第百九十三話 小公爵さまと子供たち
オリヴェルの部屋に向かうまでの間、誰も口を利かなかった。
沈黙は部屋に入った途端に破られた。
「どーゆーことっ!?」
マリーは急にアドリアンに詰め寄った。
「公爵様の息子って?! オルヴォって、なに? どういうこと??」
「落ち着いて、マリー」
オリヴェルがあわてて制止しようとするものの、マリーの勢いは止まらない。一人だけ訳知り顔のオリヴェルをキッと睨みつけた。
「オリー、知ってたの?!」
「え? あ、あの……うん」
「ええぇぇ??」
マリーは唸るような大声を上げながら、オリヴェルににじり寄ると、矢継ぎ早に尋ねまくった。
「いつ? どうやって知ったの? どうして話してくれなかったの? 最初から知ってたの?」
「ち、ち、違うよ」
オリヴェルはあわてて否定する。
部屋の隅の出窓に腰掛けていたオヅマが冷たく言った。
「最初は知らないだろ。だって、オリーは最初はアドル……小公爵さまのことを毛嫌いしてたもんな」
「本当にぃ?」
マリーが疑心暗鬼な様子で見つめると、気の毒なオリヴェルはうんうん、と激しく頷いた。
「知らなかったんだよ。本当に。本当に本当だよ。知ったのは、ずっと後で……」
「いつなの?」
マリーが再び尋ねると、オリヴェルは困った顔で押し黙った。
確実に知ったきっかけを言えば、マリーがあのときのことを思い出してしまう。またショックを受けるかもしれないと思うと、オリヴェルは話せなかった。
そんなオリヴェルに助け舟を出したのはアドリアンだった。
「オリヴェルはグレヴィリウス公爵家について、知ってることも多かったから、僕の正体も見抜いたんだよ。それから言わなかったのは、僕が頼んだからだ。僕も、公爵様……父上からレーゲンブルトで過ごす間は、ただの見習い騎士として、クランツ男爵の下で修行に励むようにと言われていたから……。君たちには僕の口から直接、伝えたかったんだ。それから謝りたかった。ごめん。嘘をつくようなことをして……」
頭を下げるアドリアンを、マリーはしばらく睨んでいたが、ふぅという溜息とともに、膨らんでいた頬が元に戻る。
「仕方ないわ。公爵様の命令なんだったら、アドルは子供なんだから、言うこときかなきゃいけないんだし。オリーもアドルに頼まれて黙っていたんでしょ?」
「うん、ごめんね。マリー」
オリヴェルはそれでもやっぱり謝った。
どこかで罪悪感があった。本当は……自分は伝えたくなかったのかもしれない。アドルが小公爵だということを……。
だって、ただでさえアドリアンは美しくて、本から出てきた王子様だった。ましてあのグレヴィリウス公爵の小公爵だとなれば、もうそのまんま、女の子にとっては憧れでしかない。そんなまぶしい存在であるということを、マリーには少し隠しておきたかった。
後ろめたい気持ちになるオリヴェルに気付くことなく、アドリアンは出窓に座っているオヅマのほうへと歩いて行った。
「オヅマも……ごめん」
アドリアンが頭を下げると、オヅマはチラとだけ見て、またそっぽを向く。
「謝るなよ。別にお前は悪くないんだってことになったんだろ、今」
冷淡に言うオヅマに、アドリアンは不安になった。
「……怒っているのか?」
「怒る? 小公爵サマ相手に、見習い騎士風情が怒るなんてこと、できるわけないだろ」
「…………」
アドリアンが寂しげに俯くと、マリーがつかつかと寄って兄に注意した。
「お兄ちゃん! 冷たいわよ、そんな言い方」
「何が……」
オヅマは面倒そうにマリーに目をやり、ジロとアドリアンを見た。
すぐに目線を逸らして出窓から降りると、妹の目の前に立って言い聞かせる。
「いいか、マリー。母さんが結婚したら、俺たちは領主様の子供になるんだ。そうしたら、ますます身分ってものに縛られることになる。前と同じようになんて、できるわけねぇ。俺なんか、騎士になるんだから、このままいけばコイツ……じゃない……あー……こちらにおわす小公爵サマの配下になるんだぞ」
ジーモン老教授の礼法授業で、覚えたばかりの敬語をひねくりだして、オヅマは皮肉っぽく言う。
アドリアンはさっきからオヅマが『小公爵サマ』と言うたびに、チクチクと胸が痛かった。
「それは……」
言い淀んで、アドリアンは口を閉じる。
実際、この先にはオヅマには近侍として来てもらうことをアドリアンは望んでいる。そうなれば、ますます主従としての関係性は強化されるのだろう。
静まり返った部屋で、口を開いたのはマリーだった。
「そんなのおかしいわ」
「……なにが?」
オヅマが怪訝な様子で問いかけると、マリーはじっと兄を見つめて言った。
「お兄ちゃんはアドルが小公爵さまって、わかってたら、お友達にならなかったの?」
「……そりゃ、なれねぇだろ」
「どうして?」
「どうしてって……公爵家の若様なんだぞ?」
「じゃあ、もう友達でなくて平気なの?」
「そ……ん……」
オヅマはそれ以上、言葉をつなげることができなかった。
自分の望むことと、せねばならないという義務の間には厳然とした隔たりがある。何かを言おうとしても、空回りするばかりだ。
マリーはプイとそっぽを向いた兄と、寂しげにうつむくアドリアンを見比べた。
しばらく考え込み、言葉を選びつつ途切れ途切れに語りかける。
「私、アドルに初めて会ったときから、きっとどこかの貴族の若様なんだろうと思ってたわ。オリーと同じように。まさか公爵家の若様だとは思ってなかったけど。でも、アドルは私にもお兄ちゃんにも、無礼だって怒ったりなんかしなかったわ。ずっと優しかったし、だから私はアドルが好きになったの。小公爵さまだとしても、アドルはアドルだもの。これからだって、ずっと仲良くしていたいわ。お兄ちゃんはそうじゃないの?」
真っ直ぐな緑の瞳が、オヅマを見つめる。
怒っているのではないのに、こういうときのマリーは妙な迫力があった。オヅマは途端に気まずくなる。
マリーは首を大きくかしげて、アドリアンを下から覗き込んだ。
「アドルは? まだ私たちと友達でいてくれる?」
このとき、アドルは本当にマリーが女神のように思えた。
無垢なエメラルドの瞳は、強く正しい、女神サラ=ティナの
「……もちろんだよ。ずっと僕らは友達だ」
泣きそうな震える声でアドリアンが答えると、マリーがニッコリ笑った。
オリヴェルも三人のそばにやってきて同意する。
「僕もアドルのこと、友達だと思ってるよ。あのときも、言ったでしょ?」
―――― ずっと友達だよ、僕たちは…
今も、気持ちは変わっていない。
「ありがとう」
アドリアンはホッとしたように微笑み、もう一度オヅマを見つめた。
同じようにオリヴェルとマリーも、オヅマをじいっと見つめる。
オヅマは三人からの視線に
「お兄ちゃん」
マリーの呼びかけに、オヅマはハアァと長い溜息をついて、くしゃくしゃ頭を掻く。
「わーったよ。わかってるよ、そんなこと。アドルが友達なのは、当然だろ」
マリーはニコリと笑った。
「じゃ、これまで通り!」
「なんだそりゃ……」
「いいの! 私たちは一人が乞食になって、一人が公爵様になっても友達よ!」
マリーが高らかに宣言する。
少年たちは目を見交わして、同時にくしゃりと笑った。
ここにいる男共はみな、大きくなってもマリーには敵わないだろうと思った。
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