第二百八話 許されない一言

「なにを考えているんだ!! この愚か者ーッ」


 怒り過ぎて声がひっくり返ったせいで、真剣に怒っているのにどこか滑稽になる。しかし、いつもなら混ぜっ返して馬鹿にするオヅマも、このときばかりはムッスリと押し黙っていた。


 マティアスは言い返さないオヅマを、ますます激しく非難する。


「よりによって公爵閣下にあのような無礼な態度! まったくもって有り得ない!! 貴様が下賤の身の上であることは承知していたが、今日という今日は許せん! 小公爵さまにまでご迷惑をおかけするとは、臣下として恥ずべきことだ!」


 このときアドリアンは、サビエルによって自室で手当てを受けていたので不在だった。

 近侍たちは、勉強室兼サロンとなっている、いわゆるたまり場で、この後に控えた歴史の授業の準備のため集まっていたが、公爵との対面後、当然ながらそこはオヅマを弾劾だんがいする場となった。


「僕、よくは知らなかったけど、君、クランツ男爵と血の繋がりはないのか?」


 テリィが仏頂面のオヅマに怖々尋ねる。

 オヅマはためらいもなく認めた。


「そうだ」

「じゃ、じゃあ……あの噂は? 新しいクランツ男爵夫人は、元々は召使いだったらしい……っていうのは?」


 口の立つオヅマがいつになくおとなしいので、テリィはここぞとばかりに疑問をぶつけた。以前、母とその友人である貴婦人達が面白おかしく噂していたのだ。


「その通りだ」


 オヅマは素っ気なく、これもまた肯定する。

 その答えにテリィは目をまん丸にすると、しばらくブツブツと頭を整理するようにつぶやいた。


「その連れ子ってことは……本当のところは、身分もない、ただの雇い人の息子ってこと……?」


 今回の近侍の人選については情報が錯綜さくそうして、クランツ男爵のということで、前妻の息子であり、正当なクランツ家の後継者であるオリヴェルとオヅマが混同されていた。

 テリィは病弱であると聞いていたクランツ男爵の息子が、自分よりも年下のくせに体格も大きく、馬も乗りこなしているのを見て、混乱していたのだ。

 ようやく納得がいくと、テリィはその口元にかすかなあざけりを浮かべた。


「要は、君は元はただの平民ということじゃないか。本来であれば、こんな場所にいるのだって……」

「そのことについては小公爵さまはご存知なのでしょう?」


 テリィの言葉を遮ったのはキャレだった。

 何かを訊かれたり、言うべき必要がない限りほとんど話すことをしないキャレの、やや強い語気にテリィがムッとしたように見る。


「だからこそ、公爵閣下が注意していらしたんじゃないか。たかだか平民出身の、まともな礼もわきまえない者を贔屓しすぎるから、こうして不興を買うようなことになって。ルンビック卿に礼儀作法を習ったとはいっても、一朝一夕に身につくものじゃないし。そのことは君だって思うところはあるはずだ。違うか、キャレ?」


 キャレはうつむいた。

 実際、キャレもまたここに来た当初から、オヅマと小公爵であるアドリアンがあまりに親しいことに、違和感とかすかな苛立ちがあった。オヅマから理由を聞いて、納得できる部分もあったが、それでも彼らの関係性は他の近侍と一線を画しているように見える。


 キャレの沈黙で間隙かんげきができると、それまで黙っていたエーリクが低い声で言った。


「オヅマの身分について、我らが論ずるのは分に過ぎたことだ」

「どういう意味だ?」


 明らかに不機嫌に問うたのはマティアスだった。


「まともな礼儀も心得ない猿のような奴のために、小公爵さまが恥をかかされても、見て見ぬふりせよと? ただでさえ、この公爵邸での小公爵さまの地位は不安定だというのに、この不遜で無礼な者のせいで、ますます窮地に立たせることになるのだぞ!」


 しかしエーリクの表情は変わりなく、冷静だった。


「オヅマがクランツ男爵の息子ということで、ここに来ている……ということは、既に公爵家においてということだ。これに異議を唱えるのであれば、それこそ公爵閣下に物申すべきだろう」

「そっ……」


 マティアスは押し黙った。

 不満顔のテリィもやはり口を噤む。

 さっき会っただけでもその厳粛な迫力に圧倒されたというのに、できればこのあと半年は、公爵とは会わずに過ごしたい。

 エーリクは扉横に立って、何も言い返さないオヅマを見た。握りしめた拳に、物言わぬ怒りが込められているのだろう。


「公爵閣下の言う事にも一理はある。孤児であるならまだしも、母という存在がいるのに、己の出自について問うことをしないのは、何か理由でもあるのか?」


 エーリクの問いかけに、オヅマは目をそらす。

 小さい頃には無邪気に問うていたが、その度に見せる母の哀しげな様子に、やがて父について一切話すことはなくなった。母が避けるのと同様に、いつしかオヅマ自身も本当の父という存在を忌避し、なんであれば憎しみに近い感情を抱くようになっていた。


「……父親が男なのか、わからないんじゃないの……?」


 テリィがこっそりとつぶやく。その声にはあきらかな揶揄やゆがあった。

 一番近くにいたキャレは顔が固まった。

 本当に小さな声だったので、扉近くのオヅマには聞こえてないだろう……と思って、そちらを向いたときには、既にオヅマは目の前に迫っていた。

 キャレは思い出した。

 騎士は囁くような小さな声も聞き取る訓練をする。雑踏にいても、戦場にいても、声を聞き分けて増幅させるのだ。

 オヅマも、おそらくエーリクも習得しているのだろう。彼は即座にオヅマを止めようと手を伸ばしたが、間に合わない。

 既にオヅマはテリィの襟首を掴んで、宙に持ち上げていた。



「どういう意味だ? それは」

「……ぅうっ……ご、ごめ……」

「俺の母親を侮辱するなら覚悟の上だろうな?」


 低いその声は、ただの恫喝でないを感じさせる。

 そばにいたキャレは真っ青になってカタカタと震え、マティアスは金切り声を上げた。


「やめろ! やめろ! なんてことをしてるんだ!? 狂っているのか、お前は!」


 直接的にオヅマを止めることが出来たのはエーリクだけであった。

 テリィの首を絞めるオヅマの腕を掴み、珍しく怒鳴った。


「いい加減にしろ! その短気をどうにかしろと言われたんだろうが!」


 オヅマはギリッと奥歯を噛みしめると、テリィを離した。


「ヒャイッ!!」


 無様に尻もちをついて、テリィは情けない声を上げる。

 キャレは「大丈夫?」と声をかけたが、恐怖と助かったことの安堵で、テリィはそれこそ子供のようにしゃくり上げて泣き始めた。


 マティアスは額を押さえ、うめくようにつぶやいた。


「まったく……どうかしてる……」


 オヅマは剣呑としたオーラを漂わせてその場に立ち尽くし、エーリクは厳しい目でオヅマを牽制しながら深呼吸して、乱れた息を整える。キャレは殺伐とした雰囲気に息が詰まりそうで、ひたすら自分の存在を小さくした。


 重苦しく、ヒリヒリとした空気が流れる中、カチャリと扉が開き、現れたのはアドリアンだった。


「…………なに?」

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