第二百二話 疎外

「君、どうしたかな?」


 尋ねられ、オヅマは素早く観察した。いかにも人良さげに見える丸顔の、中年の従僕だ。ボタンがはち切れそうになっている膨れた腹、短い足。祭りで売られる木彫りの坊や人形に似ている。


「あ…ルンビック様の執務室を探していて」


 オヅマは言いながら辟易としていた。何度目だろうか、この台詞セリフ


「ルンビック様の執務室に、なぜ用があるのかね?」

「眼鏡を取ってこいと本人に言われまして」

「ルンビック様が? 君に?」


 従僕は糸のような目を少し開いて、ジロジロとオヅマを探るように見つめた。


「失礼だが、君は本館付きの従僕ではないようだが?」

「あ、俺…僕は、小公爵さまの近侍になった……」

「おぉ! そうか。……君か」


 最後まで言い終わらないうちに、従僕は大きく頷いた。


「先程来、小公爵様の新たな近侍となった少年が、畏れ多くも公爵様の執務される本館をうろつき回っていると聞いていたが、君であったわけか」

「はぁ…?」


 オヅマは従僕の権高な物言いが気になったが、とりあえず今は黙っておくことにした。やや警戒しつつ返答を待っていると、従僕はまたニッコリとした笑みを貼りつかせて、自分の歩いてきた廊下の先を指さした。


「この廊下をまっすぐ行って、あそこの大きな壺が置かれている角を右に折れて、そこから三つめの角を左に曲がった先の突き当りの扉だ。そこが、ルンビック様の執務室だよ」

「右に曲がってから、三つめの角を左…でまっすぐ……」

「そうそう」


 従僕はオヅマの確認にいちいち大仰に頷くと、「それじゃ」と手を上げて去っていく。


「ありがとうございます!」


 オヅマは丸い後ろ姿に深く頭を下げた。思ったよりも悪い人じゃないようだ……と、ホッとする。

 しかし程なくして、それがあの丸顔従僕の仕掛けた悪戯だと気付いた。


「左に曲がって…まっすぐ……って、庭に出たじゃねぇかッ」


 むかついて地団駄を踏む。ギリギリと歯噛みしてから、オヅマはチッと舌打ちした。

 腹立たしいが、今ので確実にわかった。

 オヅマは自分の名前は言わなかった。小公爵の近侍だということを言っただけだ。

 つまり、皆はオヅマ・クランツという一個人を馬鹿にしたのではない。であるオヅマを敬遠し、最後の従僕に至っては堂々と嘘を教えたのだ。

 なぜ?

 小公爵の近侍をからかって、小公爵本人から不興を買うという想像力はないのだろうか?


 

 ―――― このアールリンデンにおいて、お前にどうして礼が必要なのかを、お前自身が知るべきであろう…



 ルンビックの澄ました顔が思い浮かぶ。

 オヅマはその場でしばらく立ったまま考え込んでいたが、また、のんびりした声に呼びかけられた。


「んん? なんだァ、小僧? こーんなとこで…見慣れない顔だな…いや、もしかして」


 庭師らしい青年だった。北方では珍しく、日焼けした肌はやや浅黒い。

 オヅマはじっと庭師を見つめた。

 こいつはどうなのだろうか? 逃げるのか、知らないとうそぶくのか、それとも嘘をつくのか。

 だがそのどれでもなかった。

 青年はかぶっていた季節外れの麦わら帽子を取ると、オヅマに向かってペコリと頭を下げてから、恭しい口調で尋ねてきた。


「あンのォ、もしかして迷ってしまわれたかねェ? こっちは貴族の若君が来られるような場所じゃねぇんスよ」

「………」


 これまでの対応と違って、庭師のいかにも貴族子弟に対する態度に、オヅマはかえって戸惑った。


「あンのォ…大丈夫ですか?」


 再び尋ねられ、あわてて頷くと、オヅマはゴクリと唾をのんだ。


「あの、俺…じゃねぇ、僕、小公爵さま付きの近侍なんです。家令のルンビック様に執務室に行って、眼鏡を取ってこいといわれまして」

「え?」


 庭師は固まった。

 それからオヅマをじっと見つめる。「小公爵様の…近侍?」


 恐る恐るといったように問い返しながら、ジリジリ後ろに下がる。そのまま放っておいたら逃げるとわかったので、オヅマは素早く庭師の腕を掴んだ。


「逃げるなよ」


 思わずドスの利いた声になってしまうのを、一度深呼吸して、ニヤリと慣れない愛想笑いを浮かべた。


「逃げないで、教えてもらえませんか? ここに来て間もないので、まだ把握できてないんですよ。こんなに大きなお屋敷なんでね」

「えぇぇ……」


 庭師は情けない声をあげる。


「困ったなぁ。今日はハヴェル様もいらっしゃってるってェのに……」

「ハヴェル?」


 聞き返しながら、オヅマは庭師の腕をグリッとひねる。気の弱い庭師はすぐさま降伏した。


「イタタタタ! わっ、わかりましたんでェ。教えます! 教えますから、手ェ離して下さいよォ!」

「嘘をつくなよ」


 オヅマは先回りして言ったが、庭師はあきれたようにため息をついた。


「まさかァ。小公爵様の近侍の方に、俺らみたいなンが、嘘なんぞつけるはずもありませんでさァ。しかし、こっからだとルンビック様の執務室のある棟とは、まったくもって反対方向ですよ」

「そうかい。じゃ、アンタが案内してくれよ」

「勘弁でさァ。ルンビック様の執務室なんぞ、行ったこともないんでさァ。北棟まではお送りしますんで、それで勘弁でさァ」


 確かにこれだけの規模の屋敷の、一介の庭師風情では、家令の執務室なんぞに行く機会などないかもしれない。あるとすれば、それは何かしらヘマをしたときで、場所を覚えるほどに行くことがあれば、もうその時点で解雇されるだろう。


「わかった。北棟まで案内してくれ」


 庭師は嘆息しながら歩き出す。

 オヅマは庭師の後ろについて歩きながら、注意深く観察していた。

 庭師は植え込みと建物の間の、あまり人目につかないところを選んで歩いている。ときどき、チラチラと辺りを見回しては、人がいないことを確認しているようだった。

 外廊下や、使用人専用の薄暗い廊下を通り抜けて、庭師は小さな扉の前で立ち止まった。


「この扉の先に階段があるんでさァ。確か執務室は二階だったって聞いたから……あとは、そのへんの奴らに聞いてください。あっ、俺っちにここを教えてもらったってことは、言わねェで下さいよォ」

「なんでだよ?」

「なんでってェ……そりゃ、そのォ……マズイんでさァ」

「マズイ?」

「なるべく…七竈ナナカマドの(*小公爵の居館、あるいは小公爵自身への隠喩)人間とは関わっちゃァいけないんでェ」


 オヅマは言葉をなくした。

 あからさまな疎外。しかもオヅマに対してではなく、小公爵であるアドリアンに対しての。本来であれば不敬極まりない態度だ。

 庭師はギュッと眉を寄せて黙り込んだオヅマに、ペコリと一礼して、早々に立ち去った。

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