第百九十七話 マリーの見送り
キャレがアールリンデンにやって来る三ヶ月前 ――――
ヴァルナルとミーナの結婚の後、オヅマは自分に思わぬ仕事が課せられていることを知った。
「近侍って、なに?」
問い返すオヅマに、ヴァルナルの隣に座っていたアドリアンが気まずそうに答えた。
「僕をそばでお世話する……係?」
「なんだよ、それ」
オヅマはあきれた顔になった。
「お前、まだ世話してもらわねぇといけないの? まさか自分のケツも拭けないとか?」
「そうじゃない!」
アドリアンは真っ赤になってすぐさま否定したが、かといって適当な説明も思いつかない。助け舟を出したのはヴァルナルだった。
「公爵家のような大貴族の後継者は、そうした職務の者達が側に仕えるということだ。無論、手助けするようなこともあるが、召使いのような日常生活での細かいことはしない。どちらかというと、小公爵様と一緒に勉強したり…あとは客の相手をしたり…」
「なにそれ。俺、そんなの無理。口悪いから」
オヅマはあっさりと一蹴した。自分が生意気で口の減らないガキであることは、自他共に認めるところだ。
「………」
アドリアンは否定もできず、残念そうに目を伏せる。
あまりにもしょんぼりしたアドリアンを見て、ミーナがとりなすように言った。
「そうは言っても、ジーモン先生のお陰で、あなたも随分と礼儀作法については身についてきたわ。語学もミドヴォア先生が最近ではとても集中しているって褒めてくれていたし…」
オヅマは母の言葉をむず痒い気持ちで聞いていたが、ふと気付いて眉を寄せた。
「ちょっと待って。もしかして、俺がオリヴェルと一緒に勉強してたのって、これのため?」
ヴァルナルとミーナは目を見合わせた。問いかける視線に答えたのはヴァルナルだった。
「あぁ、実は前々から公爵閣下からも……はっきりとではないが、お前を小公爵様の近侍にするのはどうか…という申し出があってな」
オヅマはますます眉間の皺を深めた。一気に険しい顔になる。
「まさか…そのために母さんと結婚したんですか?」
「違う!」
ヴァルナルは即答した。それだけは断じて否定した。
それこそ、そうした誤解を招くからこそ、ヴァルナルとしてはオヅマをアドリアンの近侍にすることに躊躇したし、ミーナが勘違いしないように腐心してきたのだ。
「この話が出る前から、ミーナのことは好きだったんだ。もし、この話がなくとも、私はミーナを愛しているし、結婚も――――」
「あ、もういいです」
オヅマはそれ以上聞きたくなくて、すぐさま断ち切った。
言われなくとも、ヴァルナルが母のことをすごく、とても大事に思っているのは、わかっている。
今更ノロケ話など、ご勘弁願いたいところだ。
それはミーナも同様であったようで、赤く上気した頬に手を当てながら、また話を元に戻す。
「私は、前にも言ったようにいい話だと思うのよ。色々と大変でしょうけど、小公爵さまと勉学をご一緒する機会なんて、そうそうあることではないし、見聞を広めることはあなたにとって無駄にならないと思うの」
「小公爵さま…ねぇ」
オヅマにはいまだにアドリアン―――アドルが、あのグレヴィリウス家の小公爵様であるということ自体、信じられない。
「どうしても嫌なら、無理にとは言わないよ」
なんて…気の弱いことを言っているアドルが小公爵さま?
将来のグレヴィリウス公爵?
