどで、人差し指がコツコツコツと机を打って、休憩を知らせてきた。

 ルンビックは書きかけの書類をすぐに脇に置いて、チリンとベルを鳴らす。

 すぐさま扉が開き、姿を見せた従僕にお茶の用意をするように命じてから、恭しく公爵の執務机の前に行って、決裁の済んだ書類の束を引き取ろうと手を伸ばした。


「ルンビック。お前はあの者を最初に見たとき、どう思った?」


 公爵のこの質問に対して「あの者とは?」などと問い返すような家令であれば、このグレヴィリウス家では必要とされない。むしろ、ルンビックにとって意外であったのは、まだ公爵が『あの者』――― オヅマについて、考えていたということだった。 


「クランツ男爵が才を見出してわざわざ自らの息子にした、と聞いておりましたので、いかにも騎士であるクランツ卿のお眼鏡にかなうような少年だと思いました。頑健で、そこそこに頭もよろしい」


 ルンビックは実際に感じたままのことを言ったが、公爵にはそれ以外の答えが必要であるようだ。


「何か気にかかるようなことがございますか?」


 聞きながら、ルンビックはあらゆる可能性を考えた。

 オヅマの品行に不備が多くあるのは認めるところだ。だが、そんなことはある程度、当初から予定していた。だからこそ公爵も今日の初対面でのオヅマの数々の無礼について、直接叱責することは控えたのだろう。

 公爵自身が直接罰を与えれば、それはオヅマの親であるクランツ男爵にまで責任が及ぶ。あの場ではオヅマの直接的な上役である小公爵を叱責し、後に小公爵からオヅマに罰を与える…というのが、もっとも穏便な手段なのだ。


 考えている間に従僕がお茶を持ってくる。ルンビック自らポットのお茶をカップに注いで公爵へと持っていき、自らの分も注いで一口含んだ。


「……あの者に稀能きのうがあることは知っておろう」


 公爵はカップから立ち上る湯気を陰気に見つめながらつぶやく。

 ルンビックは頷いた。


 そもそもクランツ男爵の結婚を進めたのは、年少ながら稀能を発現するなどという驚異的な身体能力を持つオヅマを、小公爵の近侍として召すためだ。

 公爵本人よりも、どちらかといえば小公爵に何かと肩入れする騎士団の団長代理たるルーカス・ベントソン卿の肝煎りではあったが、ルンビックはこの人選は間違っていないと評価している。


「あの者の発現した稀能が何であるかは知っておるか?」

「『澄眼ちょうがん』ではないのですか?」


 ルンビックはてっきりオヅマがクランツ男爵からその稀能の訓練を受け、年少ながら非凡な才覚で発現させたものと考えていたのだが、公爵のその質問によって、自分が間違っていたことを悟った。

 案の定、公爵は首を振る。


「『千の目』…それに『まじろぎの爪』」

「それは、大公殿下の………」


 言いかけて、ルンビックは言葉が詰まった。

 その稀能から連想する人物と、先程の公爵の質問がルンビックの顔を強張らせる。



 ――――― お前はあの者を最初に、どう思った?



 …ということは、性格や礼儀などの問題ではないのだ。あくまで初対面でのオヅマの容姿について、公爵はルンビックがどういうことを考えたのか、聞きたかったのだろう。


「お前も姉上の結婚の準備などに携わったのであれば、姿について、覚えておろう?」


 ルンビックは無意識に体が固くなった。

 今、公爵が何気なく『姉上』と呼んだ女は、この公爵家にとって禁忌とも言うべき存在だった。


 現公爵の姉、エレオノーレ・ベルタ・エンデン・グレヴィリウスは公女として生を受け、尊き身分に相応した貴人、すなわちランヴァルト大公に輿入れしたが、悪業の末に醜悪な死を迎え、公爵家においても、大公家においても、恥なる存在として抹消された。


 今に至るまで、ルンビックはエレオノーレ公女については意識して忘れていたし、十数年の時を経て、すっかり忘却の彼方にあった。

 公爵にとっても色々と迷惑をかけられたので、思い出したくもない存在であるはずだが、それでも大公殿下について思いを致すれば、自然と浮かんでくるのかもしれない。


「それは…はい、畏れ多くも何度かお声がけして頂いたこともございますれば」


 なるべく公女については触れず、ルンビックは答える。


が、姿前、あの者と同じような髪色であったと思わぬか?」


 大公その人を明らかにするのも憚るかのように、婉曲な言い回しで、公爵は問いかけてくる。

 ルンビックは無理に笑みを浮かべ、引き攣った顔になった。


「恐れながら、公爵閣下。あのような髪色の者は、さほどに珍しくもございません。このアールリンデンにも、いくらでもおりましょう」


 多少の濃淡はあっても、亜麻色の髪というのはさほどに珍奇な髪色ではない。むしろ、帝国の貴族というのであれば、公爵のような黒髪と見紛うような濃い髪色の者の方が珍しかった。


「髪色だけのことではない。稀能もだ」

「稀能は……血によって継がれるものではございませぬ」

「わかっている」


 公爵は苛立たしげに眉間の皺を深くし、冷めた茶を口に含んだ。


「だが、あの者の目つきや、他者を覆うような気の強さ…容姿だけのことでなく、近いものを感じさせる」

「まさか…」


 ルンビックはゆるゆると首を振った。


 確かに公爵閣下と同じく、オヅマの尊大さにはルンビックも奇妙なものを感じてはいたが、それでも多少特徴的な性格と髪色だけで、大公殿下に似ている、などと結論づけるのは少々強引に思えた。


「公爵閣下、それだけでとの縁を語るのは、いささか無理があるように思います」


 ルンビックは率直に言った。

 稀能という共通点がなければ、おそらく多くの人間が、オヅマと大公殿下が似ているなどという感想は持たないだろう。その稀能にしても、最前さいぜん話したように、遺伝はないのだ。


 公爵は自分と異なる老家令の意見に怒りはしなかったが、納得もしていないようだった。


「直接聞いた方が早いかもしれぬな」

「は? 直接…ですか?」


 公爵はしばらく考えてから、鋭くルンビックに尋ねた。


「確か…ヴァルナルが新たな街道について話が持ち上がっていると言っていたな」

「は。何度かロージンサクリ連峰の麓まで訪れて、調査をしておられるようです。この前には測量士を紹介してほしいと申されまして、何名か派遣しております」

「新たなる街道となれば大事業だ。私が無視しておくこともできぬであろう」


 それは公爵本人がサフェナ領を視察する、ということだった。相談ではなく、決定だ。


 ルンビックは頭を下げた。


「では、日程について直ちに調整致します」

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