第二百五話 五色の鳥の部屋

 アドリアン小公爵への挨拶を終えたあと、西館の主な出入りする場所 ―― 食堂、勉強室、図書室、応接室などに案内され、キャレが最終的に辿り着いたのは自らの部屋だった。


「ここがお前の部屋になる。この『青い鳥』を目印にするといい」


 マティアスは扉に貼り付けられた、青い鳥の描かれたタイルを指さして言った。次に周囲の部屋についても説明してくれる。


「この斜め前の一番大きな扉が、さっきお前を連れてきた小公爵様のお部屋だ。お前を通したのは、寝室の次の間にあたる私室だが、小公爵様は主にそこで過ごされている。

 近侍の部屋は小公爵様の部屋の周囲に、それぞれ一部屋与えられている。

 私はお前の隣、小公爵様のお部屋の向かいにある『白の鳥』、チャリステリオは私の隣の『黄色の鳥』、エーリクとオヅマは小公爵様の部屋を挟んでそれぞれある。

 チャリステリオの部屋の向かいにある『赤い鳥』がエーリクで、お前の部屋の向かいの『黒の鳥』がオヅマの部屋だ。覚えたか?」

「………たぶん」


 チラリと背後の扉を窺うと、キャレの部屋の扉と同じように中央よりやや上に小さなタイルが貼り付けられ、そこに黒い鳥の絵が描かれてあった。

 キャレが頭の中でそれぞれの鳥の色と、近侍たちの顔を結びつけている間も、マティアスの解説は続いていた。


「この配置は当然のことながら、小公爵様をお守りするためだ。何かあったときには、すぐにでも駆けつけられるようにな。夜中であっても関係ない。そのつもりでいるように」

「……はい」


 素直に頷きながら、キャレの顔は強張った。

 それじゃあ、夜もまともに寝るな、ということだろうか。ただでさえ気詰まりだというのに、まったく気の休まる時がない。


「お前の荷物はもう部屋に運ばれている。早々に整理を済ましたあとには、藍一ツ刻らんのひとつどきに晩餐だ。ちゃんと衣服を整えて食堂に参るように」


 いつの間にやらキャレはすっかりマティアスの指揮下に置かれたようだ。同じ近侍というよりも、目上の監督生から指示されているように感じる。

 だが、キャレとしてはこうした人間がいることの方が有り難かった。どうせ自分にはできそうもない役割を、代わりにやってくれる人がいるなら、任せた方が安全だ。


「それでは、私は小公爵様に報告してくる。各自解散」


 マティアスが去ると、案内の間ずっと黙っていたエーリクが声をかけてきた。


「キャレ」


 太く低い声に、キャレはビクリとなる。もはやクセになっているようだ。大人の男の声に、今から怒られるのではないか、と身構えてしまう。

 エーリクはキャレの怯えた反応に少し戸惑ったようだが、気にせず言った。


「マティアスは一応、心構えとして言っているだけだ。小公爵さまは夜中にむやみやたらと起こすような我儘なことはされない。そんなに心配する必要はない」


 すると、これも案内の間、マティアスからの質問に頷くぐらいであったテリィが同意する。


「うん。小公爵さまはとても優しい方でいらっしゃるから、そんなに心配しなくていい。よっぽど無礼なことを言ったりしなければ、お許しくださるよ」

「そうですね……」


 頷きながらも、キャレは複雑だった。

 自分が今、ここにいる事自体が、既にして十分に無礼なのだ。真実が明らかになったときに、あの優しく朗らかな顔が、どれほど怒りに満ちるだろう。

 端正なアドリアンの顔を思い浮かべ、その顔が冷たく自分を睨みつけることを想像すると、キャレの心臓は絞られるように痛んだ。



***



 キャレは部屋で持ってきた物を箪笥に片付けるなどして過ごしていたが、遠くから藍一ツ刻を報せる柱時計の音が聞こえてきて、ハッと我に返った。

 マティアスに言われていたことを思い出し、あわてて外に飛び出す。

 とりあえず階段ホールまで出てきて、食堂の場所がどこだったかを必死に思い出そうとしていると、背後から声をかけられた。