嘘だろう、と笑ってしまいたくなる。
「嫌とかじゃねぇよ。でも、俺はこんなだし、お前に迷惑かけるだろ、どっちかというと」
「大丈夫だよ」
と言ったのは、それまで静かに話を聞いていたオリヴェルだった。
「オヅマはわりと人を見てるもの。オヅマが無礼な口をきくのは、そういう言い方を許してくれそうな人か、反対にオヅマがものすごく軽蔑してるかしているような人だから、心配するほど迷惑なことにはならないよ」
「オリー……お前それ、褒めてるっつーか…どちらかっつーと、
オヅマは複雑な気分になって聞き返した。なんとなく自分がとんでもない奴に思えてくる。
だが、オリヴェルはまったくの善意であった。
「だってジーモン先生にはとても丁寧に接してるじゃないか。ミドヴォア先生にだって。反対にトーマス先生になんか、それこそ騎士の人たちと変わりないくらいくだけた感じだし。あと、パウル爺にも時々フザけたこと言ったりするけど、ものすごく敬っているっていうのはわかるもの」
「もういい」
だんだん恥ずかしくなってきて、オヅマは遮ったが、今度はマリーが口出ししてくる。
「お兄ちゃんが言いたいこと言って、ときどき口が悪くなることぐらい、アドルは最初からわかってるわよ。ねぇ? それでも来て欲しいっていうんだから、公爵様の後を継ぐためのお勉強って、よっぽど大変なのよ。お兄ちゃんはアドルを助けてあげようって思わないの?」
鋭く急所をついてくるマリーに、オヅマは詰まった。
ヴァルナルが感心したように唸り、アドリアンもまた驚いたようにマリーを見つめた。オリヴェルとミーナは、いかにもマリーらしい言いように微笑んでいる。
「………わかったよ」
オヅマは観念した。
そもそも『クランツ男爵の息子』なんてものになった時点で、もうこれから先のことを考えてもどうしようもない。
小公爵様の近侍なんて、自分にできるかどうかはわからないが、仕える相手がアドリアンであるのは、まだしも救いだ。これで馬鹿で高慢ちきなお坊ちゃんだったら、喧嘩を売って早々に勘当される羽目になるだろう。
その後、公爵の名代としての役割を終えたアドリアンと共に、アールリンデンに向かうことにした。
「いいのか? 君にだって、いろいろと準備というか……用意するものがあるだろう?」
アドリアンが驚いて尋ねると、オヅマは肩をすくめた。
「そんなもん、ねぇよ。いつでも身一つでどうにでもできるようにしてるからな」
「でも…別れを惜しむ時間だって」
「そーゆーのが苦手なんだよ。別に今生の別れってわけでもねぇのに。決まったらとっとと行動したいんだ、俺は」
出立の日。
オリヴェルはさすがに寂しそうであったが、マリーはにっこりとアドリアンに注文した。
「じゃあ、お兄ちゃんを貸してあげるから、時々、何をしているのか教えてね、アドル」
最初から兄が手紙もろくすっぽ書かないであろうと想定しているらしい。たぶんそれは間違いない…と、オヅマも納得できたので、文句もなかった。
その上で小公爵であるアドリアンに近況報告を寄越せと言うあたり、マリーもオヅマに負けず劣らず大胆なのだが、不思議と誰も違和感を持たなかった。
「わかった。困ったときには、マリーに教えを乞うことにするね」
言われたアドリアンもニッコリ笑って応じると、オヅマはむぅと眉を寄せた。
「なんだよ、俺がよっぽど問題児みたいに言いやがって…」
「そうだって自分でも言ってたじゃないの!」
ピシャリとマリーが言うと、オヅマは黙り込むしかない。周囲に集まった家族と、レーゲンブルト騎士団の面々、領主館の使用人たちは、大笑いした。
おそらく数年はレーゲンブルトに戻ってこない…長期間に及ぶお別れだというのに、愁嘆場になることもなく、オヅマは旅立った。
皆が笑顔で見送ってくれたことが、オヅマには有り難かった。下手に泣かれでもしたら、ましてマリーにでも泣きつかれて、行くなと駄々をこねられたら、とてもじゃないが出発できなかったろう。
オヅマは、妹がもう自分だけを頼ることがなくなったことに、少しばかり寂しさを感じつつも、ホッとしていた。
今は母も、オリヴェルも、ヴァルナルもついてくれている。
もうオヅマ一人だけで、マリーを守ってやる必要はない。――――
実のところ、マリーは遠くに行く兄に心配かけまいと、必死に笑って見送ったのだ。オヅマの乗る馬車が見えなくなった途端、大泣きして、ヴァルナルに抱っこされて館に戻ってからも、泣き止まず、泣きながら眠ってしまった。
そのことをオヅマが知るのは、もっとずっと後になってからだ。……
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