第百九十八話 三人目の近侍

「……で、あんまり長いから、着いたら起こしてくれって頼んで、もう一回寝たんだよ」


 キャレは聞きながら、迂闊に相槌をうっていいのか迷った。


 どうやら目の前を颯爽と歩く少年 ―― オヅマは、相当に小公爵様と仲が良いらしい。だが隣を歩くマティアスは、オヅマの話にずっとブツブツ文句を言っていた。


「…ったく、不敬な…小公爵さまに起こしてもらうなど考えられん。クランツ男爵はいったいどういうつもりで…そもそも公爵様だって……」


 二人の様子を慎重に窺いながら、キャレは考える。


 下手にオヅマの話に迎合しても、マティアスから不興をかいそうだ。さっきからの態度を見ても、彼がオヅマに対して相当に不満を持っているのはわかる。

 何かにつけてネチネチと嫌味を言われたり、くだらない意地悪をされては面倒だ。

 なにより彼が伯爵家の嫡子であるなら、男爵家の子息に過ぎないオヅマなどは本来太刀打ちできる相手ではない。


 確かにクランツ男爵の勇名はキャレも耳にしたことはあるが、結局のところはキャレの父と同じく一地方領主に過ぎず、ましてサフェナ=レーゲンブルトはキャレの住んでいたファルミナよりも帝都から遠い北の辺境だ。

 申し訳ないが豊かな領地とも言い難いし、グレヴィリウス公爵家において、とても厚遇されている印象は受けない。


 だとすれば、たとえ今、小公爵様に気に入られているとはいえ、オヅマにすり寄るというのは、少々短絡的だろう。

 身分の上ではマティアスの方がキャレやオヅマよりも上なのだ。

 彼をないがしろにすれば、将来的に報復をしてくるかもしれない。


 それに小公爵様がオヅマを気に入ってるといっても、それも気まぐれで一時的なものかもしれない。だいたい、その小公爵様ご自身がグレヴィリウス公爵家内において微妙な立場なのだ。


 ともかくも目立たぬように、どちらに加担することもなく、中立、無難に過ごす。これが一番いいのだろうが…果たしてうまくいくのか。


「……おい」


 いきなり目の前にオヅマの顔が迫っていて、キャレは「ヒャッ」と飛び退った。


「な…なな何でしょうか?」


 あわてて尋ねると、オヅマはキョトンとした顔でキャレを見て、首を傾げた。


「お前、いくつだ?」

「……じゅっ、十一です」

「十一? じゃあ、アドル…小公爵さまと同じ年じゃねぇか。なんだ、もっと年下かと思ったぜ」

「まったく…お前は同じ近侍となる者たちについての身上書も読んでいないのか? 年齢のことなど、名前の次に書かれてあるだろうが」


 マティアスがまたイライラした調子で注意すると、オヅマはケロリと答える。


「あんなもん、読もうが読むまいが、来てから当人と話せばいいだろ」

「そんなことで小公爵さまの近侍が務まると思っているのか! ちゃんと互いの身分もわかった上で…」

「身分なんざ、どうせ俺が一番下なんだろ。だったら見るだけ無駄無駄~」

「一番下だと思うなら、もう少し態度を ―――」


 マティアスの抗議をまたオヅマは途中で無視して、キャレに尋ねてきた。


「十一ねぇ…。年のわりに体小せぇし、お前、まだ声変わりとかきてないの? 高い声だな。まぁ、マティのキンキン声よりはマシだけど」


 キャレはギクリと顔が強張った。なにか言おうとするものの言葉が出てこない。

 だが、幸いにもマティアスの怒鳴り声で、キャレの動揺はかき消された。


「誰がキンキン声だっ!」

「あぁ、うっせ。発情した猫よりうるせぇ」


 オヅマはうんざりしたように吐き捨てる。

 その言葉にマティアスは一気に耳まで赤くなって、ますます声高に怒鳴りつけた。


「はっ、発情ッ? きっ、貴様…よくもそんな…破廉恥なッ」

「破廉恥ィ? お前こそ、何考えてんだよ。顔赤くして。さてはイヤラシイこと考えたな?」

「オヅマ・クラぁンツっ! 貴様ァァ、今日という今日は許さんぞッ!」

「ほぉ? じゃ、どうすんだ、今日は?」

「…………かッ…家令のルンビック子爵に言ってやる!」

「なんだよ、またか。ルンビックの爺さんだって、口論程度のことで言ってくるなって怒ってたろうが。近侍同士のいざこざは、近侍同士で解決しろって」

「貴様に問題があるからだろうがあッ! どうして俺が叱られねばならんのだっ」

「そりゃ、お前が近侍筆頭とか自分で言ってるからだろ。どうにかしろよ」

「それが筆頭に対する口の聞き方かッ!!」


 キャレは呆然と二人の言い争いを見ているしかなかった。

 下手に止めに入って、また自分の声に興味を持たれるのも避けたい。今度は彼に違和感を持たれないように…と、とりあえず唾を呑み込んだ。


「いつまで小公爵さまを待たせるつもりだ」


 ようやく止めに入ったのは、太く、低い声だった。

 決してマティアスのように怒鳴りつけているわけではないのに、ささくれだったその場の空気を鎮めるだけの、包容力を感じさせる男の声だ。


 オヅマの背後から近付いてきたのは、キャレが見上げるほどに背も高く、ガッチリとした体格の男だった。

 短く刈った胡桃くるみ色の髪と、同じ色の小さな瞳は無表情で何を考えているのかわからない。

 オヅマは肩をすくめて、進んでくる男に道を開け、マティアスはフンと鼻をならしつつも黙り込んだ。


 男はキャレの前に立つと、丁寧にお辞儀した。


「初めてお目にかかる。私はエシル領主イェガ男爵三男のエーリク・イェガだ」

「あ…初めまして。キャレ・オルグレンです」


 かろうじて挨拶を返しながらも、キャレはエーリクに圧倒されていた。

 近侍というのは、基本的には小公爵様とそう年の変わらない者が命じられると聞いていたのだが、キャレの前に立っている男はどう見ても二十歳を越しているように見える。


 当惑するキャレの心情がわかったのか、オヅマが気安くエーリクの肩に手を回して笑いかける。


「ハハッ、なんでこんなおっさんが近侍なんだろなーって思ってんだろ?」

「いっ、いえ…そんなことは」

「いいって、いいって。たいがい驚くんだよ。俺だって、初めて会ったときに思ったもん。絶対に年、間違ってないか? って。ま、俺らの中では一番の年長なんだけどさ。これで十五歳だから」

「十五?!」


 思わず聞き返してしまって、キャレはあわてて口を押さえた。

 エーリクを怖々見上げるが、そういう反応に慣れているのか無表情は動かなかった。


「我らへの挨拶よりも先に、小公爵さまに挨拶すべきだ」


 低く抑揚のない声で言われて、キャレは身をすぼめる。

 自分の不用意な発言に、やはり気分を害したのかと思ったが、オヅマが笑って否定した。


「そうビクビクすんなって! 怒ってんじゃねぇから」

「………行くぞ」


 エーリクがボソリと言って、先に立って歩き出す。

 マティアスがまたギロッとオヅマを睨みつけてから、その後を追う。

 キャレはどうしようかと立ちすくんでいたが、


「行けよ」


と、オヅマに促され、ふたたび歩き出した。


 ―――― さぁ、いよいよ小公爵さまと対面だ。


 キャレは顔を引き締めた。

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