「おぅ、キャレ。迷子か? 一緒に行こうぜ」


 くだけた口調は振り返る必要もなく、誰であるのかわかる。

 そろりと振り返って、キャレは小さくつぶやいた。


「オヅマ……さん」

「さん、なんぞいらねぇよ。俺たちゃ同じ穴のムジナなんだからな」


 キャレは少し首を傾げた。それはちょっと意味が違うような気がしたが、「はぁ……」と、曖昧に頷いておく。

 並んで歩きだしてから、キャレは少しばかり後悔した。

 もっと早くに出るか、あるいは怒られることを承知でもっと遅くに出れば、声をかけられることもなかったろうに。


 キャレは最初に会ったときから、このオヅマ・クランツという人間がどうも苦手だった。初対面にもかかわらず、妙に距離の詰め方がうまいというか、気づけば近くにまで来ている。


「あの、オヅマ。もうちょっと急いだほうが」


 既に晩餐開始の時間は過ぎてしまっているのに、オヅマの足取りはゆっくりだった。キャレは急がせようとしたが、オヅマはまったく頓着しない。


「大丈夫だよ。アドルは今、エーリクさんと一緒にルンビックの爺さんとこに行ってるし」

「………」


 また、だ。

『小公爵様』に対していかにも馴れ馴れしい言いよう。他の近侍とは明らかに違う。

 思わず上目遣いに睨むように見てしまうと、オヅマが気付いたのか目が合う。キャレはあわてて俯いて視線をそらした。


「マティの案内はわかりやすいだろ?」


 オヅマはキャレが睨みつけていたことには触れず、いきなりマティアスの話を始めた。


「え? あ……はい」


 キャレは戸惑いつつも頷く。


「あいつは口やかましいけど、自分を頼ってくる人間にはいい格好したいから、何かと面倒みてくれるさ。わからないことがあったら、基本的には奴に聞くといい」

「はい」


 キャレは返事しながら意外だった。

 出会った当初から何かとやりあっていた二人なのに、オヅマはマティアスのことをそれなりに認めているらしい。


「あとはアドルの世話に関することは、サビエルさんに聞けばいい。まぁ……世話っっても、アイツたいがいのことは自分でやっちまうけどな。他所ヨソのお坊ちゃんだったら、それこそシャツから靴下までいちいち着せてもらうところだろうけど、アドルはそういうのも基本的には自分でやっちまうんだ。騎士団で見習いとして生活していたからな」

「騎士団で……見習い?」

「そう。レーゲンブルト騎士団でな。俺はそれからの仲だから、他の奴らよりは、過ごしている時間が長い分、多少気安いんだよ。俺が小公爵さまをアドルって呼ぶ理由は、そういうことだ。ま、西館ココでだけにしておくから、大目に見てくれ」


 途端にキャレはバツが悪くなって、また俯いた。

 やはり気付かれていたのだ。やけにアドリアンと親しげなオヅマに対して、キャレが内心、おもしろく思ってないことを。

 チラリと横目で窺うと、オヅマはピンと背を伸ばして悠然と歩いて行く。


 ふわりと柔らかそうな短い亜麻色の髪、妙に自信ありげに見える薄紫の瞳、どこか異国の雰囲気を漂わせる浅黒い肌。成長期なのか、やたらと手足が長細くてバランスが悪そうに見えるが、二、三年の間には均整のとれた体格になるだろう。

 いかにも大貴族の若様の近侍として選ばれそうな容姿だ。

 近侍として選ばれるのは血筋のほかにも、側にいて不快さを感じさせない見目好い者というのも、実のところ考慮に入れられる。


 キャレはそっと溜息をついて、目にかかる自分の前髪を引っ張った。

 今のところ、自分を象徴するのは、このオルグレン家特有の赤毛だけだ。それだって結局のところ、キャレの自信になるものではない。

 いちいち差を感じてしまって、キャレの溜息は増すばかりだった。

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