第百九十話 公爵の名代(1)

 ヴァルナルとミーナの結婚が当人と家族の間で決まったとしても、貴族と平民の、いわゆる貴賤結婚は通常認められなかった。

 そのためヴァルナルはルーカスを通じて適当な貴族家門にミーナの養子縁組を頼んでいた。形式的にでも貴族の養子となれば、それまで針子であろうが傭兵であろうが、一応は貴族として扱われる。


 実際には、こうした貴賤結婚は商人などの裕福な平民と、困窮した貴族家との間に取り交わされるのがほとんどだった。平民の妻(もしくは極めて稀であるが夫)を養子とする貴族家への謝礼は平民側が行い、家系図の書換などの煩雑な手続きや儀式に関する費用なども負担した。

 そうしたメリットもなしに、貴族が平民と結婚することなど考えられなかった。


 一方で、養子縁組の交渉とは別に、グレヴィリウス公爵に婚姻の許可を願い出なければならない。

 一定以上の家格を持つ帝国貴族は、基本的にはその結婚において、自分の系統である主家からの婚姻の許可をもらう必要がある。


 無論、時に主家よりも隆盛を誇る分家や家臣が無視して、勝手に婚儀を行うこともあるのだが、その場合においても貴族間での根回しは必要だった。

 貴族における婚姻はただ一組の男女が一緒になるということではなく、家同士の繋がりであり、当然その縁によって貴族間の勢力図にも変化が生じるのだから、好き勝手していいものではない。


 この二つの面倒な手続きは、同時進行で行われた。

 というのも、ヴァルナルの結婚は通常考えられる貴賤結婚から逸脱していたので、ミーナを養子とする側の貴族家は謝礼の他に、この婚姻が正当なものであることを重要視したのだ。この場合の正当性の証明は、公爵が結婚を許可する、ということだった。


 というわけで、レーゲンブルトでもギョルムの一件などでひと悶着あったが、帝都にある公爵家においてもなかなかに面倒な状況が進行していたのだった。

 この婚儀について、主に段取りしていたのは、不承不承に帝都へ向かったカールだった。無論、それを任せたのが兄のルーカスであったのは言うまでもない。


「お前のあるじの慶事なんだからな。部下が動かないわけにはいかないよな」

「なんで俺だけ……パシリコさんだっているだろうに……」


 ぶつくさ文句を言う弟に、ルーカスは意地悪い笑みを浮かべた。


「別にライル卿に頼んでもいいぞ。ヴァルナルの婚儀が三年後でいいというなら」


 正直なところ、養子縁組する貴族家への根回しやら、貴族の家系図を所管する貴族省の役人へのなど、帳簿には書けない金がかかる。

 謹厳実直なパシリコでは、いちいち領収書を要求しかねない。

 カールは嘆息して主の幸せな結婚のために奔走するしかなかった。

 帝都結縁式ヤーヴェ・リアンドンで浮かれた男女を横目に見ながら。


 しかも腹立たしいことに、その結縁式リアンドンでしっかり弟のアルベルトに相手ができて、そのまま家族への紹介と同時に、既に神殿で婚姻を承認してもらったと告げられたときには、そのまま驚きと疲労で倒れそうになった。


「フザけんなよ。どういうことだ、これ……」


 カールは悶々としながらも、仕事はきっちりやった。嫌味な兄にも文句をつけられぬほど、きっちりと。

 その甲斐あって、ようやく公爵からの返事がレーゲンブルトに届いたのは、明けて朱梟しゅきょうの年、落穂の月二十日頃のことだった。



『新生の月 廿日


 新たなる年の天光射したる都より時候の挨拶と共に申し伝える。

 

 受け取りたる婚姻許可申請については、その旨を了承し、許可する。

 追って名代みょうだいを遣わし、許可状を与える。

 

 別儀については、ベントソン卿からの書信にて了知すべし。


 年神様サザロンの加護あらんことを。

 

 エリアス・クレメント・エンデン・グレヴィリウス』



 必要最小限のことだけ書かれた短い手紙であったが、仕事以外においては筆不精の公爵閣下からの手紙は貴重なものだった。それだけで、ヴァルナルには公爵閣下が祝福してくれていることがわかった。

 ミーナは穏やかな顔で手紙を読むヴァルナルに、ホッと息をつく。


「どうした?」


 ヴァルナルが尋ねると、ミーナは髪留めからハラリと落ちた髪を耳にかけた。

 その髪留めは、ヴァルナルが前に送ったあの白陽石はくようせきの細工物だった。初めてこの髪留めをしてくれたとき、ヴァルナルは褒めちぎったが、今日もやはりよく似合っている。ヴァルナルの頬に笑みが浮かんだ。


「いえ……もしかすると、お許し頂けないかとも思って」

「そんなわけがない。むしろ、勧めて下さっていたくらいなのに。色々と準備することが、新年の行事などと重なって遅くなってはしまったが、これですべて認めてもらえたということだ。公爵閣下の名代はおそらく騎士達の帰還と一緒に来るだろうから、用意しておかないとな」

「どなたが来られるのか、ご存知なのですか?」

「あぁ、当然。最上級のブランデーを用意しておかないとな」


 その時、ヴァルナルが思い描いていた名代はもちろんルーカス・ベントソンだった。

 去年アールリンデンの公爵邸で、礼品を用意しておけと言われていたぐらいだ。

 そのつもりで、わざわざ自ら酒屋に出向いて買いに行ったのだが、果たして現れたに、ヴァルナルは驚嘆した。

 と同時に、公爵閣下に言われたことを思い出したのだった。

 


 ―――― 褒美が欲しければ、結果を出せ……


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