第二百七話 公爵閣下との対面

 予定していた近侍がすべて揃ったので、ようやく公爵閣下と対面することになった。それでも忙しい公爵が、彼らと息子である小公爵のために割いた時間は、四半刻(*十五分ほど)と短い。


 この日に合わせて支給された制服は、濃紺地の上下で、立襟の上着の胸にはグレヴィリウスの家紋が金銀の糸で刺繍されていた。

「公爵家の近侍にしては地味」と、やや不満げにマティアスは言ったものの、文句など言えようはずもない。

 簡素なその格好に身を包み、近侍たちは公爵の執務室に向かった。


 彼らは初めて公爵を見る者、あるいは遠くから見たことのある者、それぞれであったが、部屋に入るなり大きな執務机の向こうに座っている公爵閣下を見て、誰しもが同じ感想を抱いた。



 ―――― そっくり父子おやこ……



 黒檀色の髪にとび色の瞳。

 端正過ぎて、やや冷たく見える面差しまで似通っている。

 唯一、アドリアンと違いがあるとすれば、眉間に刻まれた深い皺くらいなものだろう。


「グレヴィリウス公爵エリアス・クレメント閣下であらせられる」


 控えていた家令のルンビックのいかめしい声に、近侍たちは頭を下げた。


「……五人か」


 公爵が並んだ近侍を見て、まず言ったのは人数だった。


「は。ニーバリ伯爵家のオットーは、持病があるとのことで」

「そうか」


 公爵が無表情に頷くと、右端にいたアドリアンが一歩前に進み出て、近侍らを順に紹介した。


「手前より、ブルッキネン伯爵家嫡嗣マティアス、次にテルン子爵家嫡嗣のチャリステリオ、エシル領主子息のエーリク、ファルミナ領主子息キャレ、最後にサフェナ領主子息のオヅマ…以上の五名です」


「……面を上げよ」


 公爵の抑揚のない陰鬱な声が響き、近侍たちは一斉に頭を上げた。

 公爵は表情を変えることなくそれぞれを見てから、立ち上がった。

 ルンビックが意外そうに目を瞬かせたので、これは予想されていない行動なのだろう。


 公爵はゆっくりと居並ぶ近侍たちの方へと寄っていくと、まずは筆頭であるマティアスに低い声で尋ねた。


「年は?」

「じゅっ……十二歳でございます!」


 マティアスは恐縮しきりで声が裏返った。

 公爵はすぐに隣のテリィへと視線を移す。


「じ、じゅ、じゅっ、じゅう、じゅう……十、三にございます!」


 テリィも顔が引き攣り、何度も詰まらせながら何とか答える。二人に比べると、落ち着いて答えたのは最年長のエーリクだった。


「十五歳になります」

「十一歳です」


 キャレもエーリクに倣って、なるべく落ち着いて答えたあとで、続くオヅマをチラリと窺った。

 オヅマの顔はマティアスらのように恐縮もせず、かと言ってエーリクのような従順を示す無表情でもなかった。どんよりとした公爵の視線を、射るかのように見つめ返している。


 キャレは内心で嫌な予感がした。何かひと悶着起きそうな気配だ。その不安はキャレに限らず、その場にいた当事者以外の人間が共通で抱いた。


「十二歳です」


 思っていたよりも静かな口調でオヅマは答える。

 しかし挑戦的な視線がそらされることはない。


 公爵はしばらくの間、その真っ直ぐな視線を無表情に見下ろしていた。

 ふと、その空虚な瞳が揺らぐ。

 だがそれはとても微細な変化で、その場にいる者たちにはわからなかった。


 公爵は歩を進めると、オヅマの目の前まで来て止まった。


「オヅマ……ヴァルナルの新たな妻の連れ子であったな」

「そうです」


 オヅマは公爵相手でも、まったく怯む様子もない。緊張していないわけではなかったが、オヅマのやや強硬な態度にも理由はあった。


 公爵家においてアドリアンの立場が微妙なものになっているのは、おおむね公爵の態度に問題がある……ということは、オヅマだけではないヴァルナルやルンビックも含めた認識だった。

 無論、大人達はそのことを大っぴらに言わなかったが、実の息子を蔑ろにする公爵閣下に対し、オヅマは疑問を含めて、自分の感情を押し殺そうとは思わなかった。


 公爵はオヅマの不遜な態度を咎めなかった。

 冷徹な表情は変わることがなく、オヅマを見下ろしている。


 しばらく無言で見つめられ、さすがにオヅマが居心地の悪さを感じ始めると、いきなり公爵は妙な質問をしてきた。


「その髪の色は誰からのものだ?」

「は?」


 予想もしない問いかけに、オヅマは思わず聞き返した。

 ルンビックがギッと眉を寄せて睨みつけたが、背の高い公爵に遮られて、オヅマからは見えない。

 驚いて答えられないオヅマの髪を公爵はグイッとつまんで、再度尋ねてくる。


「この髪は誰より受け継いだ? お前の母は淡い金髪ブロンド、水路に落ちて死んだ父は茶色の髪色だと聞いている。その父ともお前は血が繋がっていないのだろう?」


「………」


 オヅマは押し黙った。

 ヴァルナルが結婚するにあたって、その許可を与える公爵家が、ある程度ミーナについて調査した……とは聞いていたが、まさかラディケ村に住んでいた当時のことまでも調べられているとは思っていなかった。


「存じ上げません」


 オヅマはキッと公爵を睨みつけた。


「それが何か重要なんですか? 祖母、祖父か、あるいはが同じ髪色であったかもしれません。そこまでは俺……僕も、母に詳しく聞いておりません」


 話しながら頭を後ろへ引くと、公爵の手にあった髪がするりと抜ける。

 公爵は初めて表情を歪め、嘲るように言った。


「お前の真実の父について、母親は話しておらぬのか?」

「聞く必要はないと思っております」

「十二にもなって、己の出自に疑問も持たず、母にも聞かぬとは、自らを知る努力が足りぬな。自己を精察せぬ者は向上せぬぞ」


 オヅマは拳を握りしめ、ギリと歯軋りする。


「さっきから、何が言いたい……」


 一触即発の雰囲気に、アドリアンがあわてて間に入った。


「公爵閣下! 父上! 今日は、挨拶だけと伺っております」


 公爵はオヅマを庇う息子を冷たく見た。


「以前からの仲であるからと、少々、贔屓が過ぎるのではないか? お前の臣下の無作法であるならば、責はお前が受けよ」

「……わかっています」

「そうか」


 言うなり公爵はアドリアンの頬を張る。

 執務室に響いた鋭い音に、オヅマも、他の近侍たちもびっくりして息をのんだ。

 テリィなどは驚き過ぎて、固まった顔のまま目に涙が浮かんだ。


 冷静なのはアドリアンだけだった。よろめきながらも、どうにかその場でこらえると、頭を垂れて謝罪する。


「申し訳ございません、公爵様」


 アドリアンの白い頬には赤い手形が浮かび上がっていた。


 一方、公爵はまた元の無表情に戻り、クルリと踵を返して椅子に戻った。


「用向きが済んだのであれば、退がれ」


 眼鏡をかけると、一顧だにせず積まれた書類を手に取る。

 ルンビックが頷いた。


「対面は終了である」

「失礼致します」


 アドリアンがお辞儀して出ていくと、近侍たちは後に続いた。


 本館にいる間、黙りこくって静かであったが、西館に戻った途端に、案の定マティアスの雷が落ちた。

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