第二百六話 毒見の当番
結局、気まずくなって黙っている間にキャレ達は食堂に辿り着いた。
オヅマの言う通り、アドリアン小公爵はまだ来ていない。細長いテーブルの主人席は空いていた。
オヅマはドアから一番近く、アドリアンの座る席から見て左斜め横の席に座る。
テーブルを挟んだその向かいには、テリィが着席していた。どことなく青い顔で、ひどくビクビクした様子だ。
テリィの横にはマティアスが澄ました顔で行儀よく待っていた。
「お前、そこ」
と、オヅマはマティアスの隣に用意された席を示した。既に食器はセッティングされている。
キャレはふぅと気付かれぬようにため息をもらした。やはり後発してやって来た自分などは、席次も小公爵たるアドリアンから一番遠い場所に用意されるらしい。
キャレは無言でその席に座った。
「お前」
座るなり、マティアスがジロリと見てくる。キャレはその顰めた顔だけでビクリと震えた。
「な…なにか?」
「なんだ、そのみすぼらしい格好は。寸法も合ってないようだし…まともな晩餐用の服も持ってきていないのか?」
「あ……」
キャレは恥ずかしさで真っ赤になって俯いた。
家から持たされた幾つかの服は、兄達がさんざ着回して色褪せたお下がりだった。中には一体いつの時代のものかと思えるような、古びたデザインの虫食いのものまであった。その中から、まだしも状態の良さそうなものを着てきたのだが、それでもマティアスから見れば、みすぼらしいものなのだろう。
寸法も、恰幅のいい兄らと比べて、細くて小さなキャレではブカブカなのはわかりきっている。なんとか袖や裾などは詰めてみたのだが、縫い目も荒くて、明らかに下手だった。針仕事は苦手なのだ。
キャレは泣きそうになるのを必死でこらえた。じっと黙って、震えそうになる体を固くしていると、チッとオヅマの舌打ちが聞こえた。
「着るモンなんぞなんでもいいだろ。みすぼらしい…って、十分じゃねぇか。破れてないんだから」
「馬鹿なのか、お前は。破れた服など着ていては、小公爵さまの近侍としての品位を疑われる」
「どうせ、そのうちお仕着せくれるんだろ? それまでなんだから、いいじゃないか」
「近侍の制服はあくまでも外出や勉強の時のものだ。食事時には、それ用の服に着替えるのが当たり前だろうが」
「面倒くさ」
「そういう態度が…」
また二人がやりあっている間に、ようやくアドリアンとエーリクが現れた。
キャレは一瞬、バチリとアドリアンと目が合い、あわててお辞儀するフリをして泣きそうな顔を隠した。
「…なにかあった?」
アドリアンは自分の席につきながら、誰にともなく尋ねる。
マティアスが澄まして答えた。
「特に何もございません」
アドリアンはチラリとオヅマに視線を送る。
しかしオヅマは反論する様子もなく、同じように澄ました顔で「何も」と言葉少なに答えるのみだった。
キャレはホッとした。
ここで妙な正義感を発揮して、キャレの情けない状況について訴えられても、一層惨めになるだけだ。
アドリアンはしばらくオヅマとマティアスを見比べていたが、追及しなかった。
エーリクがオヅマの隣に座ったのを見て、「じゃあ、食べようか」と朗らかに宣言し晩餐が始まる。
しかしキャレの前にはすぐに運ばれてきた前菜が、アドリアンのところにはない。不思議に思っていると、アドリアンの右斜め横に座っているテリィがカチャカチャと無作法な音を立てている。
キャレは眉をひそめた。
気になって見ていると、テリィはキャレと同じ前菜のパテを少量、ナイフで切ろうとしているようだが、手が震えているせいなのか、まったくパテにナイフが入っていかず、皿にナイフとフォークがカチャカチャ当たっているのだった。
キャレはアドリアンの顔を窺い見た。そこに苛立ちといったものはなく、むしろ気の毒そうにテリィを見つめている。
「あ…あ…ああ…」
