第百九十二話 公爵の名代(3)

 領主館前には、既に先触れから到着を聞いていたのか、ヴァルナルを始めとする残留組の騎士や領主館の使用人達が、並んで待っていた。


「アドル!」


 一緒に並んでいたマリーは、たまらないように駆けていくとアドリアンに抱きついた。


「帰ってきたのね!? 本当に、本当に、アドルね!?」


 興奮して早口に問いかけながら、マリーの目からは涙があふれた。

 まさか会えると思っていなかったアドルに会えたことと、アドルが約束を守ってくれたことが、なにより嬉しい……。


 アドリアンはにっこり笑って、マリーを抱きしめて頭を撫でた。


「ただいま、マリー」


 その言葉に、マリーはまたうるうると瞳を潤ませながらも、ニッコリと笑い返した。


「おかえり、アドル!」

「おかえり……アドル。ようこそ」


 マリーの背後に来ていたオリヴェルが、少しはにかんだ顔で声をかけてくる。

 アドリアンはオリヴェルが以前よりもずっと大きくなって、顔色も良くなっていることに少し驚きつつ微笑んだ。


 オヅマは妹が嬉しそうなのはよかったものの、それにしてもアドリアンにのが少々気になった。それとなくアドリアンから引き剥がしながら、マリーに言う。


「おぅ、そうだ。マリー。お前あのコート、アドルに返せよ。お前が持っていったから、見てみろ。こんなやたら仰々しい、着せられてやがる」


 背後から数歩離れていてきていたサビエルは、また吹きそうになってあわてて口を押さえた。公爵家からのアドリアン付きの警護の騎士たちも、皆、フルフルと頬の肉を震わせている。

 そんな周囲の様子など露知らず、マリーはアドリアンにすまなそうに言った。


「そうなの? ごめんなさい、アドル。あの時、私が寝間着だったから、貸してくれたのよね。すぐに返すわ」

「いや、いいよ。別に、あれくらいは……」

「なに格好つけてんだよ、お前は! 支給品なんだから、大事にしろ!」


 オヅマはそう言って、アドリアンの背中を容赦なく叩く。

 アドリアンがよろけると、さすがに警護の騎士たちは顔色を変えた。大事な小公爵様を打ち据える不届き者を捕えようと、あわてて駆け寄る。

 だが、その足音にオヅマは反射的に振り返った。瞬時に、戦いに対応するための筋肉が固く引き締まる。

 アドリアンは軽く息を呑んだ。

 隣にいるオヅマの態度は、一瞬にして隙のないものに変化していた。一触即発かのような緊張が張り巡らされる。アドリアンは素早く目配せして、自分を守ろうとする騎士たちを後ろに退がらせた。

 ふっと、オヅマの薄紫の瞳から緊張が消える。ニヤリと笑うと、何もなかったかのように叫んだ。


「よーし! 今日は久々に駒取りチェス総当り戦やるかぁー」

「いいね」

「じゃあ、第三期節サード・シーズンだね」


 オリヴェルとアドリアンはすぐに賛成したが、マリーは一人、ぷぅとふくれた。


「やぁだ! つまんない」

「ハハ。じゃあ、まずはオリヴェルとオヅマがやるといい。その間、僕は久しぶりにマリーの話をいっぱい聞くよ」


 アドリアンが言うと、マリーはニッコリ笑って頷いた。「それならいいわ」

 オヅマはあきれ、オリヴェルは苦笑する。


 相変わらずの四人の姿に、ヴァルナルが目を細めて声をかけた。


「さて、四人の悪戯妖精シャンクリ(*神話に出てくる妖精)たち。再会の祝宴はスコーンが焼き上がってからにしてもらえるかな? そろそろ公爵家の使者に挨拶したいのだが」


 オリヴェルがハッとして、アドリアンの前をさっとあけた。

 オヅマも体を横にして、アドリアンがヴァルナルの前まで行けるようにする。

 訳がわからぬ様子のマリーは、オリヴェルに手を引かれて、その隣に立った。

 アドリアンはゆっくりと進み、ヴァルナルの前に立った。


「ご苦労さま、ヴァルナル」


 微笑んでねぎらうと、ヴァルナルは深く頭を下げた。


「ようやくおいでいただけたこと、何よりの喜びにございます」

「うん。僕もまさか公爵様から、こんな大役を仰せつかるとは思ってなかったけど、ここにまた来ることができて、こうして直接お祝いを言えて嬉しいよ。まずは公爵様……いや、父の名代みょうだいとして、ヴァルナル・クランツ男爵のご成婚を祝福する。おめでとう、ヴァルナル。それにミーナも」


 アドリアンはニコリと微笑んでミーナを見た。ミーナも微笑み返して、恭しくお辞儀する。


「オリー? どういうこと? アドルとお父さんは何を話してるの?」


 マリーには急にアドルが見知らぬ子供のように思えた。オリヴェルの腕をギュッと掴みながら、不安そうに尋ねる。

 オリヴェルは安心させるようにマリーの肩をポンと叩いた。


「アドルは公爵閣下の代わりに、父上の結婚を祝いに来たんだって」

「公爵閣下? でも……さっき父って……」


 困惑するマリーと同様に、オヅマもまたアドリアンに恭しく接するヴァルナルと、深くお辞儀をする母を交互に見て、目をしばたかせ棒立ちになった。

 アドリアンはクルリと振り返り、オヅマを見つめた。

 鳶色とびいろの瞳に緊張が宿り、スゥと息を吸い込む。

 しかしアドリアンが口火を切る前に、オヅマが問うた。


「お前……もしかして、公爵様の……息子?」


 先に言われて、アドリアンはコクリと頷く。

 ふぅ、と静かに深呼吸して息を吐ききると、周囲の驚いた様子の人々の姿を見回してから、自らの名を名乗った。


「改めて、自己紹介するね。僕の名前はアドリアン・オルヴォ・エンデン・グレヴィリウス。グレヴィリウス公爵エリアスの息子だ」


 人々はポカンとなった。

 帝国の公爵家のご子息など、彼らにとっては雲上人うんじょうびと同然だった。ゆっくりとざわめきが広がる。しかし ―――


「えええぇぇぇぇーーーーっっっ!!」


 一拍置いて、すべてをかき消すオヅマの叫びが、その場に響き渡った。

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