第百九十一話 公爵の名代(2)

「まだ来ないねぇ~」


 ティボが遠く都へと続く道を見ながらつぶやく。


 城塞門の物見台、屋上テラスを囲んだ塀の上。

 立ち上がって街道を見ているティボの隣でオヅマは寝そべり、ふわふわと浮かぶ雲を見ていた。

 昨日までは冷たい風が吹き、今年最初の雪がちらつくほどに寒かったのに、今日になればまた温かさが戻る。

 秋と冬の間を行ったり来たりしながら、寒暖の差は徐々に寒さへと傾いていき、北国はやがて雪の季節を迎える。今はまだ、色づく紅葉の隙間に秋が残っているようだ。


「先触れで来たのが黒角馬くろつのうまだったからな。本隊はほとんど普通の馬だし、大人数だから、そうそう身軽に移動もできないさ」


 オヅマが訳知り顔に答えると、ティボは「なるほどねッ」と大袈裟に感心してみせる。


「さすが、オヅマ親分だねッ」

「やめろって、それ」


 オヅマは恥ずかしくて、渋い顔になる。

 オヅマを『親分』と呼んだティボは、ヘヘッとそばかすのあるしし鼻をこすった。


 ティボはオヅマのいたラディケ村の粉屋の三男坊だ。今回、黒角馬の研究者達が大勢やってきて、人手の足りなくなった領主館で下男を募集したところ、オヅマがいることを知っていたので応募したらしい。

 ちょうど粉屋には三つ子が生まれて、家も手狭になり、いずれ働くならば…と両親に申し出たのだという。

 オヅマよりも三歳下のまだ九つという最年少ではあったが、「俺はチビだから狭いところも掃除できますよ。それに大人に比べたら、食べる量だって少ないですよ」と、自分で自分をうまく売り込んで、まんまと領主館での下男の職を手に入れた。

 連日、面接でスレた大人ばかりを相手にしていたネストリの気まぐれというか、疲れが癒やしを求めたのかもしれない。

 オヅマと違って、ティボは取り入ることに長けていたので、ネストリは意外にもティボをかわいがっていた。


「……お前、俺と一緒に来たのはいいけど、お使いは? 行かなくていいのか? ネストリに頼まれてるんだろ?」

「そうだねぇ。この調子じゃまだまだ来そうにないし、ちょっくらひとっ走りしてくるねッ」

「おぅ」


 ティボはぴょんと塀の上からテラス側へと飛び降りた。

 

あけ一ツの鐘が鳴ったら、館に帰れよ。戻ってこなくていいから」

「あーいッ」


 のどかで陽気な声が響く。

 オヅマは思わず笑ってしまった。

 ティボは仕事の覚えも早く、抜け目ない性格なのもあるが、何よりあの底抜けの明るさが好かれるのだろう。同じ下男として働いていたオヅマとは違い、誰からも可愛がられている。


 そろそろ見納めであろう蝶が飛んできて、オヅマの周りをふわふわ巡る。

 ぼんやり見ていると、遠くからドドドと響く音が聞こえてきた。

 オヅマは起きて立ち上がった。

 街道の先、土埃の中、うっすらと見えていた集団がだんだんと色濃くなって近付いてくる。

 オヅマの顔がパッと輝いた。

 ようやく帰ってきたのだ。懐かしい騎士達が。

 オヅマはティボと同じように塀の上から飛び降りると、物見台の中の螺旋階段を二段飛ばしで降りていく。

 門の前で待っていると、先頭で近付いてくるカールと目があった。


「おぉーいぃッ!」


 オヅマが手を振ると、カールはオヅマの前まで馬を進めてきて止まった。


「元気そうだな、オヅマ。また背が伸びたか」

「そう? わかんないけど」


 オヅマが首をかしげて答えていると、カールの背後で四頭立ての馬車が止まった。

 派手ではないが、大きな箱型車室キャビンが車輪の上に取り付けられた、大貴族の乗る部類のものだ。

 黒く磨き上げられた躯体。辻馬車などに比べて大きく、鉄で補強された車輪。

 馭者ぎょしゃ席横のランプは、銀色の金属で作られたスズランが明かりを灯す造形となっている。天蓋の正面中央には、真鍮で作られたグレヴィリウス公爵家の紋章が取り付けられていた。