焦っているのか、テリィの顔は青く、額には冷や汗がうっすら浮かんでいた。
いつまでも進まないテリィに、とうとう業を煮やしたマティアスが怒鳴りつけた。
「チャリステリオ! なにをしている!? さっさとしろ!」
「すっ、すみませんっ」
テリィは謝ると、泣きそうな顔になりながらようやくパテを小指の先ほど切って、その欠片をフォークで刺した。震える手でそれを口元に運び、ギュッと目をつぶってパクリと食べる。二三度咀嚼してから、ゴクリと飲み下す。しばらく目をつぶったままで、そろそろと目を開くと、ホーッと息をついた。
「だ、だ…大丈夫、みたい…です」
テリィが言うなり、アドリアン付きの従僕であるサビエルが、テリィの目の前にあった皿をアドリアンの前に置いた。
キャレは内心でつぶやく。
――――― 毒見…
キャレの想定はすぐさまマティアスによって肯定された。
「キャレ・オルグレン。このように毎日の食事において、小公爵さまの召し上がるものについては、我らが毒見をせねばならぬ。明日の当番はお前だ」
「当番?」
「そうだ。毎日交代で毒見の検分役をすることになっている。わかったな?」
「………はい」
途端にキャレは一気に食欲がなくなった。
テリィが動揺して手が震える理由もわかった。
誰であっても、死を目前にして怖くならないはずがない。
しかしそんなキャレとテリィの動揺を軽く蹴飛ばすようにオヅマが言った。
「ったく、怖がり過ぎだっての。だいたい毒見ったって、一応、厨房でも確認はしているんだろ? こんなの要るかねぇ?」
「馬鹿者。近侍が主人の毒見を務めるのは、古来より決められたことだ」
案の定、マティアスが渋い顔になる。
オヅマはフン、と鼻を鳴らすと、これみよがしに目の前に置かれた二皿めの料理を、あっという間に平らげた。
マティアスが眉間に皺を寄せて、オヅマを睨みつける。
「まったくみっともない。丸呑みしているかのようではないか。もっと落ち着いて食べられないのか?」
「そんなチンタラ食ってたんじゃ、怒られるんだよ、騎士は。な? エーリクさん」
いきなり自分に差し向けられた問いかけに、エーリクはさほど驚いた様子もなく、にべなく言った。
「時と場合による。今は、ゆっくりと黙って食べるべきだろう」
「チェッ! なんだよ、自分だってもう食っ……食べ終わってるってのにさ」
舌打ちするオヅマに、マティアスは自分が優勢とみるや、火に油を注ぐがごとく付け加える。
「エーリクは貴様と違って、みっともない食べ方はしていない」
「みっともない食べ方ってなんだよ!」
「貴様のような食い意地の張った食べ方だ!」
テーブルを挟んで二人の言い合いが激しさを増し、いよいよどちらかが立って喧嘩が始まるか ―― という頃合いで、パン! と手を叩く音が大きく響いた。
「そのくらいにしておきましょうか?」
ニッコリ笑いながら制止したのは、小公爵付きの従僕であるサビエルだった。彼は給仕も行っている。
本来であれば、爵位のある貴族子弟に対して物言える立場ではないはずだが、オヅマもマティアスも不承不承な表情を浮かべながら黙り込んだ。
キャレは不思議に思いつつも、とりあえず目立たぬよう食べることにした。
オヅマではないが、キャレもまた出てくる料理がすべて豪華で、本当ならがっつきたいくらいだった。
最初は特別に今日やって来た自分のために、わざわざアドリアンが用意してくれたのか、と勘違いしたくらいだ。
キャレは
ここに来る前に、母らの待遇が少しでも良くなるよう、兄に頼んできたが、大丈夫だろうか。
今、自分が食べているような豪勢な食事は望むべくもないが、せめて空腹を抱いて寝るようなことがないようにはしてほしい……。
暗い顔で、キャレはローストされた
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