第二百三話 画廊にて

「……なんだってんだ」


 オヅマは困惑しつつも、庭師に教えられた扉を開けて中に入った。

 急な狭い階段が上へと伸びている。おそらく使用人専用の通用口だろう。階段下の空間にはバケツなどの掃除用具が置かれていた。

 階段を登ると、そこにも扉がある。開くと、薄暗いガランとした空間に出た。

 目がなれると、壁という壁に大小の肖像画が飾られているのに気付く。


「なんだ、ここ?」


 オヅマは初めてなのでわからなかったが、そこは公爵家代々の家族の肖像画が飾られた画廊だった。

 ウロウロしつつ何となしに見ていると、一枚、見知った顔がある。今よりももう少し幼い頃のアドリアンの肖像画だった。難しげな顔をして一人、ちょこんと豪奢な椅子に座らされている。


「くっだらなそーな顔」


 オヅマはクスッと笑って他にもアドリアンの絵はないかと周辺をざっと見たが、その絵以外にアドリアンの肖像画はないようだった。

 その他の明らかに古そうな時代の絵も見つつ、とりあえず明るい方へ向かって歩いていく。


 柱を挟んで色の変わった壁に、ひときわ大きな絵が架けられてあった。

 絵には三人の人物。

 椅子に座った上品そうな女性と、その女性の斜め前に立っている少年、彼らの背後に立っている冷たい顔をした男。


 男の顔を見るなり、その面差しから彼が公爵閣下であることはすぐにわかった。おそらくアドリアンが大きくなったら、こんな顔になるのだろう…と思われるほどに似通っている。


「グレヴィリウス公爵とその夫人のリーディエ様だよ」


 いきなり背後から声をかけられ、オヅマが振り返ると、そこには眼鏡をかけた男がにこやかな笑顔を浮かべて立っていた。


 さっきの従僕のこともあるので、オヅマは男の笑顔を見ても警戒を解かなかった。だが、着ているものは従僕の御仕着せではない。

 柔らかそうな絹のシャツに、上着を羽織っただけの軽装は、使用人には許されない。客人でも、特に公爵家と縁の深い人間でなくては、非礼とされるだろう。


 だが、今のオヅマには目の前の男が誰であるのかを知るすべはまだなかった。ただ、注意深く見るしかない。

 返事をしないオヅマを、男はたいして気に留める様子もなく、近付いてきて隣に立った。


 これといって目立つような風貌ではない。

 長身というわけでもないが、背が低いというわけでもない。引き締まった体躯に、ピンと伸びた背は、上品でありながら自然で悠揚とした佇まいだった。


 おそらく貴族であろう。

 多くの貴族は子供の頃から、その立ち居振る舞いについて注意される中で、立ち姿一つでも洗練されたものになる。


 それでいて眼鏡の奥の穏やかなアンバーの瞳と、柔和な微笑みに威圧感はなかった。ゆるやかに波打った樺茶かばちゃ色の長髪を、無造作に後ろに流して茶色のリボンで一つに括り、耳には青の小さな石が嵌め込まれたピアスをしている。


 年はよくわからない。

 オヅマよりも年上であるのは間違いないだろうが、眼鏡と落ち着いた雰囲気のせいか、二十歳程度にも、あるいは三十歳以上にも見える。


 男は隣で絵を見上げながら、聞いてもないのに説明してきた。


「この絵画は公爵夫人のお気に入りだったんだ。なんでも夫人曰く『この絵が一番自分を美しく描いてくれた』って。他の絵だって、十分にお綺麗だと思うんだけどね。僕なんかは、ほら、そこにある横を向いたお姿の絵」


 そう言って、男は隣の壁に架けてある細長い絵を指さした。そこには公爵夫人の立ち姿が描かれている。

 横向きで、長い髪を後ろに垂らし、白い百合を手にもって慈しむように見つめている姿の絵。見ればその壁には公爵夫人の絵ばかりがあった。


 つややかに波打つ鴇色ときいろのブロンドと、深い青の瞳。優しげでありながら、気品ある面差し。

 おそらく彼女がアドリアンを産んだという公爵夫人なのだろう。意志の強そうな、ギュッと引き締まった口元がアドリアンそっくりだった。いや、この場合アドリアンの方が母親に似ている、と言うべきなのだろうが。


「真ん中の子供は?」


 オヅマは公爵閣下ら三人の絵に視線を戻して問うた。中心に立っている子供…淡い蜂蜜色の髪色からして、絶対にアドリアンではないとわかる。


 男は「さぁ?」と首を傾げた。


「公爵夫人が生きていた頃に、この屋敷にいた子供といえば一人しかいないね」


 いかにも思わせぶりな言い方に、オヅマはあまりいい印象を持たなかった。


 もう一度、目の前の絵を見上げる。


 まるで家族みたいだった。

 子供の肩にそっと手を置いた公爵夫人の表情には、母親として慈しんでいるのが見て取れる。公爵の方は乏しい表情なのでわかりにくいが、子供の背にぎこちなく手を添えている様子から、嫌々でないことはわかる。中央に立っている子供は、やや緊張している様子だが、それでも嬉しそうな顔をしていた。同じ子供の絵でも、仏頂面のアドリアンとは真逆だ。


「なんで ――」

 オヅマは絵を見上げながら尋ねた。「そんなこと知ってるんだ?」


「うん?」

「この絵が公爵夫人のお気に入りだって。一番自分を美しく描いてくれた…なんて、本人以外から聞くことないだろ?」


 男は眼鏡の奥の目を細めたが、その質問には答えなかった。


「君は、迷子かい?」


 今頃になって尋ねてくる。

 オヅマはどうにもこの男を信用できなかったが、事実、今の自分は迷子と同じ状態だった。

 頷くと、男は重ねて問うてくる。


「どこか行きたいところでもあるの?」

「家令のルンビックさまの執務室に。眼鏡を取りに」

「そんなことのために、わざわざ西の館から? ご苦労なことだね」


 自分に関することは何も言っていないのに、オヅマがどこから来たのかもわかっているらしい。この様子だと、おそらくオヅマが小公爵付きの近侍であることも知っているのだろう。

 オヅマが男の名を聞こうとすると、男は「案内しよう」と歩き出した。


 一瞬逡巡したが、オヅマは男の後についていった。どこに連れて行かれるにしろ、どうせ自分一人ではこの本館内で迷子になるだけだ。

 また嘘を教えられるかとも思ったが、男は親切にもオヅマを執務室の前まで連れてきてくれた。


「ここだけど、鍵がかかってるよ」

「鍵はもらってます」


 オヅマはルンビックから預けられた鍵を取り出すと、鍵穴に入れて回した。ガチャリと音がする。間違いなく家令の執務室だ。


「ありがとうございます。助かりました」


 オヅマは頭を下げた。

 腑に落ちないことは多いが、とりあえず助けてもらった礼は言わねばならないだろう。


「ハハ。大したことでもないよ。じゃあ、僕はこれで」


 男は軽く手をあげて、来た道を戻っていった。

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