「なに? 馬車なんか……誰か乗ってんの?」


 オヅマが訝しげに尋ねると、カールは口端に笑みを浮かべて言った。


「公爵家からの使者だ」

「えっ?」


 オヅマは何か悪いことでも起こったのかと身構えたが、その時、いきなり大声で呼ばれた。


「オヅマ!」

「へっ?」


 思わず間の抜けた声が出る。キョトンとしたまま、声のした方へと向くと、馬車の扉がやや乱暴に開いた。


「お待ち下さい! 飛び降りるのは危険です!! タラップをつけてから……!」


 馬車から必死で制止する男の声が聞こえてきた。


「大丈夫だよ、これくらい!」


 懐かしい少年の声にオヅマはあわてて駆け出した。

 豪奢な設えの車室キャビンに立っているアドリアンと、目が合ったのは一瞬だった。


「待っ……」


 オヅマが止める前に、アドリアンは扉口から飛び降りていた。

 間一髪でオヅマは受け止める。

 衝撃で足がビリビリするのを、歯を食いしばって耐えた。

 痛みが過ぎてから、アドリアンをそろそろと地面に下ろして、オヅマは怒鳴りつけた。


「こンの馬鹿がッ! 下手すりゃ足の骨折るぞッ!!」


 響き渡った怒声に、周囲は静まり返った。

 まだ車室に残っていたアドリアンの従僕のサビエルはあんぐりと口を開けたまま言葉を失い、オヅマの背後にまで来ていたカールは天を仰いで眉間を押さえる。

 ゾダルやヘンリク、アルベルトなどのオヅマも知ったレーゲンブルト騎士団の面々は静かな溜息をつき、見慣れぬ公爵家騎士団の数人は唖然となって硬直していた。


「このくらい、どうってことないよ」


 アドリアンは口を尖らせて言う。

 オヅマはピシッ、とアドリアンのおでこを指ではじいた。


「油断大敵! ここいらはちょっと傾斜があるんだ。それにお前、ずっとコレ乗ってたんだろ? いきなりこんな高さから飛び降りたら、折れなくたって、捻挫するぞ。気をつけろ」


 アドリアンは額をさすりながら、オヅマの相変わらずの世話焼きぶりに、フッと顔が緩んだ。


「相変わらずだなぁ、オヅマ」

「あぁ? なんでだよ。カールさんだって、背がだいぶ伸びたって……」


 言いかけてオヅマはアドリアンの目に浮かぶ涙に、またキョトンとなる。


「なに泣いてんだ? お前」

「うん……」


 アドリアンは指でこぼれそうな涙を拭ってから、笑った。


「……元気になってよかった」


 オヅマの意識が戻らないままアールリンデンの公爵邸に戻り、そこから十ヶ月が過ぎていた。

 その後にオヅマが元気になったということを人伝に聞いても、アドリアンの中ではまだ、オヅマは白い顔で昏々と眠っていた。実際に会うまで、ずっと心配だったのだ。


「あ……うん」


 オヅマは少しきまりが悪かった。

 ミーナからアドリアンが非常に親身になって介抱してくれていたという話を聞いていたので、申し訳ない気持ちもある。といって、今更ありがとう……とお礼を言うのも随分と時が経ってしまった気がして、なんとも言葉に表しにくかった。

 ポリポリ頭を掻いてから、オヅマは何気なくアドリアンを見て眉を寄せた。少し離れて、頭から足までまじまじと眺める。


「お前……なにその格好? えらくめかしこんで」


 濃紺の生地に少しくすんだ金糸で、シダ状の植物の刺繍がされたジレと、同様の柄の膝丈まである上着ジュストコール。袖口の折り返しには、それこそ砂粒ほどの輝石やシークインが縫い込まれ、カフスには黒光りする美しい石が嵌め込まれていた。濃紺の絹糸で編まれた飾緒レニヤードは左肩から右胸にかかって弧を描いて垂れ、途中で半円形の留具が薄鈍色うすにびいろのマントを留めている。

 右肩にだけかかったマントは、ゆるやかに風の中ではためいていた。


「え? あぁ……うん」


 アドリアンは少し気まずい様子になって、もじもじする。

 オヅマはさっきカールから言われたことを思い出した。


「あ! もしかして、お前が使者なの? カールさんが言ってた」

「あ、うん……」

「なぁんだ。そっか。それでそんな着てんだな!」


 途端に背後のサビエルがブフッと吹いた。

 オヅマが怪訝に見上げると、さっと頭を下げる。「失礼致しました」


「誰、コイツ?」


 オヅマは指さしてアドリアンに尋ねる。


「……従僕だよ」

「従僕? あぁ、お前の同僚か」


 アドリアンは答えず、曖昧に笑って、オヅマの腕を掴んだ。


「さぁ、領主館に向かおう! マリーやオリヴェルにも会わないと!」


 アドリアンはやや強引にオヅマを引っ張って、門の中へ向かって歩き出した。